どーる!

わたなべ りえ

第1話


 俺のすぐ横で女の子が寝ている——


 ……おんなのこ?


 とんでもない事実に俺は思わず飛び起きた。

 頭が痛い。眩しい。

 レースのカーテン越しに、これでもか!というほどに光が差し込んでいるのだ。

 どうやら朝らしい。見たこともない部屋だが、そんなことは後回しだ。今起きていることを整理するよりも、何よりも……。


 ——うう、これは二日酔いだ。


 酒で記憶をふっとばすなんて、中学生の頃から飲んでいる俺には、初めての経験だ。

 思わず動悸。横目で再確認する……が。その存在は確かにある。

 絶対におかしい! 横に女の子なんて、いるはずがないじゃないか! アレは人形だ。そうだ、そうに違いない。

 かなり動揺。頭あたたた……真面目にか?


 俺は、何が何だかわからずに、大きく深呼吸して気持ちを落ち着けた。そして、まじまじと隣を見つめた。


 ——人形じゃない。れっきとした女の子。


 多毛症気味の黒髪に白い肌が大福みたいで美味しそう。まるで白雪姫のようだ。ふくよかな胸が呼吸のたびに上下している。

 見渡すと、ここはどうやらこの女の子の部屋らしい。

 部屋も彼女も初めて見る。どこかのケーキ屋さんみたいな、ひらひらレースのカーテンは、どう考えても野郎の部屋じゃないよな?

 ピンクのギンガムチェックのフトンは、俺が使ったことのない高級羽根ブトン。軽くて温かい。

 なぜこんなところにいるのか、皆目見当がつかない。


 ——あ。そうだった……。

 思い出した。


 夕べ、ちょいとかわいい女の子をナンパして彼女のうちまでくることに成功。でも、悔しいことに酔いが回ったのか、その後の記憶が飛んでいる。

 たぶん、俺は彼女の部屋に入ったとたん、酔いつぶれてしまったに違いない。それは、ちょっと俺としては信じがたい失態だから、夢かと思って頬をつねってみる。


「い、いったーーーい! なにするんですぅ?」


 女の子は、ばね仕掛けのからくり人形のように、跳ね上がり、大きな目を潤ませた。


「……いや、夢かと思って」


 間違いない。この間延びした話し方、夕べの女の子だ。


「ひ、ひどいですぅー! なぜあたしの頬をつねるんですぅ?」


「……いや、自分の頬なら痛いと思って」




 俺、佐野誠。

 大学一年。正直いってジャニーズ系のいい男だと自負している。

 初めての大学の夏休みを前にして、彼女に内緒で合コン参加。ひと夏の思い出になるような恋を探していたわけ。

 この女の子。ちょいと世間ずれした感じと子どもっぽい顔、それに似合わない胸の大きさに、俺の下心はおおいにうずいた。

 俺の彼女はぽっちゃりしているわりに、胸がない。まるっきり彼女とはタイプが違うこの女の子が、好みではなかったけれど、興味深かった。


「あたし、白雪姫子でーすぅ。おぼえていますかぁー?」


 おぼえちゃいない。おぼえる必要もない。でも、俺は女の子には優しくすることにしているから、一応おぼえていたふりをする。


「まさか!忘れるわけないじゃないか。夕べはありがとう。酔って悪かったな。さて、俺、そろそろ帰らなきゃ……」


 なんだか、声の調子が悪い。俺は、ウンと軽く咳払いをした。

 姫子は、薄ピンクのこれでもか! といわんばかりのフリフリネグリジェで、ベッドの上にぺたんと座り、


「帰るんですかぁ?」


 と、間の抜けた声を出した。


 その時点で、すでに俺はおかしかった。

 もらえるものはいただかないと、女の子に失礼で男の恥だと思っている俺なのに、フリルの横からはちきれんばかりの姫子の胸に、何の反応もおこさなかったのだから。


「いやその……学校なんだ。また、そのうちに遊びに来るよ」


 うんうんと咳き込みながら、俺はその場限りの言葉を並べた。

 実は喉は痛くはないのだが……。どうしてこんなにか細い声しか出ないんだろう?


「でもぉ、マコ姉さまは、学校は夏休みだと言っておりましたわ。それにせっかくお願いを叶えてあげましたのに……」


「マコねぇ?」


 俺は、姫子のおかしな発言に、ややいらいらして邪魔くさい前髪をかきあげた。


 ——前髪ぃ?


 うっとうしいクモの糸のような髪が、俺の顔を半分覆っている。

 なぜ、すぐに気がつかなかったのだろう? 俺の髪がこんなに長いはずはない。しかも、金髪?

 恐る恐る髪を指に絡めてみる。腰のあたりまであるうえに……その指! 細くて白くて、なんとマニキュアまでしている。


「な、な、なんじゃ、こりゃ!!!」


 俺は驚いて、目を見開き両手を広げて絡まる髪の毛を凝視した。

 声……そう声も違っている。ヘンだと思ったのは女の声になっていたからだ。


「あら、大変。でも大丈夫よ」


 姫子はそういうと、ショックで震えている俺の頭に手を当てた。

 なにやらざわりとしたおかしな感覚が頭に走り、突然目の前が開けた。


「ただ、カツラが曲がっていて、前が見えなかっただけなの。今度はちゃんと見えるでしょ?」


 姫子は、ゴテゴテの飾りがついた手鏡を俺に持たせて、こうのたまった。


「マコ姉さまは、とてもきれい!」


 白磁の肌……とは、よくいったものだ。薄い茶の瞳に、冗談みたいにたくさんの睫毛、しかも嘘みたいに長い。

 楊枝を3本のせても平気そうなくらいだ。

 こじんまりしていてあまりにも整った顔は、まるでハーフのよう。

 彫が深くて、目を寄せたら自分の鼻がしっかりと見える。

 そしてブロンド。腰までの長くて細くて、きれいな髪。

 これが自分だと気がつくのに、かなりの時間がかかってしまった。


「こ、こ、こ、こいつは誰だ!」


「だからぁ、マコ姉さまですぅ」


「マ、マ、マコ姉って誰だ!」


「ですからぁ、あなたのことですぅ」


「お、お、おまえはいったい何なんだ!!」


 姫子は、ちょっと困ったように瞬きした。


「あたしはぁ、ようするに悪魔なんですけれど、あまりに真面目で清く正しいのでぇ、落第して、人間界に追放になったんですぅ。人を誘惑して負の願いを叶えてさしあげれば、ポイントがたまって魔界に戻れるんですけれどぉ」


 天使の微笑みで姫子は話を続けた。


「マコ姉さまは、初めて誘惑されてくれた人なのですぅ。だから、姫子もお願いを聞いてあげたのですぅ」


 そんなばかばかしい話なんて、信じたくはない。だいたい俺は!


「俺は女になんかなりたくないぞ!」


 思わず姫子の胸倉を掴んだ。男だったらかなり興奮する場面だが、俺は別の意味で興奮していた。

 ぶっつり切れて怒鳴る俺に、姫子は目をぱちくりとさせた。


「でも、夕べは女の子になりたいって……」


「夕べ……?」


 俺は痛む頭で記憶をたどる。

 ——思い出した……。


「俺、姫子ちゃんの部屋にいきたいなぁ」


「姫子の部屋は特別なんですぅ。女の子しか入れないんですぅ」


「じゃぁ、俺、女の子になろうかな?」


「女の子になるんですかぁ?」


「うん、女の子になりたい!」



 それからの記憶がまったくないのだ。俺は頭を抱えた。

 我ながら、相手に合わせたとはいえ、なんとばかばかしい会話なんだろう! 

 その結果がこうだ。


「誠君は夢かなってマコ姉さまになるしぃ、あたしは3ポイントゲットでぇ、とってもよかったですねぇー」


 この白雪姫子、天使の顔をしているが、間違いなく悪魔だ。


「目指すは300ポイントなのですぅ! 無事に貯まって魔界に戻れたら、マコ姉さまもお礼に地獄谷見物に連れて行ってあげるぅ」


 ……いらないって。


 俺、しばし硬直。二日酔いも見事に醒めてしまった。




 姫子の部屋は気持ちの悪いほどの少女趣味。足の踏み場がないほどに、ぬいぐるみやらお人形やらが散乱している。


「とりあえず、落ち着いてくださいな。今、お茶を入れますからぁ。それからお話をゆっくりしましょ?」


 そんな言葉を残して、姫子はキッチンの奥へと消えた。仕方がないから、俺はソファーに腰をおろした。

 しかし気が急く。イライラする。


 普通、夢は

「あ、やり直そう」

 と思えばいい。

 たいていの場合、やり直したい場面に戻ってくれる。そこで夢だと確信できるから、目を覚ますことも可能なのだ。

 現実の場合、思っただけではやり直せない。目も覚めない。

 残念ながら、今回はやり直し不可能だ。


 ——つまり、現実?


 俺は、ソファーの横にあるリモコンを手に取った。こんな悪夢ではなくて、現実がみたかった。

 テレビをつけたら、もうお昼。ちょうどMHKの時計が12時の時報を伝えた。

 確かに……俺以外は確実に現実の中にあるようだ。

 ちらりと母さんの顔が浮かぶ。

 ぐうたら息子の夜遊びには慣れてはいても、さすがに心配しているかも? 

 俺はテレビをつけっぱなしのまま、今度は立ち上がって自分の体をチェックし始めた。

 姫子は、俺の魂をデパートのウインドウから失敬してきたお気に入りのマネキンに移したらしい。

 カツラを外して頭のてっぺんをそっとなでたら、商品番号らしき文字が刻印されている。

 道理で気持ち悪いぐらいに整ったプロポーションだ。鏡に写してみて、ポーズをとってみる。


 おっ、モデルみたい。

 ! 

 いやいや、この事態に納得したわけではない。頭を抱えていても仕方がないから、今できることをしているだけだ。

 俺は前向きな性格なんだ。そこが愛されるいいところだと、自負している。


「根暗なヤツって嫌いなんだよなぁ、俺」


 独り言を呟くと、俺の彼女・森川さとみの顔が浮かんだ。

 ——あいつ、俺がこんなことになっているとは思ってもいないだろう。



 森川は平凡な女だ。

 顔はまずまず、性格もまずまず、すべてまずまず、あそこまで平均点な女なんて、かえって珍しい。

 別にすごく好きだったわけではないが、付き合うことになってしまった。

 少し気になっていたことは事実だけど、あまりに友人の堀井が夢中になっていたので、つい張り合ってしまったのだ。

 これは、俺の悪い癖だと反省する。自分が一番女にもてないと、どうも気が納まらない。

 森川は俺に夢中だが、俺は落としてしまったとたんに、彼女への興味がうせちまった。別れまでは秒読みだった。

 泣いてばかりのあいつの情けない顔を見ていると、本当に醜いと思う。


 俺は、鏡に向かってウインクした。

 鏡に写った俺という美女は、森川のような下半身デブではないし、胸ペチャでもない。

 だが、まったく色気も何も感じない。整いすぎているのだ。

 やはり、人形は人形である。

 それとも、俺が発情しないのは、女になったせいかもしれない。おそらく……。


 いや、人形になってしまったから?


 ぞっとする。

 胸にちくりと痛みが走った。



「マコ姉さまぁ、自分に見惚れているのですかぁ……。けっこう気に入ってもらえたんですね。姫子、うれしいですぅ!」


 けたたましい声だ。


 鏡に写った『俺』という見慣れないきれいな女の眉が、ピクリと動く。さすがに元マネキン人形だけあって、表情の動きがややぎこちない。


 慣れなきゃ……。


 いやいや、慣れる必要などない。俺は俺にもどるのだから!


「ばっかやろー!つべこべ言わずに、早くもとの姿にもどせってんだ!」


 俺は頭に血が上り、姫子に詰め寄った。まだ口がよく動かなくて、つばをたくさん飛ばしてしまった。


「それは無理ですぅ。だって、前の身体は置いてきちゃったし」


 姫子はさすがに嫌そうにして顔をぬぐっている。


「置いてって……どこに!」


 その時、俺の耳にテレビのニュースキャスターの声が響いた。


「……発見された遺体は、佐野誠さんと判明致しました。佐野さんは昨夜、友人と飲食したあと、帰宅途中に誤って川へ落ちたものと思われますが、警察では……」


「なんだってー!」


 俺は思わずテレビに釘付けになった。


 俺の顔写真がはっきりと写っている。

 川って、家の近くのドブ川じゃないか! あんなところに落ちたって、幼児でも死なない浅い川だ。


「誠君って、テレビ映りがいいですねぇ」


 大真面目にうっとりする姫子の言葉も耳に入らなかった。


 俺が? 

 このかっこいい二枚目の俺が……。


「酔っ払って溺死?そんなの許せねぇ!」


 そのうえ、姫子の入れた緑茶には砂糖が入っていた。

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