第52話 『交響曲第1番』 カール・ニルセン
どこのおくにでも、会社でも、自分たちの英雄さんに関しては、完全無欠の高潔な人として、国民や社員には、知ってほしいものでありましょう。
それは、政治家さんや財界人だけではありません。
芸術家にしても、そうした場合は多々あります。
楽聖ベートーヴェン先生もそうでありましょうし、モーツアルト先生もそうです。(そうでした。戦後、いささか、変わってきた・・・)
ただ、このあたりの方は、時代がちょっと古いために、十分な、正しい個人情報自体が、伝わっていないという事情もありそうです。
ニルセン先生(1865~1931)も、デンマークの偉大な作曲家です。
ただ、時代がすでに現代の入口に来ていたことから、それなりの情報が残っているはずなんだろうとは思います。
それは、同い年のシベリウス先生もそうです。(1865~1957)
おふたりの、あまり芳しくない個人情報は、どちらも、ご家族などが(シベ先生は長生きした事もあり、国家ぐるみで)大切に守っていたようですが、ニルセン先生の場合は、長女様がおもにそのおおもとの役割を、受け持っていたようです。(やましんだって、知られたくないことは、公開したくないです。)
奥様は、農家のご息女でしたが、農業も手伝いながら、彫刻を志し、留学してその彫刻を学んでいた方だったんだそうですが、留学先でニルセン先生と出会い結婚なさったんだそうです。
一方、ニルセン先生ご自身は、労働者階級の、子だくさんの、あまり豊かじゃないご家庭の出身で、子供時代から働いていた方。
しかし、後年、ニルセン先生は、女性問題で奥様を悩ませ、結局別居となったようです。
シベ先生は、借金をいっぱい作って、大酒飲んで、パーティーばかり参加して、やはり、そうとう奥様を困らせたようです。(お金はなくても、いい酒、いい葉巻、高級な服(アメリカでは、これが逆に好印象で、受けたらしいという見方もあるような)。
偉大な芸術家と言えど、人間さんですから、いろいろとトラブルは起こって、むしろ、当たりまえでしょうけれど、お二人とも、度を過ぎたところは、あったらしい。
このあたりは、やましんごとぎが、どうこういうものではないですが、シベ先生に比べても(シベ先生も、多い訳じゃない。)、ニルセン先生に関する日本語の本は、そうたくさんはありません。(ちなみに、自伝が翻訳されて、出ています。)
そうしたなかで、指揮者の、新田ユリさまがお書きになった『ポホヨラの響き』(2015年 正文社)が、こうした、個人情報も含めて、大変貴重な著作であります。
さて、『交響曲第1番』は、1894年3月14日に、コペンハーゲンで初演されています。
豪華なお客様がならんだということですから、注目されていたわけです。
4楽章形式の、見た目は古典的な形式です。
しかし、いかにもニルセン先生らしいところも満載です。
この方は、音の使いかたが、しろとにも明らかなほど、独特です。
『第1交響曲』は、まだ控えめですが、それでも、伝統的な交響曲とは、なんか、ずいぶん違うぞ。
響きが非常に個性的です。
ただ、やましんが思うに、この方は、この曲では、大先輩ゲーゼ先生の流れよりも(メンデルスゾーン風)むしろ、スウェーデンの、ベルワルド先生の流れをくむような音楽を、ここで見せています。
ちょっと、唐突な音楽の流れ、その中から浮き上がる印象的な旋律。
くるくる動いて、しろとには追いつきがたい不可思議な転調。
ベルワル先生の『交響曲第3番』と共通したイメージが、かなりあるように感じます。
とはいえ、ここは出発点で、この先、最後の『第6番』に向け、まったく独自の宇宙を突き進みます。
20世紀の新しい音楽の扉を開く、先駆けとなった作品のひとつ。
********** そと 🌲 🌲 🌲 うつ *********
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