第403話 仇

「あくまで貸すだけだからね。きちんと利息を付けて返済してね」


 ラタトル商会の会長室で、僕は何度も念を押してビウムに金貨袋を一つ差しだした。

 

「この御恩は決して忘れませんわ。アナンシさん」


 ビウムがにっこりと笑って袋を受け取る。

 その表情には疲労が濃く刻まれているので寝ていないのだろう。

 横でパフィが袋を開けて金貨を一枚ずつ勘定しだす。

 こちらは怒りにも似た表情を顔に浮かべている。

 

「それじゃあ、これだな。正式な金銭賃貸借契約書雛形」


 ご主人がキャビネットから書類を取り出し、僕とビウムの横に腰を下ろした。

 手には羊皮紙で作った契約書が二枚、持ってある。

 

「金額と利息、双方の名前を書け。返済の方法については羅列されたものから選べ。それから立会人に俺が署名する。それでいいか?」


 人に金を貸し付けられることはあっても、人に金を貸す日がくるとは思いもしなかった。

 それも大金である。

 話し合いの結果、毎月五〇枚の月末払いになった。利息は、まあ常識的かつ非常にささやかなものである。

 

「まあ、なんだ。事情はわからんがうまくやってくれ。それより、応接室で飯喰ってる連中を早く連れていってくれよ」


 ご主人は渋い顔でつぶやく。

 応接室に設えられた高級なソファにはバラエティ豊かな面々が腰を掛け、ガツガツと飯を喰っている筈だ。

 

「すみません。用が済めば退散します。それよりもあの、貴金属や宝石を取り扱う商人を紹介していただけませんか?」


 僕のポケットを占める拾いものを早く現金化しておきたかった。

 手早く大金を持ち運べるということは、なくしたときに被害額が大きいということでもある。

 ご主人はこの都市でも有数の大商人であるので、その紹介ならあくどく買いたたかれたりするまい。

 しかし、ご主人は顎に手を当て考え込んだ。


「そいつは難題だ。宝石商の連中は危険の匂いを察知して逃げちまったからな」

 

 そうか。豪商の連中は特に情報に聡い。

 殺人が横行する都市からはすぐに距離をとるだろう。


「ご主人は逃げないんですか?」


 僕の質問にご主人はため息を吐いて頷く。

 

「ガルダのところから護衛も送られてきてるしな。それに俺は扱っている商品がかさばるんだ」


 なるほど。

 宝石商はまさしく漂泊の民が貴重品を身につけているのと同じ理由で財産を移動させやすいのだ。しかも、どこへ持って行ってもそれなりの額面で現金化しやすい。

 対して小麦だとそもそも運賃が割高になるし、生産地区も広いために需要と供給の関係も強く働く。

 端的に言って、常に高値を叩いているこの都市以外だとわざわざ持って行ったって買い叩かれるのだ。

 だからこそ、ラタトル商会は首都ではなくこんな僻地に本拠を構えている。

 まいったな。

 アテがはずれて僕は頭を掻いた。


「金貨が締めて千と八二枚です」


 パフィが計算を終えて告げた。

 机の上には十枚ごとに重ねられた金貨の山が十個ずつ。それがさらに十個分固めてあるのでひとかたまり百枚だ。それが十個あり、端数がある。

 僕とビウムは金額を確認の上で記入し、それぞれの欄に署名をし、契約を成立させた。


「踏み倒さないでね」


「イレギュラーがなければすぐにでも返済します」

 

 その言葉は力強くて頼もしいのだけど、予測不可能なことが続くのが人生の本質ではないか。

 

「それよりアナンシさん、少しお時間よろしいですか?」


 ビウムが席を立っていった。

 

「多少ならね」


 僕も席を立つ。

 やることはあるが、急いでいるわけじゃない。

 

「あ、私も……!」


 パフィも慌てて立ち上がるのだけど、その肩にビウムが手を置いて再度座らせた。


「パフィ、あなたはアナンシさんのお連れの方のお世話をし、その後にお借りした部屋をきれいに掃除しておきなさい。会長、お騒がせしました。この埋め合わせは必ずいたしますので」


 そう告げて先に部屋から出ていく。

 

「あの、じゃあご主人。朝からお邪魔しました」


 僕もご主人に挨拶をし、ビウムを追った。

 途中、応接室のサンサネラたちに一言、声を掛けて外に出るとビウムは人通りがあるにも関わらず大粒の涙を流して泣いていた。

 

「アナンシさん、本当にありがとうございましたぁ」


 泣きながら、顔を押さえるけれど涎だか鼻水だかの液体が指の間から盛大に漏れている。

 

「責任を感じるパフィが死んでしまいそうで、どうしようかと思っていました」

 

 ひきつったような鳴き声に混ざってそうつぶやく。

 パフィはビウムにとって実の親や兄弟よりも愛しい、姉の様な存在である。失うことは耐え難かったのだろう。

 気持ちはわかるが、通行人の視線はまるで僕が悪いことをして女を泣かせてしまった様に映るだろう。

 

「ちょっとだけ移動しようか」


 僕はビウムを連れて通りを移動した。

 と、建物から厳つい男が飛び出してきて怒鳴った。


「くたばれ、因業ジジイめ!」


 おそらく冒険者の男は肩を怒らせて歩き去る。

 そこは通称くたばれ通り。『親切なコートンおじさんの便利なナンデモ取扱商店』がある通りだった。

 突然の罵声にビウムも度肝を抜かれたらしく眼を丸くして、動きを止め、しばらくして笑い出した。


「フフ、びっくりしましたね」


 ようやく泣きやんでくれたので、僕は胸をなで下ろす。

 

「鼻水をふきなよ」

 

 僕は手ぬぐいをポケットから取り出し、彼女に差し出す。


「ありがとうございます。あなたのおかげで私はパフィとともにここで生きています。ルビーリーをあなたが殺していなければ、もっと素直に尊敬も出来たんですけどね」


 ということは素直に尊敬されることは今後も永遠にないのだろう。

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