第0話 【番外編】冒険初めにはうってつけの日
馬小屋で眼を覚ますとあいにくの薄曇りだった。
私は湿気を吸ってベタベタとする藁の山から抜け出す。
本来なら蝋分を含んだ藁がベタベタすることはないのだが、新しい藁はベテランが独占しているため、私のような新人に回ってくるのはすっかり古くなった藁ばかりなのだ。そのため蝋分もとれ、筒も潰れてしまってベタベタと湿気を吸う。
雨が続けばカビも生えるな。
私は思いながら体にまとわり着いた藁を払った。
馬小屋のあちこちで同じように藁にくるまり、いびきを立てている者が何人もいた。
馬小屋は余所者に与えられる数少ない社会的福祉なのだと誰かが言っていた。宿屋に併設された馬小屋は、馬の邪魔をしない限りにおいて勝手な宿泊が許されている。
馬小屋に寝転がっている時点で、ベテランから私の様な新人まで、境遇は似たものだ。ほんのわずかな宿代にも事欠くその日暮らし。
しかし、成功して大金を手にしても引退するまで馬小屋に寝泊まりを続ける連中も珍しくはないらしいので、そこらに寝転がっている連中の中に大金を所持している者もいるかもしれない。
いずれにせよ、極少数だろうけど。
私は金を稼げるようになったらすぐにでもこんな場所は出たい。
馬糞を枕にして馬の小便で口をすすぐ様な生活は少なくとも私の目指すものではない。
冒険者組合の教育機関に通っている間は用意された宿舎に寝泊まりが出来たし、最低限の食事も用意されていた。
宿舎に寝泊まりできるのは卒業の夜までと規約に決められており、私は昨日から晴れて宿無しの仲間入りをしたのだった。
寝起きに覚えた空腹に惨めさを感じながら、私は出来るだけ早い馬小屋の卒業を目標に掲げる。
複数人で部屋を使うのであれば、それほど宿代は高くなく、この都市にいくつかある冒険者向けの安宿を定宿にしている者も多いらしい。
「今日からだな」
私はノビをしながら寝起きの体をほぐした。
「なにが今日からなの?」
二つ隣の藁山から質問がとび、私は振り向く。
そこにはにこやかに笑う少女が藁の上に座っていた。
「あ、起こした? ごめんね。うるさかったね」
私は片手を上げて軽く謝った。
こんなところで他人ともめたくない。せっかくここまできたのだから。
「ううん。大丈夫。私も起きてたから」
幼さ残る顔立ちの少女は茶色い髪に強烈な寝癖をつけていた。
ソバカスの浮く顔が寝癖に伴って木訥な印象を与え、雰囲気も好ましい。
「私はまだ寝ていたいんだけどね」
私と彼女の間の藁山がもぞもぞと動いて目つきの悪い女が顔を出した。
「ああ、ごめん。あーしはもう行くからさ、ゆっくり寝ててよ」
私は彼女たちに断りを入れて、その場を立ち去ることにした。
「あ、私も行くよ。ゼタ、先に行って顔を洗っておくからね」
少女は隣の女に声をかけると身の回りの物をリュックに入れて背負った。
私たちはなんとなく流れで、近くの公園にある水栓まで移動し、交代で顔を洗う。
「私はワデット。あなたは?」
「あーし? あーしはドロイだよ。今日から新人冒険者なんだ」
「へえ、私たちもなんだ。ほら、さっき私たちの間で寝てた子。ゼタっていうんだけどね」
そりゃそうだろうと私は思っていた。
あんな場所で固まって眠るのだ。古いか新しいかを別にすれば皆、冒険者だろう。
私が盗賊だと自己紹介をすると、彼女たちは魔法使いなのだと教えてくれた。
「さっきの人は置いてきてよかったのかい?」
「うん、あの子は朝に弱いからね。もうしばらくは動けないの」
私の質問にワデットはほがらかに答える。
なかなか感じのいい娘だ。冒険者生活初日に知り合えたのは幸運だった。
「あーしは『練習隊3』に配属されたんだけど、そっちは?」
冒険者組合は訓練所を卒業したばかりの新人を適当に組ませて冒険にあたらせる。もちろん、その後にパーティの移籍なども自由だが、大抵最初の数回は慣らしとしてそのパーティで迷宮に挑むのだ。
「ええと、確か私が『練習隊5』でゼタが『練習隊2』だったかな」
「へへ、職能が別だから組むかもって思ったけどやっぱり都合よくはいかないね」
私は前髪を頭上に縛りながら笑った。せっかくなので愛想良くいこう。
私たちはその後もベンチで他愛のない会話を交わした。
大金を得たら家族に楽をさせてあげたいとか、同級生だった奴隷の男の子を買い取って自由にしてあげたいとか、無邪気に語るワデットを見ていると、やや胸が痛んだ。
私の顔にはちゃんと無邪気な表情が浮かんでいるだろうか。
今後、友情関係を築くかもしれないこの少女に今まで歩いてきた泥溝の底の様な人生を気取られやしないだろうか。
襟元から覗く焼き印は見られていないだろうか。
盗みに失敗し、刑吏から五枚ともはがされ、爪が変形した右手をそっと握る。
それでもここまでやってきた。
元金は確かに盗んだ金だが、これからは盗まずにすむはずだ。
私の愛想笑いはもしかしたらひきつっていたかもしれない。
やがてゼタが起きてきて顔を洗い出したので何となく気まずくなった私は席を立った。
「それじゃあ、あーしはそろそろ集合時間だから。また、馬小屋で」
精一杯の愛想を浮かべ軽い口調でつぶやく。
手を振るワデットとぼんやりこちらを見ているゼタ。二人に背中を見せて街路を駆けた。
いくら親しくなったって、彼女たちだって死ぬかもしれない。
今夜の馬小屋に彼女たちがいる保証はどこにもないのだ。
私は途中の露天で一番やすい首巻きを買い、襟元を隠した。
過去はすべて捨てる。今から始まる輝かしい未来こそが私の人生なのだ。
冒険者組合から指定された待ち合わせ場所に行くと、陰気そうな少年が一人立っていた。
出来るだけ愛想良く。自分に言い聞かせて私は大声で名乗った。
「君も『練習隊3』の人? あーしはドロイ、よろしくね!」
私に大金をもたらしてくれる希望の迷宮はすぐそばで口を開けていた。
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