第480話 首投げⅦ

 結局、倦怠感が満ちた体を再び持ち上げるのに、僕は朝日が昇るまで時間を要した。

 その間も断続的に、迷宮から冒険者たちが迷宮から出てきては僕の前を通り過ぎていく。

 中にはよく知っている顔もある。ぜんぜん知らないのに挨拶していく人もいる。我ながら顔が広くなったものだ。

 風がなく朝露が草木やベンチを濡らしている。

 迷宮を指して僧侶のクロアートは「恐ろしい」と言った。

 流されてこの都市にたどり着き、流されるままに迷宮冒険者として生きてきた僕にとって地位と家族を守る力、それに財産を与えたのは迷宮だ。

  

「さて、行こうかな」


 僕は呟いて立ち上がる。

 石になったまま置いてきたクロアートもそのうちディドあたりが助けに行くのだろう。彼のためを思えば、客観的には見殺しにした方がいい気もするが。

 トボトボと都市までの道を歩き、やがてたどり着く。

 領主府の入り口でロバートへの面会を申し込むと、あっさり通された。

 領主府の奥にある食堂だ。

 食堂といっても飯屋ではない。大きなテーブルに数名の人間が座り、豪華な食事を摂っていた。

 

「わぁ、先生。おはよう!」


 僕を見るなり声を掛けてきたのはジャンカである。食べかけのパンをスープに浸して柔らかくしながら笑顔を浮かべた。

 対して最奥の席に腰掛けるロバートは渋い表情で僕を見ると、優雅な手つきで口を拭った。

 

「重要な会議の途中だが、自分の持ち込んだ用件がそれら全てより優先されると思うのなら発言を許可する」


 周りを見れば席に着いているのは上級役人や貴族らしい格好をした面々だった。おそらく朝食のついでに話し合いをしているのだろう。

 しかしそんなことを言われたって領主府の役人に通されたから来たのだ。

 忙しいならそう言って面会を断って欲しかった。


「問答よりは早いので用件だけをお伝えします。教授騎士を僕が纏める件、全員の了承を取り付けました。それだけです。用事があればまた暇なときにでも呼び出してください」


 僕の報告に対してロバートはこれ見よがしに深い溜息を吐く。


「見ろ。この小柄な少年は俺の命令に従って、自らの器量で教授騎士どもを纏めたというぞ。元奴隷の在野の小僧がだ。オマエたちは年齢を重ね、高給を喰み、あるいは一般市民とは段違いの特権を持っていながら俺の指令を全うしない。これはずっと言い続けているのだが、やりたくないなら遠慮なく言え。オマエたちの肩に乗った重荷を取り除いてやれる権限が俺にはあるからな」


 その言葉に居並ぶお偉方は下唇を咬むか、うつむいてしまっていた。

 なるほど、他の連中の尻を叩くために僕を通したのか。

 朝食は物資不足のこの都市にはそぐわない豪華なものだったけれどそれを旨そうに喰っているのはジャンカだけだった。


「おい、喰いたいなら座っていいぞ。席から退けたい奴を好きに選べ」


 ロバートの言葉に居並ぶお歴々の目が大きく見開かれる。

 それは単に食卓の席を譲るという意味には留まらないのだろう。

 

「いえ、皆さんと同席するには貫禄が不足していますのでご遠慮します」


 僕は深々と頭を下げ、場を辞した。

 訳の分からない首切りにつきあいたくないし、彼らの記憶に残ってしまうのもまずい。なんせ、歯が立たない相手への恨みは側にいる弱者の方に転化されることがあるのだ。

 

「褒美はあとで届けてやる。さて、次の話だが……」


 背中に投げかけられた言葉も短く、僕が振り返るより早く次の話に移っていた。


 ※


 家に帰ると大勢の難民が周囲に蠢いていた。

 ステアの教会に入りきれない人々がすり減った様な細い目で僕を睨んでいる。

 彼らを助けると言いながら十分な物資も環境も提供できていないのだ。

 当然、彼らの抱えた鬱屈や恨みも故郷を襲った山賊や異民族ではなく、この都市の領主でもなく短絡的に僕へと向けられるのだろう。

 精一杯やっても全員に行き渡るほどの物資を用意できていない。

 彼らの間をうちの子供たちが駆け回り食事を配っている。領主府で見たものとはかけ離れた穀物の薄い粥だ。

 不意に、僕の故郷を訪れた聖職者たちを思い出す。

 僕にパンをくれず、神の存在を説く彼らを僕は疎ましく思っていた。

 しかし、まさに今の僕こそがあの時の聖職者ではなかろうか。

 そう思えば今更ながら彼らに対する申し訳なさがわき起こる。

 僕が恨むべきは環境を作った連中であって、痩せた土地に押し込めた誰かであったはずだ。あるいは西方蛮族などと呼び、開発支援をしようとしなかった国王や貴族たち。僕らを商品として見なした奴隷商。僕らを見捨て、食い物にしていた連中など。

 少なくとも空手で僕たちを救おうと奮闘していた聖職者などでは断じてない。が、彼らを恨む以外に過酷な日々の捌け口を知らなかったのだ。

 

「ええと、皆さん。僕はたった今、戻りました。結果として皆さんを養う多くの資金を得ましたので、間もなく皆さんの生活が上向くことでしょう。今は長旅の疲れを癒してください!」



 僕は難民たちの中央で大きな声を挙げた。

 向けられる視線の半分は無感情。少しの期待。あとは剣呑なものだ。

 それでも彼らにパンを渡すのが僕であるのだと印象づけることは出来ただろう。他に行く場所も、食事をくれる人もいないのだ。せいぜい期待を向けて貰おう。

 空手形でも彼らが暴走する可能性を抑えることが出来る。追いつめられ、自暴自棄になった人間は恐ろしいのだ。

 扱いを間違えば混乱の度合いを際限なく深くしていくだろう。

 彼らを抑え、与え、守り、上手く誘導しなければならない。

 そう思いながら難民の合間をすり抜けて僕は自宅の扉を開けた。

 僕には個人の空間も寝床もある。そう思えば難民よりは恵まれている。

 と、寝床にはルガムが寝ていた。

 僕が引き受けた難民の世話で疲労が濃いのだろう。

 

「ん、お帰り」

 

 ルガムは僕の気配に目を覚ました。

 食事の準備だけではなく食料調達から行わねばならないし生活物資もまるで足りていない。

 そもそも、睡眠時間もきちんととれていない筈だ。

 疲労からだろう、妻の顔の目には隈が刻まれている。

 

「ただいま」


 それだけ言うと僕は服を脱いでベッドに身を滑り込ませた。

 いつの間にか背中に乗った大きい責任と大勢の生活に胸は早鐘の様に鳴り続けている。膨らませた虚勢も、胸を押しつけるように息苦しくさせた。

 あるいはこれも恐怖の一種なのだろうか。だとするとクロアートの様に逃避したくなる気持ちも理解できる。

 いつの間にか背筋が震え、全身に鳥肌が立っていた。

 無言で抱きしめてくれるルガムの力強さと暖かさがただ、心強かった。

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