第343話 灰色の髪、灰色の光彩

 毒なんてのは初歩の初歩だ。

 カルコーマはそう思っている。

 拳闘士の試合には選手の命と観客の金が掛けられる。

 拳闘士の選手同士でも有利に戦うため、対手に毒を盛ることは多いし、興行側や客側でも儲けを出すために優勢な選手に毒を盛ることがあった。

 そうして具合を悪くした選手の対戦相手に金を掛ければ大金が稼げるし、選手側も命が助かる。つまり、不敗のカルコーマには常に毒を盛られる理由があり、これに対する警戒も日課だったのだ。

 飲用水に混ぜたり、コップに塗ったり、料理人を買収したりと手段は多様で、時には服に粉末を掛けてきた連中もいた。

 カルコーマは持ち前の観察力や五感で大半をかわし、試みた者の大半はすでに死んでいるのであるが。


「なあ、オッサン」


 出された皿の一つに、カルコーマの鋭敏な嗅覚はわずかな異臭を感じていた。


「仲良くしたいのか、喧嘩をしたいのかどっちだい?」


 言いながら、机の対面に座る中年の手首をつかみ、躊躇なく握りつぶす。

 周囲の使用人が色めき立ち、腕をつぶされた男は息をのんで変形した自らの腕を見つめていた。


 都市の有力者が有力冒険者と友誼を通じようとするのは珍しいことではない。

 ノラ隊でいえば他者を全く相手にしないノラ、ノラ以外への興味が薄い小雨、悪辣で知られるガルダと癖の強い面々が並んでおり、それに比べれば話が通じるのがマシに見えるのだろう。

 なにより、カルコーマは健啖で知られている。

 貴族や上級市民たちはカルコーマを呼び寄せて珍獣に餌付けするがごとくもてなすことが度々あった。

 カルコーマもご馳走やただ酒が嬉しいし、たいていの場合は帰りに小遣いもくれるので断ったりはしない。

 しかし、今回は出された食事に毒が盛られていたのだ。


 瞬間、戦闘は始まった。

 即座に立ち上がると、全身に血を巡らせる。

 使用人たちを一瞬で打ち据えると、あっという間に室内に動く者はいなくなった。


「裏に誰かいるなら言ってみな。気分次第では命も助けてやっていいぜ」


 呆けたままの自称役人は口をパクパクと動かしカルコーマの太い指が自分の腹に突きつけられるのをじっと見ていた。

 どういう魔法か、カルコーマの手は自称役人の腹に沈み、即座に浮き上がると同時に指には白い棒をつかんでいた。


「ほら、肋骨だ。自分のは見たことないだろう」


 カルコーマは役人の腹から引き抜いた骨を見せつけながら、とがった方を再度胸に突きつける。

 

「心臓を貫く。それで終わりだ。話す気にはなったか?」


 なお男がためらっているのを確認し、カルコーマは男の心臓を潰した。

 ほんの、二度ほど痙攣して男は絶命した。

 男から離れ、カルコーマは椅子に座り周囲を眺める。

 死体が七つ。

 場所は役人の別荘ということで都市から離れた一軒家だった。

 やや古びた一軒家は森に囲まれ、庭も整備されている。

 廃屋を用意し、このために手を入れたとするなら、それなりに金を掛けているではないか。

 だとすれば、襲撃要員が出てくるはずだ。

 アテが外れてカルコーマが毒を口にしなかったとはいえ、密室に標的を誘い込んだのだから好機には違いあるまい。

 事実としてカルコーマの耳は壁向こうの衣擦れや押し殺した呼吸音などをしっかり拾っていた。

 と、食堂の扉が開けられ青年が一人、入ってきた。

 

「なんだよ。ガルダの旦那に用なら俺じゃなくて直接本人に行けってんだよ」


 スラリと背の高い青年を見て、カルコーマは顔をしかめる。

 先端が曲がった刀を腰に提げた青年の肌は褐色でガルダのそれに近く、いわゆる『砂漠の民』だった。

 灰色がかった頭髪と、首に巻く布が特徴的な青年は剣を引き抜く。


「あの盗賊ずれと話すことなど今更あるものか。貴様の首を送りつけて我が怒りを示すのみよ!」


 その剣術はきっと、努力しながら身につけてきたのだろう。

 堂に入った動きと鋭い斬撃にカルコーマは目を細めた。

 相手の努力を水泡に戻すのは得意だ。

 カルコーマは座った状態から弾かれた様に飛び出し、剣が振り下ろされるより早く間合いに入り喉首をつかんでいた。

 軽く指に力を込めると、一瞬で剣士の気が遠のき、手にしていた剣も床へ取り落とす。

 もう少しで失神するというところで手を離し、床に転がすとカルコーマは机の上から料理が乗った皿を手に取った。

 ゼエゼエとあえぐ青年の顔にその料理をひっくり返すと、ベチャベチャと顔に落ちた料理の一部は口に入り込み、一呼吸の後には青年の顔色を青紫に変えた。

 見開かれた眼球は黄色に濁り、その手は自らの首をかきむしる。

 青年は事切れるまでの短い時間、大変な苦痛を味わったことだろう。

 カルコーマはそれを見届けると舌打ちをならす。

 毒には詳しい。

 それはかつて、毒を愛好する貴族の婦人と情を通じていた際に詳細に教えてくれたからであるが、その知識に照らすとこの毒は遙か東から交易品に混ざってやってくる猛毒だ。

 家屋の内部にはまだ数人の気配がする。

 カルコーマは空腹に由来するわずかな惨めさと食事を台無しにされた怒りにため息を吐いた。

 残りを片付けたら市街地に行ってうまいものをたくさん食おう。

 そう心に決めると席を立って大きく息を吸った。

 家屋の内部にはまだ数人の気配がある。せいぜい派手に殺してくれよう。

 罠を仕掛ける者も、この顔を見ていれば手を出すのを控えただろう。獅子も怯むほど獰猛に笑い、カルコーマは動き出した。

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