第446話 梯子
「なぁ、ゴールディ。こいつより上にあと何人いる?」
エランジェスはマルティルスという組織の上級幹部を足蹴にして背後に控えるゴールディに尋ねた。
五十代に差し掛かるかという年配の、マルティルスの顔は酷く腫れており、そのうえで鼻も潰れているために元の顔はさっぱり判別がつかない。
「あと、四人です。エランジェスさん。会長と副会長、それに理事長と幹事長が残っています」
妙な呼吸音を響かせるマルティルスをちらりと見て、ゴールディは応える。
凶暴さを売りにしていたマルティルスは、整った口ひげを蓄えており、常に不機嫌な目つきをしていた。
その冷たい視線にさらされるたび、ゴールディは尻の穴が冷たくなる思いをしたものだが、大勢に恐れられた眼はどこにあるものか、それさえはっきりしない顔立ちになっていた。
場所はマルティルスの私邸であり、周囲には彼の部下や用心棒だった連中の死体も転がっている。
冷酷で、凶暴なマルティルスも自らの上を行く凶暴さには抗えなかったらしい。
「案外と時間がかかるもんだな。面倒くせえ」
そう言いながらもエランジェスの表情は上機嫌であり、長い脚はマルティルスの折れた鎖骨を的確に蹴りつけている。
「死んだら首を落として、頭を半分に割れ。それを理事長と幹事長のところに持っていって、伝えろ。会長を殺せば次の副会長にしてやるとな」
エランジェスは笑いながら言うが、おそらく嘘だ。
ゴールディは短い付き合いながら、エランジェスをある程度理解していた。
敵を躍らせ、浮足立たせ、縋らせてから無慈悲に殺すのを好むエランジェスが、そんなに優しいことはしない。まず、間違いなくこちらへ投降した連中も殺すだろう。
「わかりました。エランジェスさん」
しかし、反論などせずに淡々と配下に段取りを示した。
ゴールディ子飼いの配下たちは一連の抗争にあってほとんどが死ぬか逃げ出してしまったため、別の吸収した組織から引き抜いた連中である。
エランジェスの代理人たるゴールディの言葉は絶対で、彼らはエランジェスが興味をなくすのを待ってマルティルスを手に掛けるだろう。
言ってみれば、秘書兼雑用がゴールディの役割であり、かつての兄弟分であるハンクが同様の役割を与えられていたことはまさにハンクからの手紙で知っていた。
うまくこなすコツは、野心を持たないことだ。
ハンクがそうであったように、自己主張が強くない従順な配下にエランジェスは手を出さない。と、いうよりも興味を持続できないと表現するのが近いか。
与えられた範囲の仕事を淡々として処理していればよく、道を踏み外した時には金鎚が降ってくる。
組織によって長年に渡って虐げられ、牙を抜かれたゴールディには既に、逃げ出す勇気さえ用意できなくなっていたのだ。
エランジェスの勝利は戦う前から既に見えていたといっていい。
かつてから、組織内の主要な実行部隊はエランジェスから懐柔されており、そうでない連中は取り除かれていた。
さらに、エランジェスの勢力圏からエランジェスが率いてきた連中も人間離れした戦闘能力を持っており、ほとんど蹂躙に近い戦いが繰り広げられている。
エランジェスの造反に上位の勢力は結束を強めるものの、以前から冷や飯を食わされていた連中はこぞって窓口を務めるゴールディのもとに押しかけていた。
つまり、面倒な風を装ってはいるものの、エランジェスがその気になれば早々に抗争は終了するだろう。
だらだらと長引かせ、楽しんでいるのはエランジェス本人がそう望むからに他ならない。
「エランジェスさん、そろそろ……」
エランジェスが飽きるのを見計らって、ゴールディは告げた。
有力商人から会談を申し込まれており、マルティルスの私邸に来るように返答をしておいたのだ。
もうずいぶん前から商人を応接間で待たせている。
「ああ、それじゃ行こうか」
エランジェスは構えた大金鎚を三度振り下ろすと、痙攣するマルティルスに背を向けてヘラヘラとした笑顔を浮かべた。
この笑顔に騙されてはいけない。
ハンクからの手紙を思い出しつつ、ゴールディは先に立って案内をした。
*
「センドロウ商会会長のジョージと申します。お目にかかれて光栄です」
穏やかな男が立ったままエランジェスを迎え、丁寧に挨拶をした。
横に並ぶサーディムという腹心を紹介すると、こちらも恭しく頭を下げる。
センドロウ商会といえば諸国連合と呼ばれる小国家群に根を張り巡らせる大商会である。
国外に事情に詳しいとはいいがたいゴールディでも、その名前くらいは聞いたことがあった。
その商会長がわざわざ会談を申し込んで来たということは、組織の内乱がエランジェスの勝利に終わるのを見越してのことだろう。
鼻の利く連中だ。ゴールディはそう思った。
商談に来たというよりは顔通しである。
だから、ことに歩合の高い彼らほどの大商人が数時間も無為に待たされて嫌な顔一つ浮かべないのだ。
エランジェスはソファにどっかと腰を下ろし、立ったままの来客に座るよう促す。
「ああ、エランジェスだ。こちらこそ、お会いできて光栄だよ。会長さん」
「いえ、この度は御多忙にもかかわらず私どもに時間を割いていただき、感謝の言葉しかありません」
ゴールディはエランジェスの背後に立ち、会話に集中した。
聞き逃して、後で粗相をするのだけは避けなければならない。何よりも自分の身を守るために。
「こっちもすっかり待たせちまって悪かった。なんせ、ゴタゴタしてるもんでな」
エランジェスは髪を書き上げながら言った。
細められた眼が二人の来客を値踏みするように見据える。
しかし、ジョージとサーディムは表情を変えずにそれを受け止めた。
「くっくっく……」
エランジェスが楽しそうに笑う。
ゴールディはその声を聞く度に背筋から冷たいものが抜ける感覚に襲われた。
「俺の噂を知っているだろうに、剛胆な事だ」
「商人ですから、利益のためにこそ命を懸ける所存です」
ジョージは優しげに笑い、答える。
「格好いいねえ。精一杯の虚勢だ」
猛獣が獲物を爪で弄ぶように、エランジェスの言葉が来客をなぶる。
「修羅場をくぐって来たんだ。情に流されず損得計算をして来たんだ。リスクを取ってここまで来たんだ。そういう矜持のこもった目つきだ。悪くないぜ」
エランジェスの言葉に、サーディムの額に汗が浮いた。
「だが、それで上手くいってりゃ、わざわざ俺の前まで来ないよな。修羅場でつまずき、損得計算に失敗し、損害を被った。上手くいかないから仕方なく俺のところにやってきた。違うか?」
「それは……確かに失敗をすることも、損をすることもあります。いつだって上手く行くことばかりじゃあない。先だって、男爵国の陥落では私たちの商会も大損をしました。ですが――」
「お互いに商人だ。時は金なりとも言うし、まだるっこしいことは止めよう。アンタが掛けた命は没収。サヨウナラ。アンタに会えて光栄だったぜ」
言うが早いか、エランジェスの手は腰のベルトから木槌を引き抜いて一閃された。
鈍い音がしてジョージが倒れる。
次いで、あっけに取られたままのサーディムにも木槌が打ち込まれた。
エランジェスは机を飛び越えて倒れたジョージの腹へ馬乗りになると、一息に十数回、木槌を振り下ろした。
「オマエ、偽物らしいな、ふざけやがって!」
憤怒の表情で怒鳴ったエランジェスは既に力の抜けきったジョージの体を捨てると頭を抑えて呻いているサーディムを蹴り倒す。
エランジェスは来客を応接間に待たせている間、護衛や従者の連中を拷問して情報を聞き出していたのだ。
ここにいるセンドロウ商会の会長はどうやら影武者らしい。
ゴールディは重たいため息を吐きながら潰れていくサーディムの顔を見ていた。
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