第42話 『交響曲第8番』 ブルックナー

 尋常な音楽ではない、と言うべきでありましょう。


 『7番』の成功にかなり気をよくしていたらしきブルックナー先生ですが、『8番』は、初演にこぎ着けるまで、だいぶん苦労なさったようです。


 『7番』の初演を指揮した方からは拒否され、ハンスリック大先生派からも、相変わらずの妨害があったとか。


 しかし、大指揮者、ハンス・リヒターさまが初演にこぎ着け、結果は大成功だったと言うことで、めでたしめでたしであります。(1892年12月18日ウィーン)


 きっと、現代のブルックナーファンの方にとっては、おそらく神聖なほどの音楽でありましょう。


 しかし、やましん、例えば、ヘルベルト・ケーゲル先生の指揮した録音を聴きますと(このかたは、来日なさったこともありますが、東ドイツの大指揮者さん。ベルリンの壁崩壊時に、拳銃自殺されました。生きていらっしゃたら、20世紀最大の指揮者となったかも。)、かなり恐ろしくなるのです。


 なんでそうなのかは、いささか、はっきりしません。


 例えば、神様とか、仏さまとか、そうした見えない存在に対して、恐れ(畏れ)を抱く場合や、社長さんや、上司さんや、各種権力者さん、などに、何らかの恐れを抱く場合とか、また通り魔的な身の危険を察知するとか・・・、色んなケースはあるでしょうけれど、ここには物理的な危害が生ずる危険性がある場合もあります。


 なかには、すぐ、対策を講じなければならない場合もあるでしょう。


 しかし、音楽に恐れを抱く場合は、通常、すぐになにかの物理的な危害が、自分に加わる訳じゃあ、ありません。


 勝手に怖いだけです。


 でありますが、この『交響曲』は、やはり、かなり怖いです。

  

 ときに、なぜ、ハンスリック先生は、執拗にブルックナー先生を批判したのか?


 確からしいのは、ブルックナー先生が、ワーグナー先生の熱心な支持者だったということであります。


 ハンスリック先生は、反ワーグナー派の代表格ですから。


 ワーグナー派と目した作曲家さんは、徹底して攻撃することが多かったようです。


 ぼうずにくけりゃけさまでにくい?


 しかし、そこは一流の方ですから、やみくもに、感情的にやっていた訳ではなかったようで、相手の研究もしっかりやったうえで、自分の理論に照らしてどうなのか、冷静に判断していたようです。


 ハンスリック先生の批評の対象になるということは、一流の相手であると、認められたと言うべきことでもあったんでしょう。


 ま、しかし、そうは言っても、ブルックナー先生には、相当こたえていたらしく、皇帝陛下に対して、ハンスリック先生が自分を攻撃するのを止めさせて欲しいと、直訴までなさっていたとか。


 身の危険まで、感じていらっしゃったのかもしれません。


 大作曲家さんや演奏家さんと評論家さんの確執は、今もあるような、ですし、以前は、そうした評論も、ある意味、興味を持って、参考にしてもおりましたが、やましん、最近は、評論を読まなくなりました。


 音楽に関しては、もう、じぶんが良いと思ったら、それが、良いのだ。


 そういう、お年頃として、もう、良いのだろう。


 大体は、そう、思います。


 それに、どんな分野であれ、批判合戦は、たとえ、無関係でも、やましんの精神衛生上、かなり打撃になるからでも、ありますが。

 

 いずれ、分野を問わず、有名な方や、責任を背負った方々のご苦労と言うものは、今も昔も、なかなか、大変なわけです。 


 ご苦労様です。


 と、言うわけで、この『交響曲』は、かなり怖いけど、やはり、傑作であります。

  

 


 ・・・・・・・そと😇😈うつ・・・・・・

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