第5話 『交響曲第1番・第3番』 マデトヤ
シベ先生の長い君臨下で、『交響曲』という分野において成功できたフィンランドの作曲家は、このかたのみだったと言われます。《レーヴィ・マデトヤ1887~1947)》
これは、輸出入の特化というような現象に似たようなところがありまして、巨大な権威がある分野では、どうがんばっても成功がおぼつかないため、その権威から外れたところで活路を見出すと言う政策であります。
たとえば、オスカル・メリカントさんは歌曲の分野ではシベ先生よりも人気があり、またキルピネンさんも、歌曲の分野で、大量の作品を書いて、非常に名を上げました。
また、シベ先生は『歌劇』に進出することが事実上できなかったので、そこにもねらい目はありました。
マデトヤさまは、その歌劇の分野にも進出し、「ポホヤの人々」では大成功を収めています。
で、マデトヤさまの3曲の交響曲の中で、一番深淵なのは『第2番』です。
そこで、これはそう簡単には行かない曲でもあり、ちょっと先送りにしまして、親しみやすい『第1番』と『第3番』を取り上げました。(ちょっと逃げたわけですな。)
たしかに、シベ先生には全くない独自の音楽なのです。
とても独創的で、ユニークで、なおかつ親しみやすいメロディーを持ち、どこかフランス風にあかぬけていて、大変に、面白いのです。
ま、このあたりが、シベ先生を向こうに回しても成功できた要因なんでしょう。
マデトヤさまは、実際音楽学校でほんの短期間教師をしていたシベ先生のクラスにいたことがあるようで、教師としてのシベ先生の感想を伝えていたりもするようです。(菅野浩和さまの「シベリウス 生涯と作品 昭和42年 音楽の友社)
『交響曲』というと、なんとなくおどろおどろしい感じもしますが、マデトヤさまのこの2曲、聞く方によっては、「なんか盛り上がらない」とおっしゃるやもしれませぬ。
たしかに、マデトヤさまのこの音楽には、盛り上がっても長続きはしない、という特徴があります。
全体的に、沈潜しがちで、しつこくなく、わりと、さらっとゆくのです。
薄口の、とてもおいしい、コンソメスープみたいな感じです。
大声は、まあ、上げないのです。
そこがよいのですなあ。
底が浅いと言うのではありません。
それを言うならば、やや、簡潔で、どこか神秘的、と言った方がよいかもしれません。
まあ、音楽は言葉にはならないといつも申しますが、これなんか典型的なそうした音楽ですので、まずは聞いて見てください。
お気に入れば、大変、けっこうな事であります。
ぼくには、大変、お気に入りです。
ときに、マデトヤさまには「オコン・フオコ」という、謎のバレー音楽があります。
この作品の題材は、日本の伝説である、と、いうことなのですが。
で、マデトヤさまは、この「オコン・フオコ」という言葉自体に、大変日本を感じていたのだそうでありますが、この言葉は、一体全体、何なのでしょうか?
「おかめとひょっとこ」なんじゃないか、と、ネット上で見ると、とも、言われるようですが?
そこで、イギリスのシャンドスレーベルから出ていたCDの解説書を見ると。『マデトヤさまは、Ⅰ幕もののバレ-・パントマイム「オコン・フオコ」から三つの組曲を計画していたが、完成したのは一つだけだった。「オコン・フオコ」は日本の人形作り師で、突然彼の作った人形のひとつ「ウメガワ」が、命を持つようになった。そうして彼を自殺に導いて行く・・・・』と。こあ~~!!
『ウメガワ』といえば、近松門左衛門さまの人形浄瑠璃『冥途の飛脚』にでてくる、ウメガワさんが有名でしょうか。
恋に溺れて公金を横領した「飛脚忠兵衛」と「遊女梅川」の恋の逃避行。
故郷にまで逃げたが、結局捕縛されてしまうと・・・
もともとは、実話が題材になっていたようです。
『人形浄瑠璃』というところが、なんだか関係性を暗示しているような気もいたしますが。果たして、これと、関係があるのでしょうか?
*なお、ALBAレーベルから、全曲版のCDも出てます。そちらの解説書をどうぞ。
こちらは、1711年の初演らしいとか。
「オコン・フオコ」は、ずっとあとで、組曲の初演は1927年。
すでに、『相対性理論』などもとっくに出た後ですから、もはや現代の領域。
しかし、そうすると、これは、人の名前かな?
それにしては、なんか変な名前だぞ。
漢字にならないなあ・・・
きっと、文楽関連のどこかに、もとの名前があるに違いない、と思ったのですが、今のところ思いつきません。
もとのリブレットは、デンマークのポール・クヌッセン様によるものとか。
やましんには、このあたりの言葉はわかりません。興味のある方はお調べくださいね。
もっと若い時期だったら、こんなことの研究もしてみたかったような気がします。
元気がなくなりました。
《追記》
ときに、『オコン・フオコ』を聞いてみますと、マデトヤさまが日本の音楽について、知識を持っていたことは確かなようです。
「男の踊り」の冒頭の笛の音などからは、どうも実際に聞いていたのではないかという気がしてきます。
フレッド・ガイスバーグさまは、1903年の正月に長崎に到着し、その後、神戸、横浜とめぐり、そのあと、かなり大量の日本の音を録音してゆきました。
それを聞くと、当時の雅楽の笛の音などもしっかり残っています。
1900年のパリ万博では、「オッペケペー節」の録音が行われたという記事もありました。(音は聞いてないですが)
その後は、日本側でも録音がどんどん行われるようになってゆきました。
具体的に《何か》を聞いたという事実は存じ上げませんので、まあ、そうした録音などを、実際にお聞きになっていた可能性は、十分あるかなあ・・・という、ことでございます。 (参考 《全集日本吹き込み事始め》~東芝EMI)
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