第453話 しょっぱい事情
酒場の店主は僕の来訪を苦々しい表情で歓迎してくれた。
場所は二階の事務室内である。
「そりゃ、確かに誘ったぜ。塩の運び入れについてな。だが状況は変わっちまった。今はいわゆる逆ザヤだからやればやるだけ損になる」
つまり、自ら隊商を仕立て経費を掛けて塩を運んでくるよりも、公社が専売する塩を素直に購入した方が安いのだ。
さすがに価格統制を担う専売公社である。
「うちは商売がら、塩は欠かせない。まだ在庫はあるが、それがなくなったら買わんといかんな。そのときこそ店の料理も本格的な値上げだな」
店主はため息とともに頭を掻いた。
「それは勝手にして貰えばいいんですけど、そもそも流通量が激減していてお金を出しても買えないんですよ。今は」
「だから利益にもならん塩を買い付けに行くって? それこそ勝手にしてくれよ」
自分の利益と関係のない相談に店主は舌を出して顔をしかめる。
「だからこそ、専売公社側も買い叩いたり出来ないんじゃないかと。そういう訳で塩買い付けのルートを教えてください」
時間を掛ければ西方や北方のルートもよかろう。しかし、可能なら経費が安くついて手軽な方がいい。
そんなわけで参考までに聞きに来たのである。
「まあ、俺だって塩が買えなきゃ困るけどよ」
親父はゴニョゴニョいいながら頭を掻いていたりしたが、腹が決まったのか太い鼻息を吐いた。
「ここから南に行った所に港町があるのは知ってるな?」
行ったことはないけれど、話に聞いたことはある。
この王国の唯一の港町であり、この都市から街道沿いに南へと向かえば三日で着くらしい。
「その港には交易品が寄せられ、その中に南方平原の海沿いで産出される塩がある。いつもある訳じゃないし、量も少ないがかき集めることが出来れば、いくらかの量にはなるだろう」
在庫の不安があるとはいえ、滞在の一日を入れても七日で帰ってこれるではないか。
だとすれば動乱を越えて北や西を目指すよりも随分と割がいい。
「だが、もちろんそんなのは当然、領主府も知った上で買い付けに役人を走らせている。だからそんな場所へのこのこ行ったって観光旅行になるだけだ」
そりゃ、そうか。
この物資不足の時勢に僕が簡単に行ける場所なんて他の人が先に浚っているはずである。
やはり近道などないのだな。
僕が隊商の段取りなどを考えつつため息を吐くと、酒場の親父が渋い表情を浮かべた。
「南方平原の亜人どもは塩を人間ほど必要とはしないが、それでもあいつらはむしろ消費者だ。砂漠の方でも塩が採れる泉や井戸があるとは聞くが、そこから出る量もこちらに流れて来るほど潤沢じゃないだろう。危ない橋を渡って本領を越え、西方領まで行くのも長旅だ。それに比べりゃ、北方領はまだ近い。今なら道案内役も大勢いるだろうぜ」
結局は秩序の回復が急務なのだ。
「ちなみに北方は……」
「塩鉱がある。おそらく、北方の蛮族どもに占拠されているだろうがな。買い付けにいきゃ、高価だろうが売ってくれるんじゃねえのかな」
もちろん、彼なりの冗談であろう。
そんな場所にお金を持って行けば皆殺しにされて金を奪われるだけだ。
それに、難民から隊商の人員を募るにも彼らにきちんとした食事や家を用意してやって休息をとらせなければ使い物にならない。
北方奪還の為の軍を整備するためにも鍛冶に用いる燃料がなく、訓練させる兵舎も食料もない。
まったくもって八方塞がりである。
僕は懐から財布を取り出すと、店主に差し出した。
「とりあえず、塩の在庫を譲ってください」
店主はひどくイヤな顔をしたが、それでも商売人である。
結局、かなり高値をふっかけられたものの、僕は一抱えの塩壷を家まで運んで貰うことになった。
在庫の塩が減ったので、酒場の料理は明日から塩味が薄くなるかもしれないが、それは僕の知ったことではない。
※
ギーが突き出す槍の、美しい煌めきを見ながら、そういえば二人で迷宮に入るのは初めてだな。なんて事をぼんやりと思った。
今回はサンサネラも、コルネリさえも連れてきていない。
地下七階で遭遇した、おそらく順応により鎧のような皮膚を獲得したのだろう、犬の魔物をギーはあっさりと屠った。
「少し休憩しようか」
「ウン」
僕の提案に応えてギーは槍を一振りして血を払った。
ギーが仕留めた魔犬はゴロリと晒した腹に小さな袋があり、その中に金貨や宝石なんかが入っている。
僕はまだ暖かい犬の腹に手を突っ込むと、数枚の銀貨を取り出した。
大勢の難民を養うにはまるで足りないが、わずかでも足しにはなる。
「それでギーを誘ったのだから何か用があるのだロウ?」
ギーは相変わらず無表情で聞いた。
しかし、付き合いも長いので彼女が呆れていることはわかる。
「用というか、散歩に付き合って欲しかったのかな?」
自分でも、なぜギーに声を掛けたのかはわからなかった。
ただ、この都市でもっとも古い同居人であり家族でもある彼女と一緒に、地上のしがらみを忘れて迷宮に潜りたかったのだ。
暇なときに迷宮へ入り出したら、それは人間と魔物の分水嶺の近くまで来ていると言われている。
さしずめ、僕が魔物に至るまであと数歩というところなのかもしれない。
そこを越えるともはや引き返せず、二度と迷宮と縁を切ることは叶わなくなる。
しかし、最近は心のどこかでそれを熱望している自分にも気づいていた。
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