第25話 『交響曲第5番』 プロコフィエフ

 ショスタコーヴィチさまの『交響曲第5番』の向こうを張る傑作なのかもしれないのですが、どうも、やましんは何回聞いてもピンとこないのです。


 それは、曲のせいではなくて、やましんが、あほなせいなのでしょうけれど、どうも、すっきりいかない音楽なのです。


 第1楽章など聞いても、比較的素人にも分かりやすい素材を用意しているのですが、いつのまにか、姿が見えなくなり、どこかの深遠に沈んでいるのです。


 これは、プロコフィエフ先生(1891~1953)の策略なのか?


 ロシア革命時、日本を経て、アメリカからパリへと渡り、しかし、やがて祖国に戻り、それなりの栄誉も得ながら、ジダーノフ批判(1948~1958)といわれるできごとに巻き込まれます。


 多くの音楽家が批判にさらされたということですが、きっかけは、指導者様の個人的なお怒りに、いくらかの人たちが乗っかったようだ、という感じもしますが、ここらあたりは、やましんごときの手には負えません。


 真の狙いは、ショスタコ先生だったとも言われますが。


 作曲は、1944年。


 この曲にまとわりつく亡霊も、この際、脇に置いておいて、音楽自体を真摯に聴くべきなのだと思います。 


 でも、ちょっとユーモラスで、かなり素人受けする『交響曲第1番』と並ぶ、プロコ先生の人気作であります。

 

 なんとなく、見た目と違う何かを隠しているんじゃないか、と疑うやましんですが、その姿は見えません。


 と言って、じゅわーっと、来る感じでもなく、やっぱりどうも正体がつかめない。

 と言っても、もう聞きたくないや、という訳でもなく、なんとなく定期的に聞いてしまうところは、やっぱり説明不能ですが、魅力的な事は事実なんです。


 お好きな方には、いささか申し訳のないことであります。


 




 

 

 




 



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