第6話 『交響曲第5番』 ベートーヴェン
日本国憲法第27条 『すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。』
これを文字通り素直に解釈したら、やましんは憲法違反状態にあります。
でも、まあ、なにせここは『外うつ』でありまして、憲法講座でもなく、憲法を考えるページでもありませんから、ゆめゆめ、解釈改憲しようなんて考えているわけではありません。
しかし、こうして毎日原稿をぼつぼつ書いている(当然収入はゼロ)のですから、大きな範疇で言えば、『労働』していないわけでもありません。ただ、これは『業として』おこなっているとは、言えないのです。
なんで、そんなお話が出るかと言いますと、クラシック音楽界において、この作品はいわば、『憲法のような』存在だからなのであります。(すごいこじつけですがね・・・)
この曲に反逆するようなことを言ったら、大変な事になりかねません。
なにしろ、すべてが完璧であり、模範であり、人類の誇りなのですから。
『なんか変な音楽だよな』なんて言ったら、『どこが変なのか指摘してみなさい!』となり、それは、なみの素人には到底叶わない事柄なのですもの。
やはり、こいつは、西洋クラシック音楽界最高の『権威』なのです。
そこをふまえて、語らなければ、なりません。きっとね。
この作品が初演されたのは、1808年12月22日であります。
しかし、べー先生はこの少し前の日に、合唱団員の少年がろうそくでいたずらしているのを見つけて、殴ってしまったらしいのです。
これは今で言えば、部活の先生が生徒に暴力を振るったと言うことみたいなものでしょうから、周囲の方々が怒ってしまって、べー先生はリハーサルの指揮を拒否されてしまったらしいです。
しかし、もし今日であれば、演奏会自体が中止になるところでありましょうし、べー先生は傷害罪で起訴される可能性が高いかと。
この日のプログラムは、恐ろしいものです。
4時間にも及んだとか・・・
今の聴衆なら、狂喜乱舞しそうですが。
まず交響曲第6番(田園交響曲)の初演、アリア「ああ不実なる人よ」、ミサ曲ハ長調の一部、ピアノ協奏曲第4番(公式な初演、非公式には前年に実施。ソロは本人)、そうしてハ短調の交響曲(つまりこの第5番の初演)、ラテン語賛歌、ピアノ独奏の幻想曲(これらは、いったい何だろう?)、最後に合唱幻想曲(『第9交響曲』の有名なテーマと良く似た主題を持っています)。
しかし、ものすごい名作がずらりと並んだ歴史的なこの演奏会は、予定の出演者が相次ぐトラブルで何度も変更になったり、プログラムの印刷にミスがあったり、結局練習がうまく行っていなかったり、さらに本番でのアクシデントが相次ぎ、アリアは歌手が結局歌えなくて割愛となったり、怒ったべー先生が、やり直しを指示して怒鳴りまくるわ、寒くって聴衆は凍えるは、で、大失敗だったと宣伝されてしまう事態となり、散々だったようです。(『参考』 平林 直哉さま『クラシック名曲&初録音辞典』2008年大和書房 : 大築邦雄さま『ベートーヴェン』昭和37年 音楽之友社)
経済的にも上手くなく、べー先生にはかなり痛手だったようです。
ただ、実際に我慢強く聞いていた方が、どう思ったのかが伝わっていないようなのですね。
ここが一番知りたいわけなのですけれど、どうやら当時も、中身よりはスキャンダラスな事の方に興味が行ってしまったと見えます。
もし、録音していた宇宙人などの方がいらっしゃいましたら、CDにしたりするとものすごく儲かると思いますが・・・。いないかな・・・。
クラシック音楽界の憲法の発布は、意外と無残な状態だったらしいのです。
つまり、この曲が、今のような大きな「権威」となるためには、たぶんその後の歴史の流れがいくらか必要だったわけです。
天才少年メンデルスゾーン先生は、ゲーテさまと1821年に会って以来、ゲーテ先生のお気に入りだったようですが、ゲーテさんは、音楽の好み的には保守的で、モーツアルト様の音楽あたりがお好きだったようです。そこで、メンデ先生は、べー先生のすごさを分かってもらおうと、確か、やましんの記憶が間違っていなければですが、いつの時にか、この曲もピアノでゲーテさんに聞かせたらしいですが、「地球(建物?)を壊してしまいそうだ!」などとか、おっしゃったとか。(元ネタの本がどうしても出てこないので未確認、すみません。)
この1821年では、べー先生はまだ現役時代ですが、多くの一般の方の好みも、(ゲーテさまは一般の人じゃないでしょうけれども。天才同士ですから、むしろ誰よりもべー先生の破壊的なすごさを理解したんだろう、と言う解釈もあるような)どちらかというと、まだモー先生時代の音楽にあって、べー先生は遥かな前衛だったんだろうかなあと、思います。
ゲーテ様とベー先生は、共通の知人だったベッティーナ・フォン・アルニムさまの画策で、歴史的な会見をすることとなったのですが(1812年)、お互い、こいつはやはり、ただものではないと、思ったとは思いますが、すれ違いの逸話の方がいっそう伝わってきています。でも、これはここではパスいたしましょう。
冒頭の音4つ、は極めて有名で『ジャジャジャジャーン!』と形容されます。
しかし、スコアを眺めますと、ハ短調4分の2拍子で、あたまには、八分休符が一個あります。
まあ、こいつが、もすごく曲者で、大変な休符な訳です。
これがなければ、この曲自体が成り立たなくなるくらいの、おお事なわけなのです。
宇宙の開闢から、今、この時までの時間が、この休符に込められるように演奏しなければなりません。(やましんの勝手な言い分ですけども)
となると、休符の後の音をいつ出すかが問題です。
名指揮者フルトヴェングラー様の場合は、もともと指揮棒が体全体と共に、ゆらゆらと揺れるものですから(むかしのビデオを見たら、本当にそう思います)オケの楽員の皆さんも、ちょっと、どこから始めて良いものか、最初は困ったらしい、とか・・・。
しかし、これはフルヴェンさまだけの問題ではなくて、常について回るものでしょう。
「う! ウンメイ!」なのです。
まあ、『地球の重さをも支えうる』とか、言われたりもするように、この曲のすごさは、たぶんまず構造の完璧さにありますが、ただ、「すげー建物!」と思うだけではなくて、否応なく、聴き手を、何だか、とにかく、いたく、ひどく、どうにも、やましんのように、よくわからないままにでも、感動させてしまわずにはおかない、その、もすごい腕力にあります。
スコアを見れば、意外と思うくらい、簡潔ですっきりとしたもので、ロマン派以降の交響曲のように、ごたごたと音が混みあってはいません。(まあ、べー先生は楽譜の書き方が汚くて読みづらく、また後世の人が、いろいろと、いじったこともあるようですが。)
それでも、こんな、とてつもない音楽が出てくるわけです。
ときに、何事につけ権威が嫌いな方にとっては、おそらく、この曲なども、どうにも、扱いずらい音楽です。
敵味方どっちも、西洋音楽を普段聴く範囲内では、大体は皆、ほめたたえるのですからね。
おまけにこの曲は、当時は、反権力の象徴のような立場の音楽です。
どうしてもいやな場合は、特にアマチュアの場合は、理屈をつけようとすると、かえって、なかなかこの、ベー先生には多分勝てません。
「嫌い!」
で、終わらせた方が、むしろ良いかと思います。
(あ、深い意味はないですから!)
時に、さすがにこの曲の録音というものは、ものすごい数に上るに違いないと思いますが、『クラシックプレス』誌2000年秋号で、この曲の世界初録音は、通説のA,ニキシュさま指揮による1913年の録音ではなくて、1910年に行われた録音であると言う報告がありました。
そうした『不完全な録音』があると言う事は、昔から言われていて、レコードの解説にも書かれていたものなのですが、なかなか実物は聞くことが出来ずにいたものなのです。
記載されたオーケストラのお名前が、Grosses Odeon Streich-Orchester だったりもしたので、弦楽合奏だけのものなんだろうと考えられていたようです。
SP盤には、指揮者も記載されていないらしいです。
やましんは、その後出たCDで聴きました。(WING WCD 62)
第1楽章がすっごい勢いなのが印象的ですが、確かに、全体的に早くて、しかも、管楽器の音も、ティンパニらしき音もちゃんとします。カットもないようです。
録音時間の関係で、アップ・テンポにしたのかな、なんて素人的に思ったりもしましたが、それにしては第2楽章はそれなりのゆったりなので、そういうわけでもなさそうだなあ。
まあ、やましんは、その後20年近く、進歩なく退歩の一路を辿りましたから、今は、新しい事がわかっているのかも。
1910年と言えば、おお昔のことのようですが、それから半世紀もしないうちにやましんもこの世に出て来ていたわけなので、まあ歴史の中から言えば、つい最近ですね。
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