第346話 帰郷

 僕たちは喧噪を離れて住宅街を歩く。

 夜の街路には人気が無いのだけれど、時々同業者や巡邏の警備兵隊とすれ違う。

 毎度、元気に挨拶をしていたアルも相手がギョッとするサマと、僕の立ち姿を見て学習したらしく、徐々に会釈を交わすだけに変わっていった。

 やがて、一般市民の住まう住宅街から上級市民の住まう高級住宅街に入る。

 と、そこまで来て気づいた。

 ご主人の邸宅へ、どうやってアルを入れようか。

 仮にも豪商の居宅であり、柵の入り口には門番も配備されている。

 一応、僕はここの住民として過ごした日々もあり、またご主人もどうやら未だに僕のことを配下だと思っている節があるので、基本的には今でも立ち入りを許されている。だけど勝手に客を連れてきていいという理屈にはなるまい。

 下手をすれば今後の立ち入りが制限されるだけではなくて、ギーやメリアにも迷惑をかけるのではないだろうか。

 ギーは一時期、柵を飛び越えて侵入していた時期があったのだけど、僕の息子にそこまでの身体能力を求めるのも酷か。

 握っている華奢な手のひらは、将来いかな大物になるとしても現時点では頼りない。

 モモックの様に壁に穴をあけて侵入するのもまずい。

 それ自体は魔法で可能なのだけど、修復の手段が無いため実際にやると後々問題になるのではないか。

 いろいろ考えた末、僕は一番適当な、ローブの懐にアルを隠して門番をやり過ごすという単純な戦法を選んだ。

 ローブの内側にはコルネリがしがみついたまま眠ることがあるので、門番たちも僕の胸が膨らんでいるのには慣れている。

 しかも、冒険者で有らざる彼らは傍らに松明を設置しているために周囲へ影が出来てすこぶる暗い。

 大きなリュックを前面に下げればアルの足下までは注意も行かないだろう。

 そんな程度で企んだご主人宅侵入作戦は果たして、あっさりと成功したのだった。


 ※


 庭に入ると、物陰でアルを出す。

 

「ドキドキしたね、見つからないでよかった!」


 いたずらっぽくはしゃぐアルの横顔は一号の、あるいはそのモデルたるテレオフリフの面影が浮かんでいて、僕の胸をギュッと締め付けた。

 僕はどこかで落としてきたものを、この子のおかげで全て取り戻せるんじゃないだろうか。そんな感情までが頭に浮かび、気づくと彼を抱きしめていた。

 

「くすぐったいよ! やめて、放して!」


 声を殺しながらも楽しそうに笑う声に、無性に切なくなる。

こらえきれなくなった感情が涙腺からあふれ出して、僕の頬を伝った。

 

「ねえアル、何があっても君を守るからね」


「ええ、大丈夫だよ。僕にはお母さんがいるし」


 戸惑ったようなアルの言葉に、僕は笑ってしまった。

 確かに彼女のほうが僕よりもずっと頼もしい。

 それに、どちらが早く死ぬかといえばやはり僕だろうから、アルにはぜひ母親との良好な関係を維持していただきたい。

 アルを開放して涙を拭う。

 僕の人生は泣き笑いくらいがちょうどいいのかもしれない。


「お父さん、泣いてるの?」


 アルが心配そうに目を細めた。

 いい子だ。僕には過ぎるほど。


「ちょっと月が眩しくてさ」


「そうだね、あんなに光ってるもんね」


 僕の適当な返答に納得したのかアルは大きく頷く。

 いつまでもこの子とじゃれていたいのだけど、それはこれからもできるだろう。


「ほら、あれが目的の家だよ」


「うわあ、小っちゃい。あっちじゃないんだね!」


 お屋敷の方を指差すアルに力が抜けつつも、わが懐かしき古巣の戸を叩いた。


「ギー、メリア、僕だよ!」


「アイヤン、助けちゃってぇ!」


 すると、小屋の中からすぐに情けない声が返ってきた。

 可愛らしい声の、変なしゃべり方。そんな知り合いは一人しかいない。

 扉を開けると、そこには鎖に縛られたまま地面に転がされたモモックと、ベッドに座ってそれを見下ろすギーがいた。

 よく見れば、部屋の隅に椅子を置き、陣取るメリアも渋い表情を浮かべている。

 

「丁度いいところに来タナ。つい先ほど戻ってきたところを捕獲したノダ」


「ああん、なんでオイが捕まらんといかんとね。なんか勘違いがあっちゃなか?」


 短い脚をバタバタと動かして藻掻くのだけど、よく見れば背中に棒が通してあり、首と腹がその棒に結んである為に背中を曲げて鎖を噛みちぎられないよう対策がなされていた。

 

「なんか今日はおかしかって。メリアしゃんがいっちょん打てあってくれん。アイヤン、あんた助けんね!」


 彼のためにひどい目に合ったのだとすれば、メリアも内心穏やかにはいられないだろう。

 ふと魔力のざわめきを感じ、横を見ればアルが魔力を練って臨戦態勢を整えていた。


「お父さん、敵なの!?」


 基本的に、迷宮の中で出会う存在はともに行動する仲間を除き「戦いが避けられる敵」か「戦いが避けられない敵」しかいない。

 地上に出れば少数の「仲間」と「できれば戦いは避けた方がいい敵」、それに大多数の「関係ない人」に分かれると説明していたのだけど、目の前に広がる騒動は彼の日常を呼び起こしたのだろう。

 僕は慌てて魔力操作を施し、彼が生み出そうとした魔力球を消滅させた。


「違う、違う。落ち着いてアル。みんな仲間だから!」


 油断なく身構えるわが子の肩を抱きながら、できるだけ穏やかに説明した。


「そちらのリザードマンが冒険者のギー。そちらの椅子に座った女の子が妹のメリア。転がっているのはグリレシアという獣人で……遊び人のモモック」


 見慣れない来客にギーが固まった。

 無表情だけど、怪訝な表情を浮かべているのは長い付き合いで見て取れる。

 

「その子供は誰?」


 メリアの質問に、僕は頭を動かす。

 嘘はつかないことは大前提である。しかし、人間は勘違いする生き物でもあるし、彼女がどう思うかについては僕の手の及ぶことではないだろう。


「いろいろあってね。最近できた息子のアルさ。いってみれば君の甥っ子だから可愛がってあげてよ」


 嘘は一つも言っていない。アルはいろいろあった末に最近生まれたのだ。

 ある日、突然僕の妹になったメリアは軽く頷くと受け入れたのかアルに手招きをした。

 

「ふうん、アルっていうんだ。おいで」


 どうしようかと僕を見上げたアルの背中を押してやると、オズオズとメリアの方に歩きだした。


「ちょ、よかけん。そういうのよかけん助けてって!」


 哀れなモモックには悪いのだけど、簀巻きにされた彼の存在はアルの出自を有耶無耶にするのにちょうどよかった。

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