第370話 変身中には手を出すな
右に行けばおそらく吸血鬼の眷属がいる。
左だとフライアッシャーの気配がする。
吸血鬼はもちろん、高度な再生能力を持ちさらには敵の生命力を吸収することもある難敵だ。
一方のフライアッシャーは動物の類に寄生した巨大なキノコが宿主を動かし襲ってくる魔物である。敵を見れば猛毒の胞子を振りまいて麻痺させてくるので、こちらも厄介である。
純粋な戦闘力では吸血鬼の方が厄介なのだけど、ジャンカを生き残らせる為には肉弾戦に頼る吸血鬼の方が組みやすい。
「右に行こう」
三叉路で言うと、前衛は右側に歩き始めた。
と、バリバリと空間を引き裂いて小型の悪魔が顔を出す。
魔力が読めてもこれは読めない。
魔族の顕現である。
これはあまりよろしくない。
僕はあわてて周囲の魔力をかき集めると、魔力球に変換して今にも空間から頭を出した緑色の魔族に放つ。
『流星矢!』
緑の魔族は空間の穴ごと消滅し、周囲の魔力不足により次いで渡ってこようとする連中の道も塞げる。
しかし、それも現れる数をいくらか減らせる程度の効果しか見込めない。膨大な魔力の全てを消費し尽くすことは現実的じゃないのだ。
「ジャンカさん、絶対に動かないでね」
ジャンカに告げる。あまりウロチョロされると守り切れないかもしれない。
「よいしょ!」
サンサネラは飛び込むと、空間から体を見せている魔族たちを次々と刺した。
敵は抵抗無く攻撃を受けていく。
「待って、サンサネラ!」
僕はその行為を慌てて止めた。
僕の場合は空間の穴ごと消滅させているのだけど、そうでなければ顕現途中の魔族を殺すのはあまりうまくない。
確かに彼らは無抵抗で出てくるが、それは迷宮に漂う魔力のみを触媒にしてこの世にやって来るからだ。その際、肉体を魔界から持ってくる必要があり、空間に開ける穴はどうしても大きくなる。この穴はどうしても空間内の魔力濃度に比例して大きさの限度が決まるため、浅い階層より深い層で強力な魔族に遭遇しやすくなる。
最初から利用できる肉と用意された道があれば話は変わってきて、魔族は肉体など置いて魂だけでやってこれるのだという。
地上で悪魔召喚の儀式に関する記録が確認できるのも、この辺が関係しているのだ。
では、魔界からこちらへ渡ろうとする魔族を大量に殺せばどうなるか。
彼らは貪欲で、嗅覚鋭い。
空間がつながった状態で魔族の死を多数確認すれば往々にして、より上位の魔族がやってくる。僅かな穴から自らの魂のみを押し入れたそいつは、そこに落ちている同族の肉体を自らのものとし、顕現する。
だから上位冒険者の中では顕現中の魔族を攻撃するのは避けるようにという申し合わせまであった。まだ初心者のサンサネラにそれを伝えていなかった僕のミスだ。
「なんでだい、アナンシさん?」
サンサネラが攻撃の手を止めて距離を取った。
しかし、今は説明している時間がない。
「みんな、もう少しさがって!」
全員で二十歩ほど後退すると、空間を割って出てきた魔族たちの死体がぼとぼと地面に落ちるのを確認する。
生きているのは二匹、死んでいるのが六匹。
瞬間、ドロリと死体が溶け寄り集まるとあっという間に青光った肌の魔族が出現した。
鋭い爪と白く光る目。纏う魔力は尋常ではなく吐く息までが稲光を含み、バチバチと音を立てている。
先ほど戦った金属巨人なんかよりも倍は大きい。
上級魔族。直接目にするのは初めてだった。
コイツはまずい。
いくらノラがいるとはいえ、こんな即席パーティでは手に余る。
「仲間を呼ばれちゃ厄介だ!」
ロバートが長剣を振りかざしながら間合いを詰め、戦闘が開始した。
熟練の戦士による攻撃は上級魔族がむんずと掴み盾替わりにした下位魔族を両断するに留まった。
同時にノラとサンサネラも動き出しており、ノラがもう一体の下位魔族を斬り捨てると、サンサネラはその陰から魔族の死体を蹴って飛び上がった。
同族を掴んだ上級魔族の腕を蹴り、視線よりはるか上まで躍り上がったサンサネラはナイフを構えて頭頂部へ落下する。
通常の敵であれば文句なしの決定打は、しかし上級魔族の吐息にあっさりと迎撃された。
彼らは魔法を使うとき、いちいち魔力を練ったりしない。
手を伸ばすように変換された魔力は、猛烈な冷気となって周囲に振り撒かれた。
周囲の温度が急激に低下していく中、サンサネラは跳ねのけられた蠅のように放物線を描いて落ちてくる。
「モモック、受け止めて!」
僕が言うより早く駆け出したモモックが体を膨らませてサンサネラの下に滑り込んだ。
バウンドし、どさりと地面に落ちたサンサネラは身の毛が凍り付き、意識も曖昧になっていた。
こういう時の為に練習はしていた。あまり得意ではないのだけど。
『傷よ癒えよ!』
周囲の魔力を変換し、回復魔法に転化していく。
慣れている攻撃魔法とは違い、どうしても効率が三分の一ほどに落ちるのだけど、それでも僕が本来使える回復魔法よりはかなりマシだ。
魔力が変質しサンサネラを包むと、凍り付いた鼻先や眼球が解凍され、意識が戻ってくる。
「アイヤン、ジャンカ坊も死によっぞ!」
体力の絶対値が低すぎて、冷気攻撃のほんの余波でジャンカはうずくまっていた。
ほっとけ!
そんなことよりも、今は二体の下位魔族の肉体を依り代に顕現した二体目の上級魔族への対応がはるかに重要だった。
依り代の小ささから、一体目より半分程度の大きさだけど、内包する魔力は変わらない。
「にゃはは、恐ろしい相手だね」
身を起こしたサンサネラは笑いながら、苦しそうに頬を歪めた。
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