第496話 分裂
ユゴールが去った後、僕はしばらく黙っていた。
お互いに損はない。そういう類の言葉を信じるのなら彼らとのもめ事を避けた判断は間違っていなかったし、結果として問題が起きるのなら僕が間抜けだったことになる。
村の中は祭りの様なにぎやかさで、少なくとも今の時点では大勢が満足しているように見える。
彼らの商売が、あるいは人夫たちの欲求が適度なら問題はおきない。
「会長、大丈夫ですか?」
やってきたのはシアジオだった。
僕が頷くと、彼は怒気も露わに村の方を睨んだ。
「汚い奴らだ。アイツらが来ると決まって物がなくなる。ひどいときは子供や女がさらわれることだってあった。油断しちゃいけませんよ」
もちろん、そういうこともあるだろう。似た様な話は僕も聞いたことがある。
そこに納得できる理由があろうがなかろうが、いずれにせよ僕はそういうことを前提に対策をとらなければいけない。
「シアジオさん、今日あつまった食料なんですけど、隊を半分に分けて先に持ち帰って貰ってもいいですか。あなたの判断で身を持ち崩しそうな方から半分、人夫を連れて。それで、僕たちは昨日泊まったモルテの宿場に集めた食料や物資を届けるから、シアジオさんは食料を領主府に渡したらとって返してモルテの資材を運んでください」
結局、迷宮都市の食糧不足を解消するためには食料を送るしかないし、それも一日も早い方がいい。
纏まった量が手に入ったならそれだけでも送った方がいいだろう。
そうして手元から離しさえすれば万が一、ジプシー連中と揉めても食糧輸送隊として最低限の成果はあげられる。
何より、客の数が半分に減ればジプシーたちも離れてくれるかも知れない。
「それはもちろんいいですけど。会長の方は大丈夫ですか?」
シアジオは心配そうに聞いた。
この隊商に於いて彼には人夫の統括と主計係を担って貰っている。
彼が不在になると、途端に先行きは多難になるのだ。
「でも、そうは言っても割った隊商を任せられる人が他にいないんだよ」
用心棒連中も半分は彼らにつけるとして、しかし最悪の場合は資材の持ち逃げなどが発生することも考えられる。
責任を持って事故などを防ぎ、なおかつ必要十分な能力がある者と言えば彼の他にいなかった。
「会長、そこまで俺のことを……」
僕からの評価が意外だったのかシアジオは目を細めている。
しかし彼の場合、僕に従順というよりも僕に対して反逆できるほど勇気が出せないというのが正しいだろうか。
彼の心は何個かの原因を経てどうも僕を恐れているらしい。
「君でダメなら、他の誰でもダメだよ」
「会長、この任務は俺の命に代えてもやり通して見せます。主計係も適当な者に引き継いでおきますので!」
妙に張り切るシアジオに圧されながら、僕は「よろしく」と呟く。
※
諸々の準備をするため、シアジオと街路を歩いていると広場に出た。
そこでは急造の露店が料理を売り、酒樽から酒を売っている者もいる。
大道芸や軽業を披露する者もいれば、明らかな娼婦も立っていた。
そこかしこで楽器を弾いて歌う者もいるが、その中の一人が目に入った。
「あれは……グロリアさん?」
僕は思わず立ち止まった。
焚き火を前にグロリアが弦を張った楽器をかき鳴らしながら歌っていたのだ。
周りでは十名ほどが腕を組んで歌声に聞き入っている。
それは普段の抑圧的な態度とはまるで違う、自由で、奔放で、衝動的な歌声だった。
鼓膜を殴りつけるような歌声と、腹の奥をグッと握るような旋律に僕は呼吸するのも忘れて聞き入っていた。
曲が終わり、観客の感嘆が漏れて僕も現実に帰ってくる。
グロリアは当然の様に片手をあげて観客に答えると、居並ぶ中に僕を見つけて立ち上がった。
「これ、ありがとうございました」
近くのジプシーに楽器を返し、僕の方に歩いてくる。
「お疲れさまでした」
グロリアを前にして、思わず僕はとんちんかんなことを言っていた。
なんとなく、彼女を労らなければと思ってしまったのだ。
「そうですね。ここのところ練習もしていなかったし、指がうまく動きませんでしたね」
グロリアは自らの指を見つめるが、その先は赤く腫れていた。
「彼らと同道するのですね。いいことです」
額から首筋までを流した汗が濡らしており、上気した肌が焚火の光に妖しく煌めく。
長い髪を後ろに束ねると。懐から出した手拭いで汗を拭う。
初めて見る彼女の耳にも幾つもの光の反射を見つけた。
よく見ればそれは、銀色をした小さなトゲで耳の表から裏に貫通して反対側から覗いていた。
耳飾り。
迷宮都市ではあまり見ることがなかったが、それでも遠くから流れてくる者の中にはそのような装身を施す者もいた。
主に戦士か異郷の神官が多かったと思うが、その場合も宝石や何らかのいわれがありそうな紋様が刻まれた耳飾りだった。
両方の耳に十以上ずつ通されたそれはただ無骨な棒で、どちらかといえば他者への拒絶、あるいは彼女の反抗心が具現化したようにそこへ差し込まれていた。
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