第389話 暴発
「つうわけで、悪いこと言わねえから黙って帰っとけよ」
カルコーマは手ぬぐいで汗を拭きながら言った。
別段、キトロミノスに情があるわけではない。
それでも、素直に帰るならわざわざ殺すほどの理由もない。
「待て、頼むからもう少し話を聞いてくれ!」
よよ、ともたれかかる様に駆け寄るキトロミノスに向かってカルコーマは手を一閃した。
濡れた手ぬぐいがパンッ、と音を立てる。
「き、貴様……」
顔を抑えたキトロミノスの手の隙間からだらりと鮮血が流れ出る。
しわがれた茄子の様な鼻が壁に張り付いて潰れていた。
「何年も横で見て来たんだ。俺にジジイの手口はきかねえよ」
ギリ、とキトロミノスの歯ぎしりが鈍く響く。
キトロミノスの指先は、手の内に隠した毒針をわずかな動きで射出した。
しかし、これもカルコーマの手ぬぐいに叩き落されて標的を射抜くことは叶わなかった。
カルコーマは目を細めてキトロミノスを見つめる。
出会ったころからまるで変らぬしおれた外見と、邪悪な人格が透けて見えた。
事情を知る者がなびかないのであれば、殺す。それを当然と思い、一片の疑問も抱かない生き物である。
「もう一回だけ言うぞ。このまま帰れ。次から殺す」
「やれ!」
欠損した鼻の穴から血の泡を吹きだしながら、キトロミノスは命じた。
備え付けの長椅子から音もなく四つの影が姿を現す。いずれも妙齢の美女たちであり、小奇麗な服装をしていたが、各々の手には不似合いな短弓が握られていた。
すでに矢はつがえられ、弦は引き絞られている。
首領の号令に応えて『蜜酒』の女暗殺者たちは一斉に矢を放った。
当たるわけがない。
難なくかわすと、カルコーマは身を隠しかけたキトロミノスに向かって手ぬぐいを伸ばした。
手ぬぐいは意思を持つかのようにキトロミノスの腕に絡みつき、かみ砕く。
次の矢をつがえていた女暗殺者たちは遅滞なく弓を引き、そこで動きを止めた。
弓とカルコーマの間にキトロミノスが立っているのだ。
もし、矢を射かければキトロミノスに当たってしまう。
しかし、そんな逡巡をよそにカルコーマの足は引き寄せたキトロミノスの頭をあっさりと蹴り砕いた。
「ほら、これでお前らの首領様も死んだ。伝統ある『蜜酒』もこれで終わりだ。お姉さん方はさっさと失せな」
キトロミノスに対しては殺すと宣言したから殺した。
女暗殺者たちは殺しても、見逃してもどちらでもいい。当然、向かってくるなら殺すが。
カルコーマが放つ圧力に気圧され、指導者を失った女たちは戸惑いつつ、弓を引き絞っている。
と、カルコーマが立つのとは逆の、宿舎に通じる扉から突然礼拝堂に人影が入ってきた。
「なにごとです、騒がしいですよ」
弓矢の一撃くらい、かわすのは造作もない。しかし、離れた場所から自らと反対側に放たれた矢を叩き落せるかと言われれば話は別である。
複数で取り囲んでいながら、カルコーマに威圧された女暗殺者たちは闖入者に向け、とっさに矢を放っていた。
入ってきたのが舎監のロームであると認識した時には、カルコーマに出来ることは既になかった。
「ああ、ああ。面倒くせえな」
苦虫を噛み潰してカルコーマは自らの額を叩く。
その視線の先で、ロームの胸には四本の矢が深々と突き刺さっていた。
ほんの一瞬、戸惑った表情でカルコーマを見つめた後、口から鮮血を吐いてロームは絶命した。
ドサリ、と地面に倒れた老婆はそれきり動かない。
「オマエこれ、お嬢に怒られるのは俺だぞ」
思えば、ノラ隊というよりもガルダ一味に重宝された老婆であった。
いろいろと世間ずれしていたために対価を示せば融通も利いたし、そのくせ表向きの立場も持っているので行動も読みやすい。
そういった意味で代わりを探すのが困難な人材ではあった。
「まあ、そんなわけで美人のお姉ちゃん方、残念ながら見逃すって話は無しになったな」
カルコーマは舌を出すと、凶悪な相貌に笑みを浮かべた。
殺すと決めれば殺す。破壊衝動が沸き起こり、吐息とともにまき散らされる。
三本目の矢をつがえながら、女暗殺者たちはもはや抗いがたい眼前の猛獣に身を固めて臨むのだった。
※
「そんなこんなで、ロームの婆さんはこの通りさ」
人をやって呼びつけたガルダに、カルコーマは状況を説明した。
キトロミノスと四人の女暗殺者たち、そうしてロームの死体が礼拝堂に血の池を作っている。
ガルダは靴が汚れるのも気にせず、固まりかけた血の上を無造作に歩き、周囲を確認した。
「そうか。ローム婆さんには残念なことをしたが、事実としてお前が殺したわけじゃないんだ。お前はローム婆さんが強盗に襲われて殺された場面に居合わせ、犯人を殺した。そうだろう?」
「ま、大きな間違いはないわな」
カルコーマは入り口付近に立ったまま首肯した。
「教団本部はそれで納得させるとして、ステアが厄介だな」
ガルダはボリボリと頭を掻く。
「なあ旦那、婆さんをあの胡散臭え寺院とかに連れてって蘇生させるわけにはいかんのか?」
金ならあるだろうし、この老婆ならそれに見合う価値もありそうだ。
それに敬虔な信徒ならよその信仰によって蘇るなど我慢できまいが、この老婆はそんな玉でもあるまい。
そう思って発案したカルコーマに、しかしガルダは首を振って応えた。
「残念だが、なあカルコーマ、人は死んだら終わりだ。それが当たり前で、世間一般の常識だ。おまえの言う寺院はどういった技術かそれを覆してきた。しかし、その奇跡も昨晩までだったらしい。奇跡を独占して荒稼ぎしていた寺院の坊主どもは昨晩、皆殺しにされた。まだ公表されていないが、領主府に忍ばせた伝手からの確かな情報だ」
ガルダは財布から金貨を数枚取り出すと、ロームの胸に置き、見開いた瞼を落としてやった。
「この化物爺さんといい、この都市にいろいろ入ってきているぞ。どうせなら俺たちがいなくなってから来ればいいものを、なあ」
短い黙祷をささげたガルダはそう言うと、禍々しい笑みを浮かべる。
カルコーマも概ね同意して頷いた。
「それじゃ、後始末は任せるぜ。俺は腹が減った」
しかし、騒動のおかげで本日二度目の朝食を取り損ね、カルコーマの腹は盛んに空腹を訴えている。この時間となればステアが用意する食事も片付けられているだろう。
カルコーマは後の面倒事を全部ガルダに押し付けると、食事を取るために朝の街へ出ていくのだった。
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