第2話

 俺、いや……私、浅野真琴。

 身体は、元マネキン人形。魂は、元大学生。


 ——冗談じゃねぇ!


 俺は、絶対に佐野誠に戻ってやる。まずは身体を取り返し、姫子にどうにかさせるのだ。


「でもぉ……せっかくのポイントがぁ……」


 その意見に姫子は乗り気ではないらしい。

 警察署の前、電信柱に張り付いて、なにやらいじいじしている。


「でも、俺が願っているんだぜ? それを叶えればポイントになるんじゃないのか?」


「お願い事は、その人のためになることはダメなんですぅ。負の願いじゃなきゃ……」


「負の願い? そんなの持つやつがいるのかよ?」


「そりゃあいますよ! 強盗したいとか、強姦したいとか、自殺したいとか……」


 童顔の姫子の口からそんな言葉が出るとげんなりする。


 俺は確かに悪いことを考えて、女になりたいと言ったのだから、負の願いなのだろう。


「でもな、このナイスバディを見てみろよ! これを捨てて男に戻るなんて、普通は負の願いとはいえないのか?」


 俺は、適当な理由をつけて、形よい胸をはって見せた。


「そうですねぇ。こんなにキュートなのに、それを捨てちゃうなんてねぇ……ポイントになるかしら?」


 姫子は単純らしく、すぐその気になったようだ。


 そうだ、ぐずぐずしてはいられない。早くこんなところからはおさらばだ。

 なぜならば、俺は今、とっても恥ずかしい思いを耐えしのんでいるのだから。


 原因は今の服装。


 姫子のコレクションの中から選んだピンクのフリフリワンピース。昔はやったアニメキャラ『ピンキー・チチ』の衣装らしい。これが一番ましだったが、大人っぽい顔つきの真琴には、はっきりいってかなり似合わない。

 この警察署までくる間にどれほど人目を忍びたかったことか。下手したらそのまま警察のお世話になるのでは?そうとも思える奇抜さだ。

 しかし、更なる難題が待ち受けている。

 今は警察預かりとなっている俺の死体をどうやって取り返していいものやら。


「おい、姫子。おまえ本当に悪魔ならどうにかできるんだろ? ちょちょいと奪い返して来い!」


「え? あたしい? あたしが一人でぇ?」


 あたりまえだろう。俺は見つかれば変態扱いだ。

 この悪魔っ子は地だからいいけれど。

 姫子は上目使いで俺を見た。


「早くいけよ!」


「や!」


「何で!」


「マコ姉さま、冷たいもん!」


 じんわりと姫子の目が潤んでいる。

 電信柱の影とはいえ、自分の身体の幅の3倍は広がったスカートをはいている二人だ。

 しかも、今の俺・真琴は身長170センチオーバーの女性なのだ。人目につかないはずはない。

 姫子に大泣きされてしまったら、きっと変態の誘拐犯だと思われてしまう。一応女だが。


 ううう。困った。

 泣かれないためにはどうしたら?


「姫子ちゃんとあたしの仲じゃなぁい? マコのお願い、聞いてくれないなんてぇ、マコ泣いちゃううぅ」


 顎が外れそうな恥ずかしい台詞。

 なんで俺が? と思いつつも、俺が俺に戻るためには、うつしかないお芝居である。


 バックには花でも散らしてみろ!

 しゃりらーん、と音響効果でも入れてくれ!


 姫子は、大きな瞳に星を浮かべていた。まるでクリスマス・イルミネーション並のキラキラさだった。


「ごめんなさい、マコ姉さま! あたしたち、お友だちよね? 姫子、間違っていたわ!」


 そう叫ぶと、姫子はキラキラうるうるしたまま、スカートをふわふわさせて、警察署の中へと消えた。


 ——ほっとした。




 俺はさっそくスカートの下のペチコートを脱ぎ捨てた。

 それを見ていたホームレスが、ゴミ箱の横で口をあんぐりしていたがかまわない。

 視線を無視してペチコートを丸め、ホームレスの目の前のゴミ箱に捨てた。

 髪を縛っていた大きなリボンも捨て、ヘアバンドも捨てた。唖然としながら、俺の捨てる物を目で追っていたホームレスに、俺は最後に微笑んだ。

 これで少しはましになっただろう……。

 自分の手にある『マジック・スティック』なるもの。もちろん、それもゴミ箱いきだ。

 俺は、姫子が戻ってくるまでぶらぶらすることにした。




 通り一本でブティック街となる。

 ウィンドウに写る俺の姿は、着ているものはナンセンスだが、そのままウィンドウにいてもおかしくないほどきれいだ。

 俺は、自分の顔をなでてみる。柔らかい。

 プラスチックなどの質感ではなく、明らかに人間の肌だ。多少身体の動きはまだ慣れないし、頭はカツラだが、これのどこがマネキンだというのだろう? 徐々に人間として馴染んできている。


 俺はなにげに一軒の高級ブティックに足を踏み入れた。

 森川に買い物は付き合わされたことがある。ただし、あいつも貧乏学生だから、買う服といえばウニクロの500円Tシャツとかばかりだ。

 こんな店には入ったことがない。まぁ、森川が入ったとしても、あのスタイルじゃ服に負けてしまうってところか。


「いらっしゃいませ」


 すぐに女が俺に話しかけてきた。

 化粧が濃くて、睫毛が一杯。笑うと白い歯がちらり。


「お客様、そちらは入ってきたばかりの新作でございます。お目が高こうございますわ」


 お世辞まじりの言葉が続く。近寄るとかなりの香水の香り。

 俺は圧倒されてしまい、いつのまにか試着なんかさせられていた。


 長年、女はスカートをはくべきだと思っていた。しかし、自分がはくとなると、やっぱりスカートだとすかすかして、気持ちが悪い。

 ストレッチのきいたパンツスーツ。かすかにヘソが出る丈だ。


「もう、お客様のためにあつらえたみたいです。7号でジャストサイズ。お裾直しも要らないなんて、まぁうらやましい体型ですこと」


 あたりまえだ。

 俺はマネキン人形だったんだ。服がジャストでなくてどうする?


「あの、それにぴったりの靴もございますのよ。まぁ、すらりとしていらっしゃるのに、足は小さくてかわいいですのね」


 足のサイズも平均の23・5センチときた。

 それでいて170センチオーバーの身長なんだから、完全モデル体型なんだろう。

 誉められて悪い気はしないなぁ……などと思っていると、その女は電卓を俺の前にかざした。


「しめて168,000円でございますが、お支払いはいかがいたしますか?」


 じ、じゅうろくまん? 俺はそんな大金を見たことがない。


「いや、その……今日は持ち合わせがないので」


「では、カードでございますね」


 にっこり微笑む女の顔には、有無を言わさぬものがある。

 俺はあわてて姫子から持たされていたポシェットの中をあさり、財布を取り出し、カードらしきものを取り出した。

 どうせ使えないだろうと思っていたのだ。

 しかし……。


「いつもありがとうございます。悪魔さんカードでございますね? お支払いは出世払い一回でよろしゅうございますか?」


 えーー! 嘘だろ? と思いつつ、俺はこっくりうなずいていた。



 俺はかなりいい女になった。

 道行くねーちゃんたちが羨望の眼差し。


「キャー、ねぇねぇ、今の人って、芸能人かしら?」


 すれ違い、通り過ぎたあとに聞こえる悲鳴にも似た歓声。


 ——ふっ、悪くはないぜ……。


 俺はサングラスを掛けなおしてみせる。

 じりりと照り付ける太陽だが、まだ、暑さを感じないのは、体が馴染んでいない証拠かもしれない。

 俺はさりげなく、リネンのジャケットを外して肩にかける。

 そのポーズも決まったに違いない。



 警察署前の公園に戻ってくると、もうすでに姫子がいる。

 なにやらホームレスと話をしているらしい。

 悪魔業っていうのは、家を失ったものにさえ、さらに不幸を押し付けるのか?

 俺はゆっくりと近づいた。


「ですからぁ。それはマコ姉さまのお洋服なんですぅ……。マコ姉さまが着るんですぅ」


「着ないって……」


 俺は思わず一人でつっこんでいた。

 姫子が頑張っても頑張っても、ホームレスも折れない。

 そりゃそうだ。俺が捨てたペチコートは、ヤツの家の屋根になっている。日差しを防ぐのにぴったりで居心地がよさそうだ。

 すっかりリゾート気分にはまってしまったホームレスは、姫子の言葉などまるっきり無視だ。

 それなのに、あんなペチコートひとつに必死になるとは……。姫子もかわいいところがあるなぁ。

 俺は、服装が整ってゆとりができたのか、思わず笑っていた。


「マコ姉さま!」


 うれしそうな声を上げたとたん、姫子は怪訝そうに俺を足の先から頭の先まで、舐めるように見回した。


「ど、ど、ど、ど、どうしたんですか?その情けない格好は!」


 姫子の趣味と俺の趣味は、天と地、天使と悪魔、銀河系の果てから果てまでの隔たりがあるらしい。

 特に、スカートをはかない女の子は、乞食に等しいと思っている。


「まぁ、そんなのどうでもいいじゃないか。俺は誠に戻るんだからな」


 俺は、フリフリハンカチで鼻をチンチンさせながら泣いている姫子に、カラカラと明るく笑った。

 元の姿に戻ることとなると、人形であったことも、また、楽しく思えてくるから不思議だ。普通の男には経験できないスリリングな出来事だった。


「こんな不幸なことってありませんですぅ……!」


 しつこくザメザメと姫子は泣く。悪魔も不幸を呪うのか? 

 俺は、ぽんと姫子の肩をたたいた。


「いいじゃないか、悪魔だってたまにはペチコートのひとつくらい困ったヤツに恵んでやれよ」


「それってマイナス10ポイントですぅ」


 そうか、なるほど。

 姫子にはそういう事情もあったのだ。

 人のためになることをすると、ポイントが減っていくらしい。人のよさそうな姫子のことだから、これじゃあいくらがんばっても魔界に帰るのは難しそう。

 まぁ、俺にはどうでもいいことだ。


「ポイントなんてまたためればいいじゃないか。それよりさあ、早く俺を……」


 話を変えようとしたのに変わらない。姫子は引きずるタイプらしい。


「そう簡単にはたまりませんわぁ。マコ姉さまのおかげでためた3ポイントがはじめてのポイントよぉ。そんなの、ケーキとか食べたらすぐに消えちゃうんだから!」


「へ? ケーキ?」


「ポイントは悪魔さんカードに貯蓄されて、それが人間界でのあたしたちの生活費になるんですぅ」


 そうか、悪魔といえど人間界で暮らすには金がいる。ポイントとはつまるところ、金と同じなのか。

 こつこつ貯めてけちけち節約して、魔界へ戻れるだけのポイントを貯める。なんだか普通の経済生活だよなぁ。


 ——うっつ!


 俺はさっきの買い物のことを思い出した。

『悪魔さんカード、出世払い』

 それはつまり……借金ならぬ借ポイントではないだろうか?

 168,000円は何ポイントになるのだろう? 1ポイント1000円とみても……。

 3ポイントで喜んでいる姫子のことを思うと怖くて想像できない。

 俺はさすがに冷や汗をかいた。この事実がばれる前に、姫子とはおさらばしたい。


 俺は焦った。


「それより、早く俺を元に戻してくれよ」


 自分に対しての無関心さが気に障ったのか、姫子は突然涙目をきっと鋭くして俺をにらみつけた。


「だめです!」


 初めて聞いた切れのいい言葉。

 姫子は俺が捨てたはずのマジック・スティックなるものを振り上げて、なにやら怪しげな呪文を唱えた。


「な、なぜだよ!」


 あせる俺のほうをみた姫子の顔は、今まで見た中では一番悪魔的微笑を浮かべている。


「マコ姉さまには、もっと不幸になってもらわなくちゃいけないんですぅ。希望をかなえたら、借金増えちゃいますからね」


 ——しまった!


 戻してくれよ……なんてお願いしたばかりに姫子の悪魔心をゆすぶってしまったらしい。


「い、いや、俺は真琴と別れるのは辛いなぁと思っている。で、でもな、誠は不幸な男なんだ。不幸にはなりたくはないなぁ。いや、その……。俺は世界で一番不幸になりたいと思っているんだ!」


 俺はハチャメチャなことを口走っていた。

 不幸になりたいなんて願いは、まったく負の願い事だろう。


 が……。


「姫子は優しいので、マコ姉さまのお願いをかなえて差し上げますぅ。誠君の体は、今はもう自宅に戻り、明日には燃やされて骨になっちゃいますぅ。カラカラの骨の中に魂を戻してさしあげますぅ」


 ……しばし絶句。


「冗談です。あたし、マコ姉さまを離しませんからね」


 悪魔だよ、お前。



 俺はまさにマネキン人形のように固まってしばらく動けなかった。

 人生最大の危機! いや、俺がこの状態で生きていると言えればだが。

 俺、佐野誠は、明日火葬されてしまうのだ。

 そして、魂は人形の中で姫子の部屋に転がって過ごすのだ。


「神様!」


 俺は思わず困ったときだけの神頼みをした。

 ……が、悪魔頼みをするべきだった。

 姫子の機嫌が最高潮に悪くなったことは、言うまでもない。

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