第433話 不器用多芸

「私は一般家庭からの入信者でしたから、幼年部というところからの始まりだったんです。小雨さんは、また違う道を通って教団入りし、私はこの都市で彼女と出会うまで、彼女たちの噂を聞いても実物を見たことはありませんでした」


 ステアは机から顔を上げると口を開いた。


「私はあなたのことを知っていましたよ。教団の偉い人や、幹部候補生の顔は全部覚えさせられましたから」


 大きな洗濯籠を指先でクルクルと回しながら小雨も口を挟んだ。

 ルガムは久しぶりの実戦に、疲れたと自室に戻っていた。

 僕も死にかけて疲れたものの、滅ぼすと宣言された以上、野面でいるわけにもいかないので、彼女たちにグロリアのことを教えてくれと頼んだのだ。

 

「私の場合は自分の親を知らないんですけど、捨て子か貰い子、あるいは教会関係者の隠し子だったのかもしれません。いずれにせよ、物心ついた時には教団に居て、教義と人を殺す術を習得することに明け暮れていました。もっとも、私たちは表ではなく、裏と呼ばれる施設に居ましたので、表の人に会うのは、変装して表の人の顔を覚えに近づくときくらいで」


 小雨はさらりと言うのだけど、暗殺者が主だった者の顔を覚えるというのは、裏切りの抑止という目的もあったのではないだろうか。

 しかしそれには触れず、ステアも説明を続けた。


「グロリア姉さまは私が出家して教団で暮らし始めたころ、幼年部の指導者を受け持っておられました。まだ戸惑うばかりの私にとってグロリア姉さまは優しく、頼りがいのある人でした」


「そうですか? 私たちの方に来て一緒に武術を習ってたけどよく泣いてましたよ。普通、苦しかったって、怪我をしたって隠すじゃないですか。表情には絶対に出さないじゃないですか。そういうのって本当に基礎の一歩目だから、そこで躓いたら私たちはもうおしまいだったんですよ。グロリアが表の人間じゃなければ、話にもならなかったと思います」


 ステアのグロリア評に納得いかないのか、小雨は小首をかしげる。

 苦痛が苦手な僕としてはグロリアにむしろ共感するところであるけれど、小雨はきっと自らが育った場所の異常性を認識していないのかもしれない。おそらくその日々は苛烈だった筈で、そうして生み出された熟練の暗殺者たちが教団の発言力を担保していたのだろう。

 

「しかし、なんでグロリアさんは武術の訓練を?」


 僕は素直に疑問を口にした。

 グロリアと同じく宣教部に所属していたというステアにはグロリアの様な荒事の資質がまるでない。


「さあ、なんでなんでしょうね。でも時々、稽古に混ざりにくる表の人はいました。大抵は一回目の稽古で来なくなるんですけど、グロリアはなんだかんだ結構来てましたね。そのあとは、この都市に派遣されていた筈です」


 そうして冒険者として迷宮に潜る日々を過ごしたのだ。


「グロリア姉さまは誰よりも強く、正しくあろうとする人でしたから」


 ステアはそう呟くと深いため息を吐く。


「もともと、教団は常時四名の本部付人員をこの都市に派遣し、冒険者として育成にあたっていました。それはもちろん、僧侶として回復魔法の習得が目的です。しかし、姉さまは教団の者として唯一、僧侶としての達人認定を受けた後、戦士としても達人の認定を受けたのです」


 なるほど。それを聞いて僕は納得した。

 二種類の技能を使いこなすにはそういう方法もあるのだ。先に培った能力を大きく減じてしまうことから、ほとんど選択する者がいない手法なのですっかり忘れていた。

 迷宮の順応は職能の必要とする能力しか強化されない。

 ギーの様な例もあるが、あれはギーの戦乙女と呼ばれる祈祷師を兼ねた兵士としての立場がなせる特例であり、誰でもが真似できる訳じゃない。

 なので普通は戦士以外で一流であろうとも、戦士としての能力は迷宮に立ち入らない者と同じである。しかも、戦士として鍛え直す場合は魔法に関する能力が急速に衰え、使用回数が半分以下になってしまうのだという。

 僕が一種の呪いで攻撃魔法と回復魔法を、能力を保ったまま同時に使えるようになったのとは違い、ある面で正当な道であるともいえるが、経済的にはあまり得がない。

 結局戦士になるのなら、初めから戦士一本で順応を進めた方が圧倒的に強くなれるし、そもそも王国軍の兵士になるには一回の達人認定で十分なのだ。

 なにより、僧侶としての力を極めても、戦士として前列に立つのならば、それはわずかに回復魔法が使える戦士初心者に他ならない。

 どこを見ても半端であり、それなら基本の職能一本に絞り、仲間と徒党を組んで欠落を補い合う方が合理的である。少なくともこの都市においては。

 しかし、グロリアが睨んでいたのはこの都市ではなく、未開拓の土地だったのだろう。

 僕も新西方領に行った際は山賊に遭遇したし王国軍の占領直後ということもあり、人心もすさんでいた。

 そんな中で単身市街地を離れ、山村を渡り歩きながら信仰を広めていくのならばむしろ戦士技能の方が重要だ。

 それに比べれば、衰えてなお超常的な回復魔法はここぞというときに数回使用できれば十分である。

 考えてみれば、確かにグロリアの選択には合理性があった。

 しかし、そもそも単身で村を渡るのを避け、隊商に加えてもらったり、腕の立つ用心棒を雇えばいい。

 あるいは危険な場所を避け、安全な場所を見極めながら旅をするのでもいい。

 代替案はいくらでもあり、グロリアの負ったリスクと掛けた時間、費用にその手法が最適だったかは僕には判断しづらい。

 ただ、彼女の最大の武器がその強情さと愚直なまでの努力であろうことはなんとなく理解できた。

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