第7話 『ピアノ協奏曲第4番』 ライネッケ

 やましんが、60歳そこそこで、すでに、この世の役立たずなのは、お仕事を辞めなければならなかったことで、きっぱりと証明されたわけです。


 ところが、この世の中には、70歳になっても、さらに80歳近くになっても、バリバリで作曲活動が出来た、ものすごい方もいらっしゃいます。


 このライネッケさまなど、その代表例なのです。


 お生まれになったのは、1824年です。

 つまり、まだべー先生もご健在で、しかも、あの『第9交響曲』が完成した年なのです。

 

 ところが、亡くなったのは、なんと、1910年です。

 もう、とっくに録音機もあり、1890年には、東京と横浜で電話のサービスが始まっています。

 

 ライネッケ様は、シベ先生とほぼ同じ時間を生き抜いたわけですが、違うのは80歳にもなろうというのに、ばんばん作品を生んでいたこと。(いまとは時代が違います。)

 もうちょっと言えば、ブラームス先生より、9つも年上なのです。


 この曲の作品番号は、なんと『254番』。作曲されたのは1901年とか。


 これは、まさにシベ先生の、あの『交響曲第2番』が、書かれた年です。

 また国木田独歩さまの『武蔵野』、与謝野晶子さまの『みだれ髪』の現れた年であります。

 ついでに言えば、落語界のベートーヴェン、柳家金語楼さまが、お生まれになった年でもあります。(これは、やましんが勝手に名付けたものですので・・)


 ところが、この曲自体は、なんとなくメンデ先生風の音楽で、きわめてロマンティックな趣です。


 1899年には、すでにシェーンベルクさまの『清められた夜』が登場していて、『グレの歌』の作曲が、もう始まっていました。


 クラシック音楽の中心主体は、調性のある音楽から脱出して、十二音技法から戦後はセリー、とか、というものへと進み、やがて、なんだか崩壊して、20世紀の後半になると、また調性音楽への回帰も進みます。(やましんには、あまりに難しすぎて、ほぼ理解不能な領域ですけどもね。)


 で、要は、すでにライネッケさんの音楽は、前世紀前半の、文化的遺物のような感じになっていたわけです。


 しかし、歴史に『もし』はダメよ! なのですが、もし、べー先生の『第5交響曲』とかが、1901年に書かれていたとしたら、それは時代遅れの遺物として、いまでも顧みられない事になっていたのか?


 それとも、すごいものは、やはり、すごいのか?

 

 いささかこじつけではありますし、異論もあるでしょうけれど、それでも、確かにライネッケ様のこの曲は、20世紀の夜明けに書かれた、正真正銘、間違いなしの20世紀の作品なのです!


 そこんところも踏まえて、でも、これがまた、良い音楽なのですなあ。

 やや薄暗いけれど、それよりは英雄的な第1楽章。

 実に美しい第2楽章。

 ちょっと暗めに始まりながら、やがてしっかりとした足取りで、確信に満ちた中に終結してゆく終楽章。


 時代遅れとか、時代錯誤とか、もし若い方から言われていようとも、そんなことには、びくともしない、自信にあふれている、気高い作品なのです。


 立派です!

 60歳以上の人が、模範とすべきものでありましょう。


 そう、言いたいです。









 


 


 



 

 





 

 


 





 




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