第344話 母の教え

 地下四階まで降りると、周囲の魔力も少しは濃くなる。

 僕は自分の中と周囲の魔力を練ってゼタを取り出した。

 一号を見せて暴発を避けると、彼女には前衛に立ってもらうことにする。

 これで前衛は一号、サンサネラ、ゼタである。

 ハリネは後ろに下がって伸びる腕での攻撃に専念してもらう。

 正直に言えば、ゼタも前衛としての能力は甚だ不安なのだけど、体が鎧そのものなので七階かそこらまでは前衛も務められるだろう。

 しかし、ゼタの運用は大変に微妙で、戦闘の度に魔力注入が必要になるし、空間内の魔力濃度が十分になるよりもずっと前に前衛としての能力不足にさらされる。

 こういうときの間に合わせでも彼女は本当に使いづらい。本人にいうと怒るだろうけど。

 

 こうして新たに組んだ隊列で迷宮をとぼとぼ歩いていると、前方に魔力を感じた。

 動きが速い。

 キイ、と声がしたと思ったら、数頭の魔物がもう見えるところまで躍り出ていた。

 両手に棍棒を持つ猿の魔物が六匹だ。

 一号が先頭の猿から精気を吸うと、次いで殴りかかる猿の棍棒をサンサネラがかわしながら胴体を後続の猿に向けて突き飛ばした。

 仲間の体が邪魔になる猿たちは奇襲を諦め、改めてこちらと対峙した。

 前歯を歯茎までむき出して威嚇するその様は恐ろしく、鼓膜を震わせる雄叫びは背筋を冷たくさせる。

 しかし、猿による雄叫びは声を出せないゼタによって遮られた。

 ゼタの指先から高密度、高速の魔法弾が打ち出され、猿の口に次々と飛び込んでいく。

 喉どころか腹の内側まで落ちて発動する『火炎球』は未知の苦痛をもたらすのだろう。

 猿たちは口から火炎の一部を吐き出すと、そのまま絶命し、戦闘はあっけなく終了した。

 

「あの魔法をパチンと打ち出すのってお父さんも出来るの?」


 戦闘後の休憩時間、ゼタに魔力を注入しているとアルが聞いてきた。

 高速に、かつ正確に対象をとらえる魔法弾の射出はゼタの秘術であり、僕には使えない。


「使い方を聞いてみたこともあったんだけど、ゼタはケチだから教えてくれなかったんだ」


 素直に言った瞬間、頭を叩かれ目がチカチカする。

 もちろん、ゼタの抗議だ。彼女は言葉を失っても伝えたいことは全身で示すつもりのようで、両手を振り上げて踊っている。


「ちょっと、やめてよ。痛いんだから」


 僕は恨みがましくゼタを見返すのだけど、アルの興味は技術の方にあるらしい。

 さっさと一号の方へ走って行ってしまった。


「お母さんは使える?」


 純粋な好奇心を込めた目で見つめられて、一号は困ったように微笑む。


「やればできるわ。あんまり効率的じゃないからやろうとは思わないけれど」


 一号にとって、魔法球をどこに当てるかはあまり重要ではない。

 必要ならどこに当たろうとも相手を殺す魔法を繰り出せばよく、特に彼女が好む深層では濃密な空間が彼女に神のごとき不死性と力をもたらす。

 極端な話をすれば、魔力が濃密な空間とは半分、彼女の体内にいるようなものでもあるのだ。

 そうして相対する敵も際限なく力を付けていくので、小技で凌いでいるようでは話にならないのだ。


「ほら、こうやって魔法球を生成するでしょう?」


 一号が人差し指の上に浮かべた魔法球は彼女の生命そのものである魔力を削っているのだけど、幼いアルは気づかない。

 

「いいよ、一号。あとで教えてくれれば!」


 僕は思わず制止を掛けたのだけど、アルの興味があるうちに教えたいのか、一号は笑って説明を続ける。

 

「魔法球を飛ばすとき、普通はその質量の一部を推進力に転換しているの。指向性を持たせるとでも言いましょうか。ええと、難しいわね。とにかく、魔法が避けづらいというのは、その移動と追尾までを術者が無意識化に行うからなの」


 彼女なりに言葉を砕いているのだろうけど、それでも難しくてアルは首をひねっているし、正直に言えば僕もよくわからない。

 

「ところが、基本的に魔法球の可変部分の大部分はそもそも生成時に付加した性質に染まるから、ある程度以上の速さを魔法球に持たせるのなら『早く移動する』魔法球を編まないといけないわね」


 一号の指先に浮く魔法球は緑色に輝き、一号がフッと息を吹きかけるととんでもない速さで飛んでいき、通路の奥に消えた。

 確かにゼタの速球に遜色はない。それでも微妙に違和感を感じた。


「でもお母さん、今の魔法球はただ『速く飛ぶ』だけなんでしょう?」


 アルは魔法球が飛んで行った方を指すと、一号に疑問をぶつける。


「アル、魔法のことならお家に戻ってから聞こうね」


 僕は説明を遮るとアルの頭をクシャクシャに撫でた。

 彼の好奇心は立派だけど、一号の体調も心配なのだ。

 

「ね、一号も後で教えてよ」

 

「そうだぜ、奥さん。子育てっていうのは長く続くんだろ。肩の力を抜いていこうや」


 サンサネラもナイフに着いた血を拭いながら同調する。

 僕たちの言葉を受け入れて一号は大きく鼻息を吐いた。

 

「そうね。つまり簡単に説明できる技術じゃないってこと」


 一号の横顔はひどく疲れて見える。

 アルの出産、魔力注入による育成、そうして浅い層でのアルとの散歩。

 全てが彼女の根幹を削って行われているのだ。

 あまり、無理をさせられないな。

 

「そろそろ帰ろうか」


 一号を休ませるため、僕は提案をした。

 一同は賛成してくれ、僕たちは来た道を歩く。


「なあ、アナンシさん。奥さん疲れてるみたいだし、先に帰って貰ったら?」


 サンサネラの提案は真っ当なものだ。

 彼女一人ならあっという間に自室に戻れる。

 多少の魔力は消費しても、一階まで歩いて上るよりはずっと楽だろう。


「じゃあ、そうさせて貰ってもいい?」


 一号は申し訳なさそうに言った。

 後で僕たちがアルを送ればいいのだ。


「それで、本当に申し訳ないんだけど、私もちょっと調整に深層へ潜ってくるから、何日かアルを預かってもらえないかな?」


 続く言葉に僕は凍り付いた。

 確かに深い層へアルを連れてはいけない。かといって、暗闇にこの幼子を数日も放置は出来まい。

 アルは半分実体を持った魔法生物である。

 それはつまり、完全な魔法生物である一号などと違い、アルが地上で行動できることを意味する。

 

「あ、いいの。やった!」


 話に聞く地上へ、期待を膨らませるアルとは対照的に僕の額へ汗の玉が浮く。

 僕は一号にどこまで話して、ルガムにどこまで話しただろうか。

 それでも一号の体調には代えられまい。


「ほら、色男。さっさと頷きなよ」


 全てを察して僕を小突くサンサネラの存在がありがたかった。

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