第452話 ロマンティックな毛玉

 ご主人の所で商店会株の名義変更について打ち合わせたあと、自宅に戻ると周囲に陣取る難民の数が倍に増えていた。

 時間は既に真夜中である。

 教会の周辺からルガムの家までテントがみっちりとふさがっており、その合間を通って自宅の玄関を開けると、中には真っ白な毛玉が台所の椅子に腰掛けていた。


「待っていた」


 ムーランダー!

 一瞬で心拍数が跳ね上がり、眼球の色を確認する。

 緑だ。


「ハリネ、何をしにきたのさ?」


 ブラントとともにこの街を去った連中だ。

 反則じみた能力を持ち、行動も読めない。しかし、殺せば死ぬのはよく知っている。問答無用で殺すべきか。

 僕は魔力を練りながら距離を取った。


「僕の家でなにをしているのか、答えて!」


 ルガムは、サミは無事だろうか。

 他の子供たちは。

 いやな汗が背中を伝う。

 

「待っていた」


 しかし、ハリネは同じ言葉を繰り返した。

 

「……僕を?」


「そう。長い距離を歩いてきた。塩、もうこれだけしかない。分けて」


 ハリネはそう言うと羽織ったケープの下から大きな皮袋を取り出す。

 半分ほど中身が入っているのだろうが、ハリネの消費量からすれば、能力の使用を抑えたとして、よくて三日分か。

 

「この家にいた僕の家族は?」


「寝てる。話は直接オマエとしろと」


 言われて、僕は寝室へ向かった。

 扉を開けるとルガムが寝息を立てて眠っており、その横にサミも寝ている。


「ルガム」


 愛する妻を揺すり起こすと、彼女は不機嫌そうな表情で僕をにらんだ。

 

「おかえり。あの、例の白い毛むくじゃらの……ハリネが来てたけど、まだいた?」


 ハリネは基本的にブラント邸に起居していたため、ルガムには連れてきた最初に紹介したきりでほとんど接点が無かった。

 もちろん、彼を連れて迷宮に入っていたことやブラントの反乱に組みしていることは伝えてあるのだけど、彼女からすれば僕を訪ねてきた怪人の扱いに困ったのだろう。

 それでハリネを放置し、自分たちは先に自室にこもった訳だ。

 防犯の為だろうか。よく見れば枕元には棍棒が立てかけてある。


「うん、いたよ。塩を貰うからね」


 眠いのかウニウニと表情を揺らすルガムにおやすみを告げて僕は部屋を出た。

 そっと、子供たちの部屋も覗いてみたけれど、やはりよく眠っている。

 少なくともハリネが既に僕の家族に何かをした、ということはないらしい。


「塩、分けて」


 僕は台所に戻ると塩の入った壷を取り出してハリネに差し出した。

 

「なんで帰ってきたのさ?」


 もう二度と帰ってこないのかと思っていたので、その理由を尋ねてみる。


「最後、アルと別れる時に彼は『また』と言った。私も少し考えて同じ言葉を返した」


 ハリネは僕の息子であるアルと、案外仲がいい。

 しかし、その為に仲間と別れてやってきたのだろうか。

 異形の彼に常の旅人が持ち合わせる常識もないだろうに。


「他のムーランダーは?」


「私たちは個人の意志を尊重する。彼らはブラントとともに安住の地を求め、私はここに戻った。私が死んでも彼らが残り、彼らが失敗しても私は残る。種族として故郷を求める為の決断でもある」


 彼らには他に、地の底で眠りについている仲間もいる。

 全員が並んで死んでしまうという訳にはいかないのかもしれない。

 ハリネは早速、皮袋から塩を取り出すと自分の毛になすりつけはじめた。


「でも……せっかく戻ってきて悪いんだけどさ。塩、それしかないんだよ」


 僕の言葉にハリネはピタリと動きを止めた。


「お金、少しある。私は塩が大事だ」


 多少の持ち合わせがあることはいいことだけど、そういう問題じゃない。

 様々な欠乏物資に並んで塩もまた、不足している。

 なんせ、ムーランダーならぬ人の身にも塩は重要なのだ。

 その他、皮革加工や様々な産業でも塩は材料として用いられる。

 皮革職人たちもやはり、領主府から新生軍団の為に大量の注文を受けているが、それも滞っているとはご主人に聞いてきたばかりだった。

 なんせ、アーミウスと違いこの辺には塩鉱がないし塩湖があるわけでもない。

 比較的、海は近いが製塩は発達していない。

 製塩の際、大量に必要となる森林が蓄えられていないからだ。

 結局、塩は北方領か新西方領から運ばれて来ていたのだけど、どちらも混乱で商人は激減している。

 各家庭は備蓄の塩か、高値になった塩を買ってごまかすしかなかろうが、極端な人口膨張で果たしてそれもどうなるものか。

 結局はあれもこれも動乱が立ちふさがる。

 しかし、息子に会いたいとワザワザ帰ってきた知人を見捨てるのは憚られる。

 それに、今は一号の元に戻っているアルも、その行動を許しはしないだろう。

 しかし、そうか。塩ね。

 燃料でも食料でもない必需品。

 案外、最初の商売としては目の付け所も悪くないのではないか。

 じきに高値の木材を買い付けに行ったビウムも帰ってくる。

 それに、シアジオを借りれば旧男爵国の鉱塩を輸入も出来るだろうか。

 塩は領主府の抱える公社の専売品だが要するに公社に全量を卸せばそれで文句はないだろう。

 しかし、個人消費を目的とした持ち込みは慣習的に許されるとも聞いたのだった。

 運んできたうちの塩から一部を分けて自家消費分にしよう。

 はて、誰がそんな事を教えてくれたのだったか。

 戸惑うハリネをみながら、僕はそんなことをぼんやりと考えるのだった。

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