第341話 才能
「やあ、アルご機嫌よう。奥さんもどうも」
サンサネラはアルの黒髪をワシワシ撫でると、応接椅子に腰掛けた。
ハリネもゴソゴソと小袋を取り出すと、戦斧を床に投げ捨ててサンサネラの向かいに座る。
室内は以前より広くなり、そうして僕が持ち込む家具や装飾品で随分とにぎやかになっていた。
「サンサネラ、ハリネ、こんにちは」
ああ、可愛らしい。
アルの丁寧なお辞儀に僕は一瞬の間、ほうけて見とれていた。
アルはすぐにサンサネラにとびかかっていき、ソファでじゃれついている。
本当に、可愛らしい少年だと思うのだけど、これは母親に似ているのだから世界の事実だろう。決して親バカなどということはない。
「本当に、あなたに似て可愛いわね」
一号が僕の横に並んで、うっとりとアルを眺める。
万事適当な僕ではなく、美の化身たる一号こそがアルに似ていると思うのだけど、あえて口にはしなかった。
子供と似ているといわれるだけで多幸感を得られる事を知ってしまったのだ。
※
アルが生まれたのは僕が西方から戻ってきてすぐだった。
ムーランダーと一号を訪問した翌日、僕は一人で迷宮を訪れると、迎えに来た一号とともにこの部屋にこもり、そうして彼女の出産に立ち合ったのだ。
絶対に取り落とさないでと念を押され、僕は動揺しながら構えたのを強烈に覚えている。
一号の出産風景は、他と比べられない。
他の出産風景を目にしたことがなかったからだけど、とにかく出てきた小さな赤ん坊が泣きだすまでの短い時間、僕は死産かと思いドキリとした。
それでも、赤ん坊はすぐに泣きだし、珍しく疲労した一号がしてやったりの表情を浮かべた後、一緒に泣きだしたので、やはり彼女ほどの存在であっても生命を創造するのは簡単じゃなかったのだろう。
やがて泣き止んだ一号は赤ん坊を抱くと額に口づけした後、魔力を送り込んだ。
「この子の半分は魔法生物だから、その部分は私が補うの」
流れ込んだ魔力は赤ん坊の危うい生命活動を促進し、その姿は乳をやる母のようだと思った。
「肉体も持っているから一度には無理だけど、少しずつ馴染ませていくわ」
こうして僕たちは親子になり、僕はかわいいわが子に会うため足しげく迷宮へ通うことになったのだった。
※
アルは一号による魔力注入でどんどん大きくなり、毎回来るたびに姿が変わる。
そりゃ、毎日でもやってきて成長を目に焼き付けずにおれない。
通いやすいように魔法陣を考えてくれた一号に感謝だ。
「私の方で大きくできるのはこれで限界かな。あとは物質的な成長が必要ね」
一号は僕の腕に手を絡ませて言う。
ほんの一か月程で生まれたての赤ん坊が少年になったのだ。
十分に驚くべき変化だ。
そう思いながら、掌に触れるすべすべとした手が心地よく、確かめるように握り返した。
なるほど、今までの僕は生きることに必死で父になるまでわからなかった。
家族愛とはつまりこういうことなのだ。
おそらく僕の故郷ではほとんどの者が知らない感情だろう。あそこはみんな、生きるのに必死だった。
バタバタと飛んで行ったコルネリが戯れるようにアルにまとわりつき、サンサネラから離れたアルも楽しそうに遊んでいる。
サンサネラは目を細めてそれを眺め、楽しそうに口元をゆがめているのだけど、横のハリネはじっと、無表情のままアルを観察していた。
ハリネが求めるのは一号の技術ではないと判明したものの、あまりに高度な心霊的技術にやはり興味が絶えないのだろう。
「じゃ、そろそろ行こうか」
一号がアルを呼び寄せるとサンサネラとハリネも近づいてきた。
ここは迷宮で渦巻くのは魔力と理不尽。
そうして僕たちは冒険者と魔物で、迷宮を彷徨うのが本分なのである。
※
再度上層に戻って、僕たちは地下二階に降りた。
前衛に一号が入り、後衛では僕のすぐ横にアルが歩いている。
「お父さん、次の角で敵がいるかな?」
小声でアルがささやいた。
生身の分、魔力に関する事柄は一号より劣るが、それでも体の大半が魔力で練られた半魔法生物だ。
しかも、母親である一号が生まれて以来、付きっきりで魔術指導をしている。
彼の成長はきっと僕なんかよりもずっと早い。
「あ、正解だ。やった!」
曲がり角をのぞき込み、無邪気に喜ぶ息子の横顔に愛しさがあふれ出て、思わず彼を抱き寄せていた。
そこには四体の動く死体が立っており、こちらに気づくとゆっくりと近づいてきた。
サンサネラの長い脚が即座に一体を蹴り飛ばし粉々にすると、一号も手を一閃して一体を倒した。
「ほら、お母さんはああやって魔力や生命力を吸引して敵を倒せるんだよ」
美しく舞う一号の後ろ姿が誇らしく、肩を抱いたままアルに語って聞かせる。
「でも、ほらお父さん。ハリネが……」
アルの指差す先で、ハリネは戦斧を取り落とし、やはり動く死体ともみ合っていた。
最後の一体はコルネリが早々に首をもぎり取っており、戦闘は泥仕合を残すのみとなる。
サンサネラも一号も、コルネリさえハリネと動く死体の戯れを黙って見ていた。
僕だって、ハリネに生命の危機を感じれば即座に動いているのだけれど、敵は動く死体である。
およそ、地下二階で遭遇する魔物としては最弱と言ってよく、下手をすれば地下一階の大ネズミなどより弱い。力も弱く、特性として毒を持ってはいるものの、危険度はとても低い。
だからハリネの稽古のために皆がそれを観戦している形になっていた。
視線が注がれる中、二人のもみ合いは延々と続く。
ムーランダーの特徴的な毛は動く死体の攻撃を跳ね返し、しかし戦斧を落としたハリネもどうしていいかわからずにウネウネと動いていた。
やがて、さすがに痺れを切らせたサンサネラがこちらを見る。
「ええと、アル。ハリネを助けてあげてよ」
僕が言うと、アルは元気よく頷いて魔力を練り始めた。
空間内の魔力を硬質化し、不可視の矢じりを練り上げると「えい!」という掛け声とともに魔物へ打ち出した。
矢じりは一瞬で魔物の胴体をバラバラに砕き、通路の向こうに飛び去った。
ハリネは体に降りかかった肉片を振り払うと、黙ったまま立ち上がり戦斧を拾いあげる。
なんとも意思の疎通が難しい彼に、僕ななんと声をかけるべきか迷い、自分の成果にはしゃぐアルを見ていた。
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