第14話 『亜麻色の髪の乙女』 ドビュッシー

 すぎやまこういち様の曲は、1968年発表。


 ドビュ先生の方は、もともと、ルコント・ド・リールさんという方の詩に歌曲を付けたのが始まりらしいですが、ぼくらが普通聴くのは「前奏曲集第1巻」の第8曲。これが、書き上げられたのは、たぶん1910年。


 もちろん、詩人さんや作曲家さんが、イメージしていた人が、みな同じ方であるはずはありませんが、具体的には、いったい、どんな人なんだろうかなあ、と、やましんも思いますが、自分の頭には、まったく、イメージが浮かばずです。


 でも、ドビュ先生の曲は、同じ曲集の中でも、異例なくらいにロマンティックで穏やか。


 学生時代から、難癖付けたり、喧嘩を売ることも、わりと得意だったらしいドビュ先生にしては、なんとも平和な、安定感の強い、本当に穏やかで、良い音楽です。


 しかし、これがまた、実に、短いのです。


 そこが、また、愛おしくも、良いのですなあ。


 若いころに聴いたのと、60歳もとうに越えてしまって、今、聴くのでは、曲は同じでも、やや感慨が違う感じもします。


 なんか、すっごく、はかないのです。


 ごたごた、勝手な三角関係とか(これはもう、前世紀の大昔のことです・・)、勝手な職場内のごちゃごちゃとかで(これはまだ最近)、自分勝手にもめたのも、なんだか、夢のようです。(やましんも、けっこう頑固ですからね。まあ、いまだ、悪夢には、なりますけれども。)


 やはり、結局は、『苦悩』ということ自体が、どうやったって、自分勝手なものですかなあ。


 べー先生の音楽は、『そこを自ら乗り超えよ‼』、とおっしゃるのですな。


 死に至る病の中でさえも、明るく元気に『生』を語る方を、テレビなどで見ると、その強さにうたれます。



 そうそう、あの、『アニー・ローリー』なんかは、良いお歌です。


 ああいう、昇華された、気高い境地には、まだまだ、やましんは、至らないなあ。


 もっと、孤独と、修養とが、必要とみた・・・みたかな・・・?


 数年前、「30%の確率で、『がん』ですなあ」、と言われただけで、気の小さいやましんは、相当、ショックでしたから。


 そりゃあ,まあ、現実から逃げてるだけだろ、とも思いますが。



 でも、とにかくも、この曲は、実に良い音楽です。


 幸せを、持ってきてくれそうです。


 夜の静かなひと時の、おともに、ぜひ、どうぞ。


 




 

 

 


 







 


 




 



 




  

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