第526話 二日目

 朝日が昇ると、城壁の前からはすっかり死体が片付けられた。

 散らばった肉片はよく見ればそこかしこで蠅にたかられて黒くうごめいているが、大きなものはほとんど、裸に剥かれて河に捨てられていた。

 水堀も埋められた石や土砂などは取り除かれ、破壊された木柵も修復が完了している。

 守勢側の利点である。

 僕たちは今日の夜襲はもう来ないだろうと判断して、城壁に上がっていた。

 いびつさを魔力で誤魔化した不健全な生命体である多頭竜は最初の戦闘から少しして崩れ落ちており、水堀の外側で不気味な肉の塊として腐臭を放ち始めている。

 最初から、戦力というよりも情報を持ち帰ったメッシャール兵士を不気味がらせ、戦闘意欲を削ぐことが主目的なのでこれで十分なのだ。

 などとやっていると、ちらほらと伝令兵が戻ってきた。

 彼らは別働隊として動かした精鋭兵士の部隊や、傭兵団、盗賊団などが成果や情報を伝えるために送って寄越したのだ。

 一様に多頭竜の死体に驚きながら、差し出された板を渡って水堀を渡ってくる。

 

「ああ、いい天気やのう。今日もメッサラのボケどもに気前よう鉄砲玉喰わしてやろうか」


 寝床から起きて来たのだろう。上半身裸のハメッドが鉄砲を担いだジプシーの男たちを引き連れて現れた。

 彼らは皆楽しげに笑っており不安そうな表情を浮かべる者は一人もいない。

 その戦意は周囲に伝播し、一般兵の動きも軽い。

 

「じゃあ、僕たちは伝令の報告を聞いたら休むのであとはよろしく」


 僕は持ち場に着いて鉄砲の整備を始めたハメッドに声を掛ける。


「おう、寝とけ。どうせ守勢やから指揮官の出番なんかないわ。戦場じゃ指揮官に倒れられるのが一番困るからよ、女でも抱いてゆっくり寝とけ」


 性に奔放なジプシー連中は当たり前の様に言うのだけれど、厳格な宗教家のグロリアとゼムリは嫌な表情を浮かべた。


 伝来たちの報告によると、精鋭兵士の一団は敵陣を回り込み、背後の輸送部隊に狙いを定めたらしい。

 傭兵団や盗賊団の連中は嫌がらせの様に陣地の外で銅鑼を鳴らしたり、本隊からはぐれた小部隊に矢を射かけたりしたとの事で、こちらは盛んに戦果を吹聴してきた。

 十分だ。

 戦いに優れた遊牧騎馬民族とはいえ、大軍の全員が戦争に慣れているわけでもない。

 少しずつ心を乱し、睡眠不足にでも出来ればしめたものだ。

 これから続く戦闘において体を壊せば動きは鈍くなり、殺しやすくなる。

 僕と一緒に報告を聞いていたのはアスロとユゴールであるが、彼らも概ね満足したらしいのは表情で解った。


「じゃ、会長さん。行こや」


 ユゴールが川向こうを指して言うので僕は驚いた。


「ん、街に帰って休むのやろ。一緒に行こうやって言ってんねん」


「ユゴールさんは戦わないんですか?」


 てっきり、僕と入れ替わりで彼が戦いの監督をするのだと思っていたのだ。

 しかし、ユゴールは怪訝な表情で僕を見返す。


「戦ってるがな。ワシの専門は表で指揮棒振り回して踊ることやない。ヒト集め、モノ集めに飯炊きや。見てみい」


 ユゴールは先に立って橋を渡り始めた。

 向こうから荷を積んだ荷車や緊張した面持ちの兵士たちが渡ってくる。


「あれ、金払っただけではもう買えんぞ」


 僕も後について橋を歩く。すれ違う荷車を見れば、矢束が沢山積んであった。

 槍を積んだ荷車も、手頃な石を積んだ荷車もある。食料を積んだ荷車も連なっている。

 

「歩いてくる兵士も二割くらいは今日からの新顔や。だまくらかしてその辺から連れてきてる。怪我するヤツや死ぬヤツ、心が折れて一日で戦えんくなるヤツは大勢出るからな。戦争っちゅうのは本当に、大量の物と人を必要とするねん」


 なるほど。

 確かにそれはそうだ。

 ブラントから受けたのはあくまで戦闘部隊の一員としての教育だったので、抜け落ちていた常識に頷く。

 

「ま、他にもアレやコレや忙しい。なんせ、氏族の命運も掛かってるしワシも必死やで」


 悲壮感など欠片も含まない口調でユゴールは笑うのだった。


 ※


 おそらくただの民家の一室に、布団が沢山敷いてあった。

 兵士たちのどこかの班がここで集まって眠ったのだろう。

 グロリアは教会に行ったので、僕は適当な布団に潜り込む。

 ゼムリも扉の近くに陣取ると布団を被った。

 迷宮も深層に潜り出すと、気を張り詰めて数日間寝ない事が普通になる。それも順応の効果だ。成れ果てになると、睡眠自体が不要になってくるのだろうということが今は解る。

 地上に戻って睡眠を取らずとも倒した物の魂を捕らえ、起きたまま順応を進めることが出来るようになっていく。どうやら成れ果てとは詰まるところそういうことらしい。

 食事も睡眠も疲労回復の為の休憩も、他者を喰らうことで代えることができる。

 そういった意味では、まだ腹が減り、睡眠も必要な僕は成れ果てていない。

 多少の息苦しさがあり、不意に蘇る迷宮の匂いが胸を締め付けるが、僕はまだ大丈夫だ。

 濃密な魔力に焦がれてなどいない。地上にいる大事な人々を守らなければいけない。

 眠気がなかなか訪れず、僕は何度も寝返りを打った。

 ここしばらくは忘れていた迷宮の感触を、なぜこんなにも鮮明に思い出すのか。

 理由は分かっている。大勢の死を目の当たりにしたからだ。

 大勢の命がたいした意味もなく磨りつぶされた。その雰囲気が少しだけ迷宮に似ていた。

 今、あらん限りの力を使い、敵も味方もなく目につく人々を全て殺せばすっきりするだろうか。

 苦い唾を飲み込み、そんなことを考えている内に僕はようやく眠ることが出来た。

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