第419話 首投げⅥ
僕が家に帰ると誰もいなかった。
まだ昼なので、みんな仕事に出ているのだろう。
「いいのかい、アンタが帰っちゃって」
サンサネラが玄関で呟く。
「慣れないことだから、疲れちゃって。それに、僕がいてもどうしようもないでしょ」
各部門は責任者を選出して任せてしまった。
横から口を出すと混乱の元にしかならない。
「でも、現状を打破するアイデアとかないのかい」
「ないね」
僕は食卓に座り、テーブルの上の籠からパンを取った。
サンサネラは台所の鍋から煮物を皿によそい、勝手に食べている。
「この都市は、誰がどうあがいても今から苦しくなるよ。食料も、防衛力も不足している。治安維持だって、短期的にはともかく長期的にどうなるのかは想像もつかない。それを、うまくやれると吹聴しているヤツがいれば詐欺師だと思った方がいい」
状況が回復するまで、それなりの時間を必要とするだろう。
どんな方策も焼け石に振りまくわずかな水に過ぎず、絶望的な対症療法に過ぎない。
なにもないところから食料や物資を生み出せればどんなにいいだろうかと思うものの、それは魔法ではなくて奇跡の領分である。
「詐欺師とは、まあ、つまりアンタだねえ」
ヒヒヒ、と笑いサンサネラが僕の向かいに座った。
彼の言うとおり、僕は皆を手玉に取った。
ただ、誰より早く、それっぽい人々を集め、真剣な表情を浮かべただけで、大勢が僕に協力してくれている。
「いいんじゃないかい、アッシは好きだねぇ。悪足掻きはアッシやアンタみたいな追いやられた者の本領だ。見苦しく凌ぎながら、うまくやり抜く道筋を探るしかない。それに、誰もアンタに騙されただなんて思っていないさ。アンタが集めた連中は損をしない。損をして文句を言いたい連中はアンタの存在を知らない。知らない者は憎めない。それに、アンタは私心から動いた訳じゃない。うまくやって被害を少しでも抑えたかったんだろう」
まあ、そうなんだけどね。
僕は頭を掻く。
だからといって人を騙したことが帳消しになるわけでもない。
僕は自分の都合で、親しい人たちも巻き込んで芝居を打ったのだ。
僕が黙っていると、サンサネラのヒゲと耳がピクリと動く。
「お客さんみたいだよ。たぶん、アンタの嫁さんだ」
サンサネラの言うとおり扉が叩かれ、返事をすると開けられた。
そこに立っていたのは確かに僕の妻である、ステアだった。
ステアは僕を見てほっとため息を吐く。
「よかった、ここにいたんですね。少し、二人でお話をしたいんですけど、よろしいでしょうか?」
いつだって、対話は歓迎だ。
「じゃあ、アッシはその辺で昼寝でもしてるよ。ごゆっくり」
それだけ言い残すとサンサネラは家を出て行った。
薄暗い食堂に僕たちは取り残される。
「あの、私の部屋でお話できませんか」
「ええと、いいけど」
確かに、ここで二人対面していると帰ってきたルガムから不況を買うかもしれない。僕たちはいそいそと外に出て、教会に併設されたステアの私室に向かった。
何度か立ち入ったことはあるものの、何度見ても簡単な衣装入れとベッド、それに文机しかない。床にもカーペットなどは敷いておらず、板を打ち並べた簡素なものだ。
僕は文机の椅子に腰を掛け、ステアはベッドに腰掛ける。
「私の故郷が戦場になっていると、そういうことですよね。詳細はわかりませんか?」
僕が一同に説明したとき、わずかにふれた話題は彼女を不安にさせていたのだ。
「ごめんね。ぜんぜん、なにも」
あまりの不甲斐なさに気が重くなる。
故郷に対して思い入れが薄い僕と違い、彼女は故郷も、そこに暮らす家族も愛している。袂を分かった『荒野の家教会』にだって、割り切れない思いを抱いており、ローム先生の死を聞いて悲しんでいた。
優しい女の子なのだ。
目を伏せるステアに、僕はなにをしてやれるだろうか。
ステアはしくしくと泣きはじめ、僕は居心地わるく天井を見上げる。
彼女の故郷に伸ばす手がなにも残っていない。
ここにいると本来の無力な自分が突きつけられた。
まったく、逃げ出したくなる。それでも逃げるべきでないことくらいは分かる。
どうせ、救いようのない嘘つきなのだ。
「でも、きっと大丈夫だよ。『荒野の家教会』は反乱に直接は参加していないし、ベリコガさんも教会に恩がある。ステアの家族は教会に近しいんだから、ね」
騒乱の地にあって、ある程度の規模を持つ組織が平穏でいられるか。
そんなのは知ったことではない。
「そうだ。落ち着いたらステアの家族に会いに北方へ行ってみようか。行ったことのない土地だし、皆で行けばきっと楽しいよ。雪が積もる真冬がいいのかな?」
「……あの、真冬は雪が凄すぎて隣の家に行くのも大変なんです。旅なんてとても」
無知な僕の提案は、ステアを少しだけ笑わせることが出来た。
呆れさせたともいえるけど、僕が失望されるくらいで彼女を立ち直らせることが出来るのであれば、安いものである。
彼女の専門は人を守り、癒すことだ。僕よりもよほど上等な奇跡の使い手といえる。これからの都市に必要なのは僕よりも彼女だ。
「じゃあ、夏に行こう。涼しければ快適かもしれないし」
「あの、お願いがあるんですけど」
目を真っ赤に腫らしたステアは、頬を拭いながら呟いた。
「なんでも言ってよ」
出来るだけ、彼女の願いは叶えたい。
僕は笑顔で応えた。
「今夜は一緒に居てください」
その要望に僕は凍り付く。
なんだかんだとずっとはぐらかしてきた事態に、言葉が出なかった。
「寂しく、恐ろしいのですが、頼れる夫とならば乗り越えられる気がします」
なにかを説明しようとして差し出した手を掴まれ引っ張られた。
誘われるままに、僕は彼女の隣に腰を下ろす。
夫婦の間で、不自然を貫いていたのはむしろ僕の方で、しかし、そのこだわりはあっさりと貫かれて砕け散る。
口づけを交わしながら、今は他の全てのことを考えるべきではないと理解したのだった。
※
夕方には、ステアが辛そうに部屋を出ていった。
夕飯の準備だ。
僕は彼女の部屋で息を殺して天井を眺める。
夕飯に顔を出す度胸はないので居ないふりをせねばなるまい。
幸い、考えるべきことは山ほどあった。
突然起こり、状況を変えたいくつものことと、去った者たち。
残っている者でも、大切な存在と、そうでない連中。
これから確実に起こる問題と、失うもの。
それらを考えながら、同時に布団の残り香に股間がもぞもぞする。彼女の匂いや肌触りや味が、まだ生々しく脳に焼き付いている。
不安や恐ろしさが占めていた僕の胸を、今では幸福が同じ量だけ満ちていてどちらも譲ろうとはしない。
脳裏も胸中も拮抗した感情がぐるぐると渦を巻き、行ったり来たりを繰り返していた。しかし、拒もうとも時間はすすみ、やがて行動の正否を突きつけてくる。
願うべくは愛する二人目の妻が、故郷を捨ててまで選択した道を後悔することのないように。
僕はそんなことを思いながら、心地よい倦怠感と疲労に絡み取られ、一人眠りに落ちてゆくのだった。
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