第364話 懇親会
少しだけ考えたのだけど、地下二階に降りるのはやめておいた。
やはり下層に降りればそれだけ危険度が増大する。
地下一階の魔物達だけを相手に戦いを重ね、時間をつぶす。
迷宮から出ると、外はまだ昼過ぎといった時間帯だった。
ジャンカはどうも、稽古はきちんと積んでいるものの実戦経験は乏しいようで顔に疲労の色が濃く見える。
今にも倒れようとする体を気力で立ち続けさせるのは立派だけど、疲労の欠片も見せない他の連中に紛れると一人、虚弱な子に見えてしまう。
「じゃ、僕は詰め所に報告して帰るので……サンサネラは一緒に帰ろう。他の人は自由解散でお願いします」
辛そうなジャンカ、不機嫌そうなモモックと、相変わらず鷹揚な表情を浮かべ真意の読めないロバート。彼ら三人は返事もせずに僕を見ていた。
※
詰め所の外に出るとモモックは既におらず、ジャンカは井戸辺で装備品の汚れを落としていた。
彼の場合、組合員ではないので詰め所の倉庫は当然使えない。
だからこんな場所で水に漬けると重くなるのにな、なんて思いつつしらんふりをして脇を通り過ぎた。
「待て待て、ちょっと相談だ」
僕を呼び止めたのは、手伝いもせずに突っ立っているロバートだった。
彼は指導を一切しないという事で今回の迷宮行の間もジャンカに話しかけたりしていない。
それでもジャンカの護衛としては十分な働きをし、傷一つ付けていない。
「なんです?」
あまり関わりたくない男だ。僕は素っ気なく振り返った。
「せっかくだから飯でもどうだ。いくら望まん仕事でも少しくらいは親睦を深めた方がいい」
あまりうれしくない提案だ。
遠回しに脅迫する様なヤカラと、仲良くなる事が恐ろしい男。
出来れば最低限の要求を満たし、そっと離れたい。
「あの、申し訳ないんですけどロバートさん。僕は……」
「払いはこちらだから気にすんな。な」
断っても、押しつける。この性格がアンドリューを歪めたのだ。
「いえ、そちらの拠点まで行くとまた帰りも遅くなりますし」
「ああ、帰りに町で食おうや。な、ジャンカ。それでいいよな?」
「……うん」
ジャンカはムスッと応えるのだけれど、僕の方がよほど付き合いたくない。
「ジャンカさんも疲れているでしょうし……」
「ナメるな、これしきのことで疲れたりしない」
だったら今すぐ自主練習でもなんでもやれ。
「もう本当に、帰り際ちょろっと寄るだけだ」
極力、イヤそうな表情を浮かべてから気がついたのだけれど、ロバートは周囲の表情など読まない。
「なあアナンシさん、飯くらい付き合ってやろうよ」
サンサネラが僕の背中をたたき、僕はため息とともに避けられぬ食事会を受け入れた。
※
「あの、酒場はあっち……」
先頭を歩くロバートの進行方向に、いつもの酒場はない。
「一国の王子が飯をおごるんだ。もうちょっと上等な席じゃなきゃ恥ずかしいだろ」
そう言いながらロバートが案内したのは、大勢の人が行き交う花街だった。
買い物を目的に端っこまで来ることはあったけど、中を歩くのは久しぶりだ。街並みと人混みがなんとなく嫌な記憶を思い起こさせるのだ。
モモックを背負わされ、アンドリューに絡まれ、エランジェスに殴られた。ろくな思いでは一つもない。
見上げると背の高い建物が並び、通りでは客引きが通行人の袖を引いている。
経営がエランジェスの独占からいくつかの商会に分散されたらしいのだけど、一見して変化は解らない。
「食事だけなんだから、適当でいいですよ」
僕は最後尾でぼやく。
「この辺がいいかな」
ロバートは僕たちの反応も見ず、一件の店に入っていった。
いかにも堅そうな扉をくぐると、厳つい男が深々と頭を下げ客を迎える。
店内には七つのテーブルが十分に隙間をとって並び、その中をきわどい格好をした美女たちが歩き回っていた。
よく見れば美女たちは配膳だけじゃなく、客の間に座って話しに加わったりもしている。
食事よりは女性の接待を受ける事を目的とする店なのは間違いないだろう。
ロバートは空いている席に座ると、僕たちも同じテーブルに腰を下ろした。
ロバートを基準に左隣にジャンカが、向かいにサンサネラが、右隣に僕が座る。
席の間に一人分ずつの隙間があり、正面よりは隣の方がいいと思ったのだ。
「やあ、なんか食事を頼む。それと、例の娘を」
ロバートは注文を取りに来た美女に小銭を渡し、そう告げる。
「ロバート、常連なのか?」
ジャンカが怪訝な表情で尋ねた。
「俺は一時期、この辺りで用心棒をして食ってた。失職して街もいろいろ変わったが、最近も用があって店を回ったんだ。この辺りは一通り抑えてる」
ロバートだって独身男性だ。花街に足繁く通うのも不思議ではない。
だけど、なにかとても嫌な予感がした。何かを見落としてはいないか。
「あ、ロバートさん。お久しぶりです」
やがて、料理を持った美女が一人、テーブルまでやってきた。
馴染みなのか、ロバートに対して親しげに話しかけてきた。途端に、背筋を冷や汗が流れる。
「おう。それでこの前の話だけどな、俺の相棒と一緒に来たのはこの小僧だったか?」
朗らかに、悪意など一切無い口調で、ロバートは楽しそうに僕の方を指で差した。
「ええと、ええ。そうです。お客さんもお久しぶりで……」
営業用の愛想笑いを浮かべた美女は、かつてアンドリューに連れて行かれた店で、僕を介抱してくれた女の子だった。
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