第354話 エネルギー
「あら、その子は?」
「アルです。こんにちは神様!」
ステアの問いに、僕が答えるより先にアルが答えていた。
「まあ、礼儀正しい子。私はステアともうします。ごめんなさいね。私は神様なんて立派なものじゃなくて、この教会の責任者なんです。よろしくね」
微笑んだステアはサミを持ち替え、ぺこりと頭を下げる。
頭を上げると、こちらに近づいてきてサミを僕に押しつけた。
柔らかく太陽のような匂いがする赤ん坊は、くせっ毛が強くてフワフワな髪をしている。
小さな口をあけて、小さな目で虚空を見ているのだけど突き上げた小さな手が愛おしい。
「せっかく帰って来たのだから、娘と触れあったらいかがでしょう。ルガムさんには会いましたか?」
「いや、まだだね。少し休んだら行くよ」
僕はサミのお尻をポンポンとたたきながらステアに応える。
ステアは初めて会った時よりもずっと大人びた手つきで、アルの頬を撫でた。
「それで、こちらの坊やはどんな素性の子なんですか?」
細めた目の、非難がましい視線が僕に向く。
つい先日、男爵国からあまり素性のよくない少年たちを連れ帰ったばかりなのだ。
その際もステアをずいぶんと悩ませた、にも関わらず新しい子供を連れてきたことを責めたいのだろう。
「この子は今朝、ご主人のお屋敷から連れて来たんだけど、ちょっと理由があって預かることになったんだ。誰とはいえないけど、なかなかな大物の子供だよ。僕の子供として接してくれると助かるよ」
ステアはわかったようなわからないような怪訝な表情を浮かべていたのだけれど、にっこりと笑うアルを見て諦めたように頷いた。
結局、彼女も他者を拒絶したりするのは苦手で、僕はそういうところも愛おしいと思う。
「アルくんは、じゃあ今晩から私の宿舎の方で面倒を見ますか?」
ステアの教会には小雨の他、カルコーマと幼い子供たちがいる。
宿舎は余裕をもって作られており、子供たちを四人ずつ部屋に入れても、まだ部屋が余っているのだ。
「それとも、ルガムさんの方にアルくんとサミを預けてあなたが私の方に来ますか?」
不満そうな表情でステアは言う。それはとても魅力的な提案なのだけれど、僕とルガムとステアと、周りを取り巻く関係はもし、僕たちが一線を越えると崩れてしまいそうな気がした。
「とりあえず今晩はルガムの家で過ごすよ。いろいろと冒険の準備もあるし。明日は都合がよければ遊びに行く。必ず」
「そうやって何度、あなたの嘘に騙されて来たでしょうか」
ステアは額を押さえてうつむくのだけれども、心が痛む。
子供たちさえこの場にいなければすぐにでも期待に応えたい。
でも子供たちは消えたりしないので応えることはできないのだ。
むしろ何もかも忘れて彼女を抱いてしまいたい欲求の存在は常に腹の底をうごめいていた。
※
サミを抱いて、後ろにアルを引き連れてルガム邸に向かうと、彼女は家の横手で薪を割っていた。
太い切り株を下敷きにして、その上にあらかじめ小切った雑木を置く。
衰えたとはいえ前腕の筋肉は十分に発達しており、片手用の鉈で太い薪を簡単に両断していった。
「ただいま」
見事な手並みの薪割りは見ごたえがあり、アルも口を開けて楽しそうに見ていたのだけれど、いつまでも積み重なっていく木片を眺めてもいられない。
ルガムの手元から木切れがなくなり、小気味いい音が途絶えた時点で声を掛けた。
「ただいま」
「あ、おかえり」
ルガムは額の汗を拭うと、鉈を切り株に叩き込んで立ち上がった。
皮手袋を外すと、腰の後ろにねじ込む。
薪の生産は新たに加わったルガムの内職だった。
都市には人口が多く、それぞれが生きるために燃料を使う。
そのために薪の需要は常に高いのだけれど、各人が薪炭林を持っているわけでも、作業場を持っているわけでもない。
そこで各商会は郊外の薪炭林で雑木を立木買いし、切り出して都市へ運んでくるのだ。さらに小切りして、乾燥のために割らなければいけないのだが、それぞれに手間がかかる。
そこで内職として薪割りを行う者が発生するのだ。
ルガムの場合、ガルダ商会が買い入れてきた雑木を小切りにするところから割るところまでを請け負っている。
楽な仕事ではないが、確実に金を稼げて仕事が尽きないのも魅力だ。
割った薪は薪小屋と呼ばれる屋根だけの簡易な東屋に積んで乾燥するのだけど、小屋一つを埋めていくらという契約らしいので、そこから薪の乾燥と販売に着いてはこちらの関わることではない。
「ただいま戻りました」
僕の帰還報告にたいして、ルガムは含みのある笑みで迎えた。
「サミがいるってことは……あんた、私よりも先にステアに会ったね」
悪戯な口調が僕を責める。
偶然なのだけど、その通りなので抵抗も出来ない。
「お父さん、この人は誰?」
アルの言葉でルガムの眉はピクリと跳ねあがった。
「ええと、サミのお母さんだよ。この家の主でもある」
アルに説明をすると、ルガムに向き直った。
「いろいろとあって、預かった子なんだ。本当に内緒なんだけど、この年齢で高度な魔法を使える。特殊な生まれで、狙われると危険だから僕の子供ということにして目の届くところに置きたいんだ。もちろん、彼も僕をお父さんと呼ぶ。ルガム、申し訳ないんだけどそういうわけで、いいかな?」
眉間に深い皺を寄せながら、ルガムは僕とアルを見比べた。
僕たち夫婦において、問題ごとを持ち込むのは大抵、僕の方である。
大変、申し訳ない。
「狙われるの?」
首をかしげながらルガムは聞いた。
今のところ予定はない。
「目立たなければ大丈夫だと思うんだけど」
「……本当に? ここには子供も沢山いるんだからシャレにならないんだよ」
その言葉は否定ではなく、きちんと気をつけろという釘さしだった。
面倒見の良さで、この共同体をまとめる女傑は僕からサミを取り上げるとお尻の匂いを嗅いだ。
「とりあえず中で話そうか。お嬢様のオムツも換えなきゃだし」
ルガムはそう言うと、干していたオムツを取り込んで家の中に入っていった。
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