第569話 誘い

「オルオンさん、教授騎士の首領として命じます。今すぐ、この実験を止めてブラントさんを死人に戻してください」

 

 僕の言葉に、オルオンは右頬を上げた。

 

「教授騎士としては別に構わんが、研究者としては従い難いね。難しい決断を迫ることだ」

 

 僕はこの、決定的に見えているものが違う男と問答がしたい訳じゃない。

 ブラントを消滅させ、きちんと死の世界へ叩き落してやる。

 そう思っていると、オルオンは手近な椅子にゆっくりと腰掛け、顎髭を撫でた。


「だが、アンタを担いだのも俺だ。逆らいはしないよ。おっかない目で睨むのはよしてくれ」

 

 ヘラヘラ笑うと、オルオンは手近な管をハサミで切断した。

 そこから漏れるのは魔力だ。


「濃厚な魔力が注がれなければ。生命として決定的にアンバランスな存在など生きてはいけない。ブラントが死の間際に見た、淡い夢もこれで終いだな」


 夢だとすれば、今際の際に酷い悪夢を押し付けられたものだ。

 僕がそう思っているうちにブラントは倒れ、痙攣し始めた。

 

「結果は十分に取れた。この死体は、他の部屋で飼っている小鬼にでも食わせようか」


 先ほど見せられた妖精以外にも、まだ何者かいるのか。

 僕は暗澹とした気持ちになりながら、頭痛の鳴る額を押さえる。


「いいです。僕が墓地に埋葬します。後で墓地まで運んでください」


 そうして、こっそりと墓に弔うのだ。墓守の特権としてそれくらいは許されるだろう。


「それは構わんが、運び人夫の出面はアンタが払ってくれよ。そこは俺の興味外だから」


 オルオンの要求を僕は受け入れて財布から金貨を一枚取り出した。口止め料が込みだとしても十分な金額である。

 と、ボルトが倒れたブラントの傍に屈んで顔をのぞきこんでいた。


「ああ、来なきゃよかったな。面倒くせえ」


 何となく、流れでついて来てしまったボルトは後悔を滲ませながら深いため息を吐く。


「とりあえず早く帰ろうぜ。この建物がなんか嫌なんだよ。上手くは言えないけど」


 ほとんど僕と同じ意見を示し、ボルトは頭をボリボリと掻いた。

 そうして、さらに付け加えるのならやってきた廊下を一人で歩くのも嫌なのだろう。気持ちは痛いほどわかる。

 

「ブラントの死体は手配して今日か明日にでも持って行こう。じゃあ、母屋でお茶でも出そうか?」


「全然、いらねえ。御頭だけ飲んでいきなよ」


 ボルトの言葉に、僕も首を振って辞退を示した。

 オルオンとしてもどうしてもお茶を飲ませたかったわけではないらしく、あっさりと受け入れて廊下へと出た。

 そうして来た時と逆の道のりを通り、妙な服を着こんだり脱いだりもしながら、まだ縛られたままの目隠し、耳栓、轡を着けた男女の横を通ってようやく外へ出た。

 時間としてはそれほど長くいなかった筈なのに、ひどく疲れていた。

 外は明るく、本当に悪い夢を見た気分であった。


「じゃあ、死体の件はよろしくお願いします」


 僕もそれだけ告げると、オルオンとグランビルを残して屋敷を去ったのだった。

 

 ※


 街に戻ると、通りが騒がしかった。

 この騒ぎは以前にも覚えがある。

 

「こりゃ、エランジェスのところの連中だな」


 ボルトが道に転がる死体を見て呟く。

 私刑に遭い、ひどく暴行を受けたような死体は転々と、道に転がっていた。

 しかし、その死因は残党狩りの為に意気揚々と飛び出して行ったディドの手によるものではない。

 ディドがやったのならば、もっと大雑把にバラバラになっているはずだ。

 小さな刃物で刺された様な傷や、石か棒で叩かれたような跡を見るに、死体は複数の人間に囲まれて暴力を振るわれたのだとわかる。

 前回、エランジェスが都市を追い出された時もこんな具合に配下が殺されていたのを思い出す。

 突然戻ってきたエランジェスとその一党が、この都市で大勢の人間を的に掛けて攻撃し、殺害したのは事実である。そうやって押さえつけられた連中の生き残りが、吹きあがったのだろう。

 当然、きっかけは僕がエランジェスを公衆の面前で殺害したからだ。


「理由の立たない殺人ですけどね」


 僕は誰にともなく呟く。

 ブラントに着いていった者を罪に問わないのとは、全く違う。この殺人には免罪されるに足る理由がないのだ。

 ただ、それを防いだり捜査したりする領主府の能力が飽和して、まったくどうにもできないのは事実である。


「理由はなくとも切っ掛けがありゃ、暴徒は生まれるもんだ。俺の店は大丈夫かな?」


 ボルトは投資の一環で、いくつかの青果店や雑貨店などを経営しているのだ。

 苛立たし気に呟くと、通りを指した。


「俺の店、一番近いのがすぐそこだからさ。見に行こうと思うんだけど御頭もちょっと付き合ってくれよ」


 おそらく暴徒が店を襲っていた場合、僕を証人にして自らの暴力が必要なものだったと示したいのだろう。

 特に断る理由もないので、小走りに移動するボルトを追いかける。

 ボルトの店は確かにすぐ近くで、曲がり角を二つ曲がると辿り着いた。

 そこは花街の端で営まれる青果店で、大通りの喧騒も混乱もそこまでは伝っていなかった。

 ボルトは店員に、今日は店を閉めるように命じると自ら率先して表の扉を閉じる。

 それを通りから見ていると、すこし離れた建物から悲鳴が響いた。

 見ると、店舗の出入り口から数人が飛び出してくる。その手には金や商品を握っていた。

 便乗強盗だ。

 見てしまったのだから仕方がない。僕はとっさに魔力を練る。


『流星矢』


 小さな光弾が無数に飛び、強盗犯たちのふくらはぎに穴を穿った。

 強盗犯たちが訳も分からないままに倒れると、大きな麺棒を手にした男が同じ建物から飛び出してきた。

 こちらは被害者らしく、殴られたのか頭から血を噴き出している。

 そうして真っ赤にした頭のまま、犯人たちに麺棒を振り下ろした。

 もはやどちらのものか分からない血で路上は染まっており、花街の大通りを見渡すとそこかしこでその様な乱戦が繰り広げられていたのだった。

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