第488話 性格と役割

 雪解けにぬかるんだ獣道は滑りやすく、むき出しの濡れた石には苔が張り付いている。

 地面から湧き上がる冷気と相まって、宿場までの帰路は僕の体力と気力をどんどん奪っていった。

 しかし、僕に構わずどんどんと先を歩くグロリアと、僕の後ろを鼻歌交じりに歩くグェンにとってはこんな道も全く障害にならないらしい。

 専業魔法使いなど、彼らの様に戦士技能を持つ者の足元程も体力がないのだ。

 汗で濡れた服が冷たく肌に張り付いて不快にさせる。


「今、戦闘になっても僕に期待しないでね」


 僕は後ろを歩くグェンに言った。

 息も絶え絶え、伝えるとグェンは手に持った鞭と呼ばれる棒を振り回しながら笑う。

 

「魔法で飛んで帰れりゃいいんすけどね」


 鞭が振られると、ブンと空気を裂く音が鳴った。

 

「魔法がそんなに便利なら、僕はもう用事を済ませて家に帰ってるよ」

 

 鞭が二度振られると、どういう仕掛けか今度は甲高い音を立てた。と、ずっと先を行くグロリアが立ち止まる。

 彼女は見晴らしのよさそうな岩の上で僕の方を見つめていた。


「少し休みましょう。会長の腕っぷしまで頼る事態はなかなかないでしょうが、体調を崩されるとコトだ」


 その申し出は有難かったが、グロリアの射るような視線にさらされて休憩などとてもできない。


「いいよ。まだ半分くらいだし、先を急ごう」


「へへ、アンタはまだよくわかってないよ。ねぇ、会長」


 グェンはニヤリと笑って見せた。


「役割っつうもんがあるんだ。俺は護衛、あのおっかない姉ちゃんは道案内。アンタは会長だよ。つまり、戦闘になったら俺に戦えと命じればいい。俺が戦ってる隙にアンタが逃げたって俺は恨みもしない。なんなら俺が死んでアンタを生かすのも銭のうちだ。俺とアンタは対等じゃない。だからこそ上手くいくんだ。その辺、ガルダ会長はしっかりわかってたよ」


 なるほど。確かに僕たちは対等じゃない。あまり意識をしたことはなかったけれどそれは事実である。

 ガルダの部下になったことはないが、彼は確かに部下を迷わせたことはなかっただろうし、その献身を当然として受け取っていたはずだ。もちろん対価を惜しんだなんて話も聞かなかった。

 

「あの姉ちゃんだって乞われて案内人になったのだとして、受けた以上、大した理由もなく向こうからそれを反故にはしないでしょうよ。つまり、アンタが足を止めりゃ、あっちも止まる。そうしないと見失っちまうし、なんの為の案内人だかわかんなくなる。案外、役割ってのは人を縛るもんだ。特にあんな、融通を利かせられない堅物なんかはね。だからアンタは堂々と休んでくれよ」


 君臨するにもふさわしい態度がある。

 ロバートを見てそれを知っていたつもりだったけど、それを我が身に置き換えなければならない。

 ……全く自信がない。

 それでもやらねばならないのだ。


 ※


 宿場に帰り着くと、隊商の本体は宿舎に入ったらしく大量のロバや荷車が大きな建物に繋がれていた。

 既に日は沈んでしまって周囲は暗闇に包まれている。その中で点々と複数人の見張り番だけが松明を燃やしているのが目についた。

 背中に張り付いたコルネリの頭を撫でながら、とりあえず戻って来れたことに一息つく。

 

「魔法使いさん、それでは報告に行きますよ」


 僕が追いつくまでの間にグロリアは小川で顔を洗っていたらしく、前髪と襟元が濡れていた。

 山越えからこっち、長い距離を歩いて疲れたのだから、少し休むかなんなら一眠りしてからの報告でもいいのではないかと思った僕にグロリアはため息を吐く。

 

「住民の不安を払うのは一刻も早い方がよく、またそれにより彼らが今晩からでも安眠できるのであれば、報告を遅らせる理由がないと思うのですが」


 そう言われると僕に反論の言葉はない。

 僕の内心が伝わったらしく、慰める様にコルネリが頬を摺り寄せる。


「それはいいが、盗賊を皆殺しにしたとは言わない方がいいぜ。姉さん」


 グェンは小川の水をすくいながらそう告げた。

 口を漱ぐと、勢いよく吐き捨てる。

 

「私はやましいことをした覚えは有りませんが、一応理由をお聞きしましょう」


「いや、なに。アンタが殺した盗賊連中の、すくなくとも何人かはこの村の出身だったからだ。本来は尋問して、村人は連れ戻り村の者に 裁かせるつもりだったが、アンタが殺した。さっきも言ったとおり、俺は責めない。が、村の連中や、まして死んだヤツの身内が責めないかまでは俺の知ったこっちゃないわな」


 グェンは盗賊の洞穴で、陶器の食器などいくつかの証拠を見つけていた。

 粗末ながら、裏面に所有者の本来の住所と家名が刻まれていて、わざわざ盗むほどの価値はないから、家を出るときに所有者が持って出た物である可能性が高い。しかしながら、居並ぶ死体のどれがその皿の持ち主なのかはわからなかった。

 そもそも、貧しい宿場を出て、盗賊に合流するのならわざわざ路銀を費やしてまで遠くへは行かない。そう考えれば実は盗賊団なんてほとんどが近隣の出身者で構成されているのだ。

 しかし、グロリアは可笑しそうに笑った。


「そうですか、御忠告は心に留めておきます。さて、村役場へは私とその魔法使いさんで行きます。ここで用心棒は不要でしょうし、なにかあれば私が守ってあげますから、あなたは休んでいてください」


 その提案にグェンはチラリと僕を見た。

 本人が申し出ているのだ。性格的にも何かあれば暴力の面ではグロリアが守ってくれるのは間違いないだろう。

 それに、狭い部屋で彼らを同時に滞在させるとまた、意見が割れかねない。

 そうなると、次も都合よくグェンが譲歩できる状況とは限らないのだ。


「報告だけだから、グェンは先に休んでいてよ」


 僕が告げると、グェンは浅く頷いて踵を返した。

 

「じゃあ、お気をつけて。会長」


 そう言ってグェンは宿舎に向かっていった。

 それを見送ると、僕たちは村役場へ向かっていく。

 外から呼びかけると、扉が開いて婦人長のムストが顔を覗かせた。


「あ……お戻りですか。お疲れ様でした。どうぞお入りください」


 彼女に促されて奥の広間に通されると、そこには七名の人がいた。

 老人、若者、男も女もいる。彼らの表情は一様に疲れて覇気がなかった。

 

「村に残った顔役たちです」


 ムストが彼らを紹介した。

 久しぶりに到来した隊商に、集まって話し合いをしていたらしい。

 と、グロリアはずいと歩み出て強く、宣言するように口を開いた。


「あなた方を悩ませた盗賊はさっそく、拠点まで行って全員を殺害してきました。どうか、今晩からは心安らかにお休みください」


 僕はギョッとして口を開けたまま彼女を見るのだった。

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