第351話 共同体

 目が覚めて、まだ眠っているギーの尻尾を引き剥がすと体を起こす。

 グフ、グフという寝息は短い間止まったのだけれどまだ寝足りないのだろう。ギーは再び寝息を立て始めた。

 寝返りを打てなかったために固まった体を伸ばす。

 順応が進んだ感覚は今朝もなかった。

 と、いうよりも回復魔法が使えるようになって以来、一度もない。

 おかげで一向に強くなれないのだけど、この驚異的な順応の遅さはやはり呪いなのだろう。

 と、隣のベッドではアルがまだ寝息を立てていた。

 ずいぶん大きく見えるのだけど、内実はまだ生まれたてなのだ。

 アルを持ち上げると、そのままギーのベッドに押し込む。

 すぐにギーが絡みついてきて、思わず笑ってしまった。

 二日か三日はアルと一緒に街をぶらついて、一号の元に連れて行こう。

 一号が羽を伸ばす日を定期的に作るのであれば、これからもアルとは都市で過ごす時間ができる。

 それはとても楽しみなことであり、同時に少しだけ困難の匂いをはらんでいた。


 ※


 お屋敷の門番は入る者を取り調べて選別するのだけれど、退出者にはゆるい。

 僕がいつものように挨拶をすると、後をついて歩くアルも見咎められずに出ることができた。


「お父さん、これからどこへ行くの?」


 アルが目を細めながら聞いた。

 迷宮の暗闇に生まれた彼には日光がまぶし過ぎるらしい。

 どこかで帽子を買ってあげねばと判断し、市場に足を向ける。

 

「とりあえず人が沢山いるところかな。お店が並んでいて日用品が売っているんだ」


 そこで朝食をとりつつ、アルの帽子や着替えを買おう。

 僕たちは手を繋ぎながら朝のにぎやかで、それでいてまだおとなしい雑踏を歩いた。

 やがて露天が立ち並ぶ通りに着くと、揚げパンと茹でた塩肉を買って朝食を済ませ、アルの生活雑貨を買い集める。

 子供用の帽子なんて売っていなくて、あったのは冒険者用の革帽子か鍔がついた作業用でとりあえず前面に鍔のついた布製の帽子をかぶせるとサイズが合っておらずその妙なおかしさに負けてそれを選んだ。

 アルはブカブカの帽子をかぶり、目に直射日光が入らないだけでも心地いいのか喜んでくれた。

 ベンチに座って、買い集めた道具をリュックに入れると、ずっしりと重くなる。

 これが親の責任の重さだろうかなんて思いながらアルの背中を撫でた。


「ねえアル。お屋敷にいたギーやメリア、ついでにモモックも僕の家族なんだけど、他にも家があって、家族はたくさんいるんだ」


 アルはキョトンとした表情で僕を見上げる。

 

「僕とお母さんの家みたいに?」


 迷宮地下十五階のあの部屋も確かに僕の家族が住まう家に違いあるまい。

 アルにとってはそここそが自分の家なのだ。


「そうだね。今から行く家が一番大きくて、家族もたくさんいる。もちろん、僕の家族ということは君の家族だ。子供たちもたくさんいるから、君にはたくさんの兄弟ができることになるね」


「お母さんの家族でもあるの?」


 アルの言葉に僕は固まった。

 もし一号が地上にいたら、ルガムやステアのことをどう思うだろうか。

 ルガムやステアは一号のことをどう思うだろうか。

 どう考えても仲立ちは困難で、僕の胃を痛めつけるのだろうけど、その日々は僕にとって最も求めるべき日常なのかもしれない。

 

「そう……だね。お母さんはきっとみんなに受け入れられて、愛されるよ」


 浅い階層で体調を崩す一号が迷宮を飛び出る日は今のところ来そうにもない。

 それでも、いつか彼女がやってきてルガムといがみ合ったり、ステアに嫌な顔をされればいいのだ。

 叶わぬ願いだけれど、ある面でアルの存在はそれをほんの少しだけ叶えてくれている。

 

「君より小さな子供も何人かいるけど、一番小さいのは女の子だ。サミっていう、まだ赤ちゃんだけどとってもかわいい女の子さ。君は歳の割にとても強いから、もし何かあるときはサミも、他の子たちもみんなを守ってあげてよ」


 子供たちの中には冒険者を志す子供もいて、僕やルガム、ステアがその都度反対して諦めさせている。

 だから、現状では子供たちの中で最も強いのはアルに間違いはない。

 いつか僕が死んでしまっても、彼には他の家族との絆を保ち続けて欲しいと思う。

 人間と魔物の間に生まれた彼が、出来るなら人間の側として生きることが出来ますように。心底勝手な願いだとは思うのだけれど。



「わあ、どれが僕の家?」


 アルが目を丸くして周囲を見回した。

 もともとルガムの家が建っていた場所の周辺を切り開き、大きな建物がいくつか建てられていた。

 ステアが代表を務める宗教団体の礼拝堂と併設の宿舎。

 ガルダが代表を務める商会の事務所と倉庫。

 共用の大食堂。

 家畜小屋に工房、大きくなった子供たちが寝泊まりする宿舎など、周囲の様相は以前と一変していて、都市の中に一種独立した共同体が形作られていた。

 

「ええと、とりあえずあれは違うかな」


 ガルダ商会関連の建物は確実に違う。

 しかし、周辺の土地も建物もだいたいはガルダが金を出して買い上げ、建てている。そういった意味ではルガムの家だけが僕の家ではあるのだけど。


「あ、アナンシさん。おかえり」


 立ち並ぶ建物の中央、設けられた広場で声をかけて来たのは西国から連れて来た浮浪児だった。

 『恵みの果実教会』から預かった子供たちは勤勉で、朝から仕事に出ているのだけれど、彼らは勤労意欲に乏しく、大抵は家の周りでゴロゴロしている。

 今だって、広場の周辺に座り楽し気に輪を作っている。

 各々が手元に握りこぶし大の石を数個ずつ持ち、中央を見ていた。


「あれも家族?」


 アルの質問に僕は苦笑しながら頷いた。

 彼らも一緒に食事をするし、雑用くらいはやってくれる。

 気楽な共同体の一員には違いない。

 

「真ん中の人だけは違うけどね」


 輪の中央では刀を手に、目隠ししたノラが立っていた。

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