第5章

第337話 お誘い

「おい小僧、小耳に挟んだが子供が産まれたらしいじゃないか。酒でも奢ろうか?」


 冒険者がよく利用する酒場は昼食の時間も過ぎてすっかり閑散としていた。

 先ほどまでは食事をとる連中がメインだった客層も、明るいうちから酒を啜る飲み助たちに入れ替わっていた。

 その中で、僕に話しかけてきたのは髭面の中年。

 つまり酒場の店主だった。

 

「いえ、結構です」


 いつもいつも、酒に飲まれてろくな目あった試しがない。

 僕は明確に断りつつ、申し訳なさそうな顔をして見せた。


「そういうな。人の祝い事は積極的に祝うようにしてるんだ。商売人だからな」


 結局、僕の意見など受け付ける気はないのだろう。

 店主は従業員に命じると僕の前に座った。

 間を置かず、机の上には琥珀色の液体が二つ、杯に入れて置かれた。

 

「性別はどっちだったね?」


 随分と親しげに話しかけてくるのだけど、僕らの間に蜜月が流れたことはなかったはずだ。

 

「……娘です」


「そいつはよかった。娘は日々の暮らしを華やかにする」


 この男はたぶん、息子と答えていてもなにか祝辞の様な事を述べたのだろうと思いながら僕は曖昧に頷いた。

 呪詛なら払いのけることも出来るのだけど、祝福は邪険にしづらい。

 店主は僕が言葉に詰まっている間に自分の酒器を一息で飲み干した。


「あの、お気持ちはありがたいんですけど……」


 昼食の時間も過ぎたこの時間に、僕は一人で酒を飲みに来たわけではない。

 待ち合わせの相手は間もなく来るだろうからそろそろ席を外してもらえないだろうか。

 

「ああ、気にするなよ。それより小僧、金儲けに興味はないか?」


 ほら来た!

 僕は隠しもせずに表情を曇らせる。

 先に祝福だなんだと持ち上げてから、本題を切り出すことで断りづらくさせる小技だ。

 あまりにも胡散臭い話の入りではないか。

 

「残念ですが、僕も忙しくて。それに娘が生まれたばかりですからリスクの大きなお話はお断りさせてください」


 対抗して僕も、頭から拒否の姿勢を見せる。

 愛想笑いで話だけでも聞こうなどと思えば、途中で抜けられなくなるものだ。


「いや、なに。話は簡単なんだがね、公売されている塩の価格が上がっているのを知っているか?」


 残念ながら、僕自身が塩を買いに行くことはなく、市場の価格を知らない。


「商品として塩を扱えるのは王国府から認可を受けた商人だけなんだが、様々な理由で塩の価格が高騰している。膨張する王国軍への軍費だったり、人件費の上昇が反映されたりで最近は数年前の二倍だ」


 料理に必須の塩価格が上がれば、飲食店の負担は大きかろう。

 しかし、それに連れて料理の価格を上げれば別段、利益が減ることもないのではないだろうか。

 

「なんせ、この店に通う連中は金のない奴らが主だ。だから極力値上げはしたくない。そこでだ、飲食店連合会では塩を自ら移送することで格安に仕入れようという計画がでている。つまりは塩の産地で直接仕入れ、自前で移送してここまで運んでくる。そうすりゃ、塩にかかる経費はやすくあがる」


「それって、よくわからないですけど専売に関する違反とか問われるんじゃないですか?」


 僕は首をひねる。

 確かに専売を請け負う公社を通さなければ税金は掛からないだろう。

 けれど、それで削減されるのは国家の利益なのである。

 

「なに、俺たちも素人じゃない。きちんと調べてある。もちろん、仕入れた塩を町中で販売すれば明確な違法行為だ。しかし、自分で使う塩をよそで買って持ち込む分には禁止されていないのさ」


 胸を張って言うのだけど、どうもそういう揚げ足取りは感心できない。

 権力を相手に裏を掻いたって、後からルールを書き換えられれば黙って損を飲むことになるのだ。

 まして、そういう特例はあくまで小規模の個人利用を想定していて、飲食店連合会なんて組織が大規模にやることを見越してはいないだろう。

 さらにいえば彼らが得した分の金額は結局一般市民に降りかかるのだから、一般市民としてはいい顔もできない。

 というよりも、当然問題になるだろうし、横やりも入るだろう。

 

「だったら、僕には関係ないですね。好きにやってください」


 そうして、勝手に転べばいい。

 目の前の男はきっと、問題になった後もグダグダと泥仕合を演じることに自信があるのだろう。僕の返答を鼻で笑った。


「まあ、そう言うな。そこで儲け話なんだけどな、塩を買い取りにいく隊商の費用を募っている。投資額に対して毎回配当を出す予定だが、十一回までの配当で投資額は回収できる予定だ。どうだ小僧、物入りなら一口噛まねえか?」


 邪悪な笑みを浮かべる親父は、僕の分の酒を手にとり自分の口に流し込んだ。

 つまり、十一回目まで塩の買い込みが咎められなければ利益が出て、それまでに中止が決まれば損が確定するのだろう。

 僕は首をひねる。

 確かに養うべき所帯が大きくなって物入りではある。

 この男も出来るだけの安全策はとるだろうし、利益が出る可能性もなくはない。

 だけど、少なくともこんな男と一蓮托生の船に乗るのは避けるべきだ。

 今までの経験が僕に結論させた。

 下手をすればいいように使われる危険もある。


「あら兄さん、お話中だった?」


 待ち合わせ相手の二人組がやってきて、会話を切り上げる口実を得ることができた。

 

「やあメリア、それにギーも。別にただの雑談をしてただけさ。気にしないで」


 二人の女性から射竦められ、親父は気まずそうに席を立つ。

 ステアと結婚して以来、疎遠だった妹とそれに伴ってやはり縁遠くなっていたリザードマンの戦乙女は、酒場の親父を追いやると代わって席に着いたのだった。

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