第398話 輪郭
夢見心地の表情を浮かべる中年役人が結局、なにをいいたいのか、僕にはその本心が分からなかった。
とりあえず差し入れられたまま干からびているパンと干し肉をポケットに詰めながら様子を伺う。
「私が彼女に惚れていたように、また彼女が私のことを好ましく思ってくれているのはわかっていた」
熱い視線は中空を彷徨い、僕のことなんかまるで見ていやしない。
「だから、彼女が件の迷宮に逃げ込んだとき、私も後を追うべきだった。愛の前には地上の名誉や財産など空しい塵にすぎん。だが、情けないことに私は怖かった。荒事に慣れん我が身はかくも傷つきやすいのだ」
怖がって正解である。
荒事に慣れていようがいまいが関係なく彼らは結局、わずかな子供たちを残して全員死んだ。
思い切ってついて行ったとて死体が一つ増えただけだっただろう。
「おかげで、一緒に死んでやることもできずに一人でおめおめと生き残ってしまった」
「はあ、そうですか」
僕はなんと答えていいかわからずにもごもごとした相槌を入れた。
「しかし、残ったのなら残ったなりにやるべきこともある。さし当たって、彼女の敵討ちだ」
役人の瞳に突如、剣呑な光が宿った。
「君はシガーフル隊の一員としてそれに同行したらしいね」
一瞬、しらばっくれようと思ったのだけど、周囲の兵士たちが教えていれば意味がないとして僕は頷く。
「ええと、まあ一応」
「じゃあ教えてくれ。誰がテリオフレフの首を落としたのか。やはりシガーフルかね?」
熱い視線が不快で、僕は身をよじった。
やはり、というのは辻芝居の結末では常にシグが邪教徒の親玉をやっつけたことになっているからであろう。
ちなみにその芝居ではシグ以外だとステアと、せいぜいギーしか出てこない。これはその後、シグが上級冒険者になった時点で他のメンバーが残っていなかったからだと思われる。
「誰が、といえば難しいですけど少なくともシグではないです。というか僕たちは『恵みの果実教会』と対談をしたものの、戦わずに帰ってきたんです」
潜入の過程で何人も信徒を殺してしまったことについてはとりあえず伏せておこう。
「嘘をつくんじゃない。シガーフルはテリオフレフを守護する竜の頭蓋骨から盾を削りだしたというじゃないか。あの忠勇の竜を殺されてテリオフレフが黙って見ているものか!」
リフィックのことまで知っているとなると、やはりテリオフレフに面会したことがあるというのは本当なのだろう。
しかし、倒してもいないドラゴンから防具を作成することはできない。
「閣下、はっきり言いますが当時の僕たちはまだほんの駆け出しで、戦っていれば彼女たちにはまるで敵わなかったはずです。本当に死にかけながら、どうにか彼らの仮宿にたどり着いたし、ほんの些細なきっかけで殺されていたと思います」
今ならどうか。
あのとき、今ほどの力を持っていれば、あるいは彼女や彼らを皆、絶望の淵から救うことができただろうか。
「一部始終を見て生き残っているのは僕たちだけです。そうして愉快な体験でもなかったので当事者は口をつぐんでしまった。他の人は断片から物語を想像するしかなく、その結果として妙なことを事実とされてしまった。総括をするとそんな話になります」
結局のところ、僕たちは階段の封鎖を解いて地下に封じ込められていた冒険者を救っただけだ。
芝居の様に世界を救ったわけでも王様を助けたわけでもない。
それに、目の前の役人の態度が芝居である可能性も考えればおいそれとテリオフレフやあの信徒たちに寄り添った発言もできなかった。
「では一体、どうすれば彼女の仇がとれるというのだ?」
眉間に深いシワを刻み、役人は言った。
「さて、どうですかね。僕みたいな無学の者にはわかりかねます」
「おや、寝てないのか」
不意に僕でも役人でもない者の声がし、僕たちの視線は一斉に声の主を捜した。すると、鉄格子の外に一人の男が立っていた。
顔に覆面を着けた男はさっと上級役人をみやると、首を傾げる。
「先客か? まあいい。邪魔するならおまえも殺すぞ」
言って武器を抜くと覆面男は格子の入り口から足を踏み入れる。
男が手にしているのは見覚えのある木槌だった。
昼間、遭遇したスリの用心棒である。やはり、あの場をしのいで生き延びたのだろう。
しかし、役人は突如現れた怪人に怯むほど腰が柔らかくない。
逃げるでもなく、むしろくってかかった。
「なんだ貴様は。誰の許可でここに入った?」
「閣下、待って--!」
僕の制止も空しく、木槌が一閃された。
ガチっと音がして役人は床に倒れこむ。
「邪魔だ」
男はそう言うと、それきり役人への興味を失ってしまったらしい。
「悪いが命を貰うぞ」
節操なしめ。
僕は内心で毒づいた。
昼間、刺客に狙われた件では漠然としか想像できなかったが、今なら確信に近い人物像が描けた。
こんな兵士詰め所の奥へ見つからずに入ってくるのはモモックでもなければ無理な芸当である。
では見張りの兵士を音もなく片づけたのか。
しかし、昼間見た戦闘力程度ではそれは無理な相談だった。
そうなると考えられるのは一つしかない。
刺客の依頼主は領主府の達人兵士たちに顔が利くのだ。
せめて差し向けられたのが親しい者でなくてよかった。
僕は魔力を練りながらそう思うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます