第405話 朝食後

「それでは、今回の件は本当にありがとうございました」


 ラタトル商会に戻ると、ビウムは僕の前で深々と頭を下げた。

 顔を上げると、目には力強い光が宿っていて、もう大丈夫なんだと感じさせる。


「この借りも、必ずお返しします。私たち二人で。ねえパフィ?」


「え、あ、はい。もちろんです。今回はご迷惑をおかけしました」


 パフィもあわてて頭をさげ、それで二人は帰っていった。

 投資者への弁明などもあるのだろう。

 

「貸すやらこまいこと言わんで、綺麗にくれてやりゃあよかったとに。どうせこん前、ジャンカ坊を売った金やろ?」


 食事を終えたモモックが足下で呟いた。

 全く、人聞きが悪い。あの金はジャンカの育成委託費用で、前もって決めた金額である。それをガルダが立て替えて払ったにすぎない。

 今回、ビウムに渡したお金は無人の牧場でたまたま拾った金を宛てたのだからジャンカは無関係である。


「そうもいかないよ。それに彼女たちは僕から無制限の施しなんて望んでないよ。たぶんね」


「そんなもんかいな」


 モモックは鼻筋をボリボリと掻き、大きくあくびをした。

 

「まあ、よか。オイはどっかの間抜けな舎弟のせいで睡眠不足やけん、帰って寝るばい。また手みやげでん持って顔ば出さんね」


「はいはい、ふがいない舎弟でごめんね」


 僕が謝ると、モモックは壁を登り、見る間に屋根の上へ消えていく。

 一人取り残され、朝食会場の応接室を開けると、食事が終わったのかサンサネラは椅子に座ったまま目を閉じており、ロバートはジャンカの顔に着いた汚れを拭き取っていた。

 僕が一歩室内に入るとサンサネラは目を開いた。

 

「むぅ、おかえりよアナンシさん。ちょうど食事も終わったところさ」


 それに反応して、ジャンカもこちらを振り向く。

 

「おいしかったよ、先生!」


 無邪気に笑うその目にはかつての傲慢さが無い。

 もしかすると、こちらが本性なのだろうか。だとすればあの高慢な態度は陰謀渦巻く王宮で生き抜く為の仮面だともとれる。

 朝日に透ける銀髪をぐりぐり撫でるロバートが何となくほほえましかった。


「高貴な人の口にあったのならよかった。とりあえず、ロバートさんはこちらを。ジャンカもこれを」


 僕は先ほど宝石類を売って得た金貨から一部を革の小袋に詰め、二人に渡した。

 一人金貨五枚ずつ。

 一晩の野営補償とすれば破格である。

 しかし、ロバートが首を振ってそれを遮った。

 

「水くさいじゃないか。俺たちの仲だ。そんな物はいらねえよ」


 笑って言うのだけれども、僕の中に沈むアンドリューの記憶や考え方がそれを嫌悪感とともに拒否した。全身に鳥肌が立つ。

 僕は表情に笑みを張り付けたまま、どうにかロバートに袋を押しつけた。

 というか、俺たちの仲とはなんだ。

 この怪人が僕を一方的にさらい、望まぬ仕事を押しつけたのがつい先日の話である。

 それからしばらく一緒に過ごしたのを過分に考慮してもさほど親しくはあるまい。


「いや、もう本当にこういうことはキチンとしておけと、ご主人に指導されていますので」


 ロバートの手に無理やり握らせると、ジャンカにも渡し、返されないように距離をとった。

 これで今回の行為は金銭雇用と報酬の支払いに落ち着くだろう。

 朝食の賄いくらいは珍しくないので、これは問題ない。

 ジャンカが金貨を袋から出し、わあわあと驚いている。

 

「もらっていいの、先生?」


「お礼とお詫びにね。好きに使えばいいよ。お菓子でもおもちゃでも」


 酒でも女でも、好きに欲望を満たせる。金貨五枚というのは大金だ。

 

「この時間なら市場でお菓子の屋台が並んでいるから行ってみるといい」


 肉体労働に従事する者にとって甘い嗜好品は必須のものであろう。

 仕事にいく前に屋台へ寄り、仕事場へ買って行くことが多いのだ。そのため菓子売りは早朝から動きだしている。

 お菓子という単語にジャンカの目は丸くなり、パッと立ち上がった。

 

「やったね。お菓子、食べたい!」


 走り出したジャンカはさすがに冒険者らしく素早い身のこなしで、ロバートの制止を迂回して応接室からでていった。

 舌打ちをしたロバートも立ち上がるとジャンカの出て行った廊下をにらむ。

 まだ話したいこともあったのかもしれないが、彼の仕事はジャンカの護衛である。私的な都合より任務を優先し、ロバートも応接室から走り出ていった。

 にぎやかだった部屋には僕とサンサネラの二人が取り残される。

 サンサネラはアクビをして真っ黒いしっぽをぴゅんと振った。

 

「んなあ、アナンシさん。これからどうするんだい。マーロから聞いたけども殺人集団も、スリたちもブラントに繋がってるんだろう。迷惑もかけられたし、文句の一つも言いにいこうか」


 確かに多大な迷惑は掛けられた。知り合いがスリの被害に遭い、僕は刺客まで送られて、おかげで投獄までさせられたのだ。文句をいう権利は十分あるだろう。

 しかし、ブラントの顔を脳裏に思い浮かべるといつもの澄ました表情しか浮いてこなかった。

 

「残念ながらブラントさんは迷宮に入っているらしいんだ。帰ってきたら訪ねるつもりだけどね」


 それで僕がなにを言ったって、ふわふわと捉え所のないブラントの表情が変わることはない気もするのだけど。

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