第19話 『管弦楽のための協奏曲』バルトーク

 アメリカに渡った後、バル先生は体調の不調、うつ状態、経済的な困窮で苦境に陥っていたようです。


 それを助けようと、音楽家仲間が、大物指揮者のクーセヴィツキーさんと図って、病床のバル先生に作曲を依頼。その際クーセヴィツキーさんは破格の小切手を持参していたそうであります。


 ぐちぐちと自信がなさそうに言っていた、バル先生ですが、書き始めたら2か月ほどで書き上げてしまい、これで、かなり創作意欲が回復したバル先生は、さらに最後の傑作となった『無伴奏ヴァイオリンソナタ』(これはけっこう噛み応えのある進歩的な作品)とピアノ協奏曲第3番(最後が未完成で残ったけれど、やましんも大好きな格好いい傑作)も作曲しました。


 この作品自体は、オケマンにとってはそうとう演奏が難しいようですが、聞く側にすれば、なかなかスリリングで聴きごたえもあり、最終的にはすっきりもする傑作です。


 ただ、やましんが思うに、どうも、もろ手を挙げて「うきうき音楽」と言えるかと言うと、いささか自信がなかったので、ここに来てしまいました。


 曲の表向きの趣旨としては、クーセ先生のボストン交響楽団音楽監督就任20周年の記念など、だったので、基本的には祝祭的な雰囲気は持っています。

 ただクーセ先生の奥様の追悼記念という意味もあったようですが。


 しかしながら、この音楽そのものは、音楽そのもので、つまり、何か具体的な何かを表現しようとしたとかではなく、あくまで『音楽』そのものの音楽だと思います。(絶対音楽とか言われますが。)


 もちろん、バル先生の基礎にある『民族的な要素』は、しっかりと織り込まれていて、音楽の方向としては、シベリウス先生と共通した基盤があると思います。


 高校生時代あたりに読んだ、バル先生の伝記本(当時推薦図書、だったかと・・・)には、いたく感激し、バル先生が親に当てて「あなたがたはなぜハンガリー語(マジャール語)で話さないのですか?」と手紙を出したとか、というあたりには結構当時感銘を受けたもんでした。(オーストリア=ハンガリー帝国時代でのお話でしょう。しかし、実情というものは、あさはかで単純な、やましんの感心とは違って、様々な利権も絡んだ、なかなか複雑なものだったようですが。)


 まあ、でも、歴史は歴史として、音楽自体は大変高貴で、しかも「楽しい」と言ってしまっても構わない音楽でありますし、20世紀音楽の最高傑作のひとつ。


 聞かないのは、あまりに、もったいない曲のひとつかと思いますです。はい。

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