第32話 『交響曲第6番』 ブルックナー

 ブル先生の交響曲って、みんな同じ顔してる・・・・・・


 というやましんは、つまりブルックナー・ファンではないと、頭から明かしてしまったようなものであります。


 実際、シベ先生の7つの交響曲は、みな違う顔を持っているのに、ブル先生の場合は、本当に、みなそっくりです。


 しかし、ブルックナー先生が大好きな方は、そここそが魅力なのだとおっしゃるでしょう。(ブル先生に関しては、聞く人と聞かない人がはっきり分かれてしまう傾向があったようにも、かつては感じられましたが、最近のことは、わかりません。)


 日本では、いささか宗教的な感じさえも見せることがあった、かのような、ブルックナー先生の交響曲の受容ですが、やましんは、あまり聴かなかったので、とやかく言う立場では、そもそも、ございません。


 しかし、まったく聴かないわけでもなくて、ちょくちょく、とっかえひっかえ聞きますし、別に嫌いなわけでもありません。


 ブル先生の交響曲の中で、比較的やましんが好きだったのが、この『第6番』です。


 この曲は、まず、他の交響曲が、大体みな同じ、正面からのお顔と角度で、お空に向かって敬虔な祈りをひたすら捧げている中で、半分くらい斜めを向いており、少し表情が緩んでいて、柔らかい感じがします。(あくまで例えですから・・・)


 実際この曲の主調はイ長調という、ブル先生の交響曲の中では異色の調性です。


 あまり、ブル先生自身の持つ、強烈な観念に固執していなくて、より自由に羽ばたいている感じもします。


 『何とか版・・・』というブルックナー先生の交響曲につきものの、ややこしい事情がないのも、安心要素。 


 とはいえ、やましんが聴く限り、たとえば、第3楽章の中間部のモティ-フが『交響曲第5番』第1楽章の主題にそっくりだったりと、やはりブル先生らしさはあくまで貫かれております。


 結局のところ、そこがブルックナー先生の魅力であり、面白みでもあるのです。


 重厚な低音に支えられた、金管楽器の高らかな響きは、言葉は良くないけど、くせになりそうです。


 ブル先生の交響曲は、どれもとても、強烈な個性派なのに、一方で、とてつもなく、一途で、ピュアな性格を持ちます。


 ブル先生は、やはりブル先生でしかありえず、他に替えられるものはありません。(もちろん、影響を受けている作曲家は多いでしょうけれども。)


 






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