【限定公開】第2章中挿話1 奴隷の思い出

 酒場には人相や特徴が書かれた板切れが壁に貼られている。領主府から配布される手配書だ。

 仲間と食事に来たのだけど、雑用を済ませてから来るという仲間たちに先立ち、一人で机に座った僕の目は、見るとはなしに壁に打ち付けられた人相書きを眺めていた。

 と、そのうち一つに目がとまる。


『男、中年。詐欺師の類い。無許可の奴隷商いを行う。栗色の髪、首元に大きな火傷痕あり』


 多分、その中年男を僕は知っていた。

 賞金は金貨で五枚というところなので取り立てて凶暴というわけではないだろう。

 しかし人相書きの板きれも随分と薄汚れているのでもう打ち付けられて時間が経っているらしい。

 果たして、この男が逃げおおせているからか、それとも捕まったにもかかわらず木切れが忘れ去られているのかは判別がつかない。

 わざわざ領主府に行って担当官に尋ねるほどのうまみもない。

 今の僕があるのはこの男のお陰であるとも言えるが、礼をいう筋でもない。

 仲間が来れば、それでもう忘れてしまいそうな思い出を僕はぼんやりと思い返していた。


 ※


 故郷の村で捕まえられたり、売られたりして奴隷になった人間はその瞬間から経済動物に成り下がり、抵抗するのが無駄だと理解するまでボコボコと殴られる。

 そして同時に、財産として保護を受け始める。

 奴隷商たちは自らが喰わなくても奴隷に飯を食わせ、移動中は毎晩交代で歩哨に立ち、僕たちには十分な睡眠を取らせた。自らの足で歩きながら馬車には僕たちを乗せた。

 もちろんできるだけ高い値段で売り払いたいからだ。

 そうして道すがら、従順になった奴隷から順に特技や経験などを聞き出し細かく表に纏める。

 彼らが言うには、少しの技術が大きな待遇の差になるということで、編み物や大工仕事など、なにごとか語れる者は沢山の技能を並べていた。

 正直に言えば、この旅路自体はそう悪いものではなかったと思う。

 反抗的な態度をとったとされて殴られる以外は。


 目的地である都市郊外の奴隷商キャンプに着き、僕たちはしばしの磨き期間に入った。

 奴隷キャンプの生活は、商品の価値を上げる為に営まれている。

 病気になれば苦労して遠方から運んできた商品を廃棄せねばならず、また伝染病が広がれば奴隷商たちは大損を被ることから、排泄場所はきちんと設置されていたし、三日に一度は着ている服も交換された。

 しっかりとした服や寝具を与えられ、食事も栄養価が高そうな肉の煮込みなどが並ぶ。

 僕を含めて大多数の商品達にとって、それは考えた事もないようなご馳走で、食事の時間になれば我先にとむさぼり喰ったものだ。

 別に、奴隷商たちが優しいという事ではない。

 商品同士の接触については厳しく制限されていたし、そもそも勝手にしゃべることを禁じられていた。これを指摘されるときは、他の商品にもわかるように特に厳しい制裁が待っていた。

 また、キャンプで働く売れなかった奴隷達は粗末な食事でやせこけていたし、粗相をすれば容赦なく殴られ、蹴飛ばされていた。そして、気づけばひっそりと死んでいた。

 彼らは折れた歯で、あかぎれた手で、ひび割れた肌で、死んだ目で奴隷の立場を雄弁に教える教師でもあった。


 思えば最初から殴られ続けたのも、奴隷としてのあり方を教え込む教育の一種であったのだろうけど、奴隷キャンプでは狭義の教育も行われていた。

 それまで文字という概念も知らず、見たこともない蛮人たちに文字の読み書きを教えるのだ。

 講師役の男は居並ぶ商品を前に、熱心にそして割合丁寧に文字を教えていた。

 僕はそれまで教育というものをきちんと受けたことがなくて、その男が話す言葉に大いに感銘を受けたりしたものだ。


「いいか、文字を読めない奴隷が出来る仕事は限られる。農場か鉱山だ。そこは死亡率も高い。わかるか。死ぬんだよ。おまえ達がもし、生き延びたいのならそれこそ必死で勉強しろ」


 生きたいのなら学べ、そして付加価値をつけて俺を儲けさせろ。

 これは後の僕を形作る要因になる。学び、他者に利益をもたらさなければ生きていけない。僕が陥ったのはそのような立場だったのだ。


 そうして、所定の期間をキャンプで過ごした僕は、問屋的奴隷商から小売りを専門にする奴隷商たちの前でオークションに掛けられた。

 一列に並ばされた商品に購入希望者が群がり、その全員から職員が希望額を聞いてまわる。当然、最も高額な値を付けた者に引き渡されるのだ。

 まず、女から売れていく。

 次に頑健そうな男が売り切れた時点で客の大半が帰ってしまった。

 残っているのはクセのありそうな連中ばかりである。


「おい、お前は字を読めるか?」


 僕のそばには背の低い顎髭の奴隷商が寄ってきた。

 いかにも胡散臭い顎髭と濁った目つき。脂ぎった栗色の髪と首元から肩に伸びる火傷痕が特徴的だった。

 僕が頷くと、彼は満足そうな表情で職員を呼び寄せる。二人は何事か話し、すぐに僕は彼に売られる事が決まった。

 おそらく捨て値だったのだろう。投資した分も取り返せたのか怪しいが、売主の態度を見れば大損だったと思われる。

 長い期間を一緒に過ごし、実の親よりも熱心に面倒を見てくれた奴隷商たちの表情に、僕は珍しく申し訳ない気持ちになったのを覚えている。


 買主はすぐに僕を連れ、都市で貿易商を営む男の下に持ち込んだ。後のご主人であるラタトル商会の会長である。


「冒険者用の奴隷を他で買ってごらんなさい。金貨五十枚はくだらない。そこいくと、アタシはほんの三十枚で譲ってあげましょうと言っているんです。なに、急ぎの支払いでちょっとした金がすぐに必要なんですよ。そうじゃなきゃ、ね。文字の読み書きまで出来る奴隷をこんな値段で出しゃあ、しないですよ!」


 胡散臭い外見の押しかけ商人と、彼が連れた貧弱な少年にご主人は首を傾げていた。

 僕と商人に対して、いくらなんでもこれはないと判断したのだろう。

 しかし、詐欺師も心得たもので困った様に顎を掻くと、周囲を見回し口元に手を当てて秘密を話すように囁く。


「しかたがない。本当はこんなに値引きしやしないんですよ。だが、アタシも急いでいる。現金一括払いなら金貨二十枚でどうです。アタシにだって他に対するメンツがあるんで、これはアタシたちだけの内緒ですよ」


 ニヤリと笑う奴隷商は見た目の胡散臭さが相まって、世界中に誰も信用する者はないように思えた。

 しかし、ご主人は『金貨十枚の値引き』にやられて考え込んでしまった。

 確かに小さい金額ではないけど、それでも商人の表情を鑑みれば、仕入れ値と差し引きで十分に利益が出ているはずだ。


「冒険奴隷に対する貸し付け額として金貨二百枚は堅い。元手はもちろん、金貨二十枚。これがどれくらいの儲け話になるか、冷静に考えてごらんなさいな。こういうのはね、早い内に始めた者が儲かる様に出来ているんですよ。手頃な金額から初めてみて、上手くいけば投資額を上げる。それが金儲けの基本じゃないですかね」


 ヒッヒッヒと笑う男に、ご主人はついに購入を決めた。

 どうしてそういう結論に至ったのか。今でも不明であるが、詐欺師と詐欺被害者はえてしてそういうものなのだろう。

 三人で奴隷管理局へ行き、手続きを終えて男は金を、ご主人は僕を手に入れた。

 

 男はさっさと去り、不安げな表情のご主人と僕だけが残された。


 ※


 ご主人は僕を買ったことを家族や家令に話したが、そこに至ってどうやら調子のいい商人にクズ商品を掴まされたと悟ったらしい。

 それから数日、彼はひどく不機嫌だった。

 しかし、初志貫徹で僕は冒険者組合に入れられ、今に至ってご主人の役に立っている。

 

 もし、あの場にあの詐欺師がいなければ、僕は冒険者になることはなく奴隷キャンプで働く痩せた奴隷たちに混ざっていたかもしれない。

 そう考えれば、彼は重要なきっかけを作った男であるとも言える。

 目の前に来たら捕まえて賞金と交換してやろうかと思いながら、僕は運ばれて来た木の実を囓った。


 それから間を置かずに仲間たちはやってきて、各々の料理を注文しはじめる。

 それだけで彼らに比べれば欠片も大事じゃない詐欺師の顔は、僕の記憶から消えていくのだった。

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