第11話 『イエナ交響曲』 ヴィト
20世紀の半ばまでは、ベートーヴェン先生の、若いころの作品じゃないかと言われ話題になっていた作品です。
まあ、ヴィト先生は、べー先生と同じ1770年のお生まれとか。
これはだいたい、1792年か1793年の作品とかだそうです。
べー先生は、1790年に初めてハイドン大先生と面会し、1791年にはモーツアルト大先生が亡くなり、1792年には、またハイドン大先生と再面会した後、ウイーンに留学をした時期です。
この曲自体、頭から随分ハイドン風な音楽ですから、時期的にはぴったりだったわけでしょう。
まあ、しかし、実際はべー先生じゃなくて、ヴィト先生の作品だったわけです。
そうわかってしまうと、なんとなく世の中の表舞台からは見えなくなってしまうものなのか、一部の音楽好きの中では、『そうした曲があったぞ!』『たしかコンヴィチュニーさんあたりの指揮のレコードが、昔はあったぞお。』
という程度になってしまうのです。
現在は、しかし録音自体がない訳ではございません。
その気になれば、CDがちゃんと出ております。
まあ、こうした背景があると思ってこれを聞きますと、なんとなく、じんわりとする部分があるのです。
第1楽章の冒頭なども、ハイドンさま的と言えば、そうですが、けっこう気合いが入っております。
その後の音楽だって、ハイドン先生の作品みたい、といえば、それも、そうなのですが、なかなか聞かせてくれます。
しかも、第4楽章が、いちばん個性的で、これは優れたよい音楽だと思います。
まあ、世の中思うに、中身はともかくとして、『とある有名人』が書いた本だから、売れる、という事態は、結果的には、結構ありそうな気はします。
しかし、それは世の中の人が、その方に大いに興味を持ってくれていると言う証拠であって、『どうせ、中身よりは、七光りだろう』とか言って、あざけるように軽く済ませるのも、正しい態度とは言えないでしょう。
実際に、天は二物も三物も四物も与えてしまうのですから、例えば、文章が抜群に上手くて、お話もまた面白い音楽家の方だって、たくさんいらっしゃいます。(・・ました。)
おまけに、知識や想像力だって、やっぱり並外れて、すごかったりするのですから。
(ただ、なかなか口の厳しい音楽評論家の方などには、『あの方は、音楽より文章の方がいいんじゃない?』とか言ったりしたケースも、なんとなあく、もしかしたら、あったような気も、いくらか、したりしなかったりも、いたしますけれども。このあたりは、専門家同志の、小競り合いというところでしょうか。素人には、こうしたあたりも、実は興味があったりしますし、また、だから、よけいにお互い売れたりもするのかもしれないです。世の中の多くは、いろいろと、関連し合って動いているのですから。そこを読み解くなんて方もいる(政治家さまとかも・・)のですから、どうやったって、頭の良い方には歯が立ちません。ただ、なあんか、甘く見られてるようだなあ、とか、という、感じがすることもあるのは、あるのですね。でも、事実ならばしかたがないかな。・・・あ、、。、もう、わからなくなったので、、、やめましょう。)
*最近は、ナクソスレーベルから出ているCDがありました。
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