第336話 首投げⅤ

「ここが家? こんにちはー!」


 家に戻って、隣に建設途中の教会を見上げていたのが敗因だ。

 旅に出る前より随分と進捗していた。

 職人たちも夕日が沈み始めた今は帰ってしまっており、人気はないのだけど、残された板や釘に活力の残り香を感じる。

 それでもそれを見回すのはサンサネラや孤児たちに任せて僕はまっすぐ家の扉を叩くべきだった。

 

「はーい、誰?」


 ビウムの呼びかけに応えたルガムが顔を出す。

 すっかり大きくなったお腹を抱えて、やや疲れた表情のルガムに胸が鷲掴まれた。

 彼女の目には並んで立つビウムとパフィが映ったことだろう。

 次いで僕を見つけ、大きく見開かれた。

 気色満面の表情がしかし、次のパフィの一言で大きく歪む。


「奥様ですか? 本日からお嬢様ともどもお世話になります」


 深々と頭を下げたパフィと、横にしおらしくたたずむビウム。

 ルガムの頭の中では何事かつながったらしい。

 

「腹の大きい嫁さんをほっぽって、女を連れてくるんじゃないよ!」


 怒鳴り声にビウムとパフィも思わず道をあけ、その間をルガムがズンズンと歩いてきた。

 誤解だ!

 状況を説明しようと言葉を探すのだけど、見つけるより先にルガムに捕まる方が早かった。

 と、首に両腕が回される。

 再会の抱擁。

 そう思った瞬間には地面に叩きつけられていた。

 背中を痛打し、息が止まる。

 

「奥様、別に私たち妾として連れられてきた訳じゃありませんよ」


 勘違いされた事さえ不快そうにパフィが説明し、マーロも慌ててルガムをなだめた。

 騒ぎを聞いて駆け寄ってきたサンサネラや孤児たちが集まってくるに至って、僕は妻の体の下からようやく解放された。


「ただいま」


 顔をしかめながら伝えると、ルガムは不満げな目つきで僕を見ていた。


 ※


 作りかけの聖堂で机を並べ、ささやかな夕食をとると元々いた子供たちはすぐに家の中に戻って行った。

 元々の住民と新顔で互いに自己紹介をかわしたりしたのだけど、やはり簡単になじむものでもなくよそよそしい食事会であった。

 数ヶ月後に教会が完成すれば併設される宿舎で居住問題は解決するのだけれど、それまでは安宿で我慢して貰わなければいけない。

 マーロに案内を頼み、サンサネラと子供たちを安宿に送っていってもらうと僕はその場には四名の女性と共に取り残された。

 ビウムたちにも宿をすすめたのだけど、安宿よりはこの家の方がまだ安全だろうとして固辞されたのだ。

 仕方がないので二人には廊下にでも布団を敷いて貰い、僕は台所にでも寝てしまおう。

 気持ちとしてはやっと戻ったのだからルガムの横で眠りたいのだけど、僕が旅に出て以来、妊婦のルガムを支える意味も兼ねてステアが同じ部屋に寝ているらしい。

 三人で寝るには部屋が狭く、またどちらかを追い出すのは気が引ける。

 この辺についてはおいおい調整を着けていこう。


「ホント、参ったよね。急に帰ってこなくなるんだから」


 匙を片手に頬杖ついたルガムは、よく晴れた夜空に向かって呟くように言った。


「そうですよ。私たちがどれほど心配をしたか」


 ステアも非難がましい視線をこちらに向ける。

 僕も彼女たちに事情を説明したかったのだけど、強引なブラントの態度によってそれは叶わなかった。


「ブラントの使いが来て『お宅の旦那はしばらく都市を空けます』って、それだけ。ステアと屋敷まで行ってブラントに直接聞いても『内容は極秘だから言えない』の一点張り。それで落ち着かないまま待ってて、急に女を連れて帰ってきたら腹も立つよ」


 指令の内容は極秘だとしてももっと上手な説明もあっただろうに。

 内心でブラントを呪う。


「ごめんね。本当にごめんなさい」


 旅への出発は突如強制され、どうしようもなかったのだけどそれでも僕は二人に謝った。心配させたのは事実である。

 しかし、任務の内容を話すのはまずいだろうから、説明も出来ない。

 と、ビウムが口を開いた。


「あの、ごめんなさい。私が連れてきて貰ったんです。まさか奥さんがいるなんて思いもしなかったものですから、迷惑も考えず……」


 確かに、僕が結婚していると彼女に伝えたのは帰路の途中だ。

 しかし、ビウムの性格を考えれば僕が結婚していると知っていても押し掛けただろう。

 

「ああ、まあ状況が状況だからしかたないとは思うよ。でも私の旦那は……」


「ルガムさん。『私たちの亭主』と訂正してください」


「……ええと、私たちの亭主は既に子供までいるんだ。まあ、今更だけど他の女に渡す気はないぞ」


 ルガムとステアはどうもチグハグながら、足並みは揃っているようでビウムたちに警戒のまなざしを向けた。


「それは大丈夫ですよ。私たちは一種の難民で、生きるためにアナンシさんに着いてきたのです。全く、かけらも性的な好奇心を向けておりません。今後もないでしょう」


 ビウムは皮肉な表情で応える。

 僕が彼女たちの姉であり妹である女性を殺したことは伏せてくれたので、内心ではほっとした。

 迷宮外での殺人を出来る限り、彼女たちに知られたくはなかったのだ。

 いずれにせよ、ビウムは安全確保のために僕を利用したに過ぎない。

 この都市でより安全な居場所を見つければパフィを連れ、即刻僕の元を去るだろう。

 

「アナンシ?」


 妻二人が怪訝な表情を浮かべる。

 説明が面倒くさい。


「ええと、今回の任務中に割り当てられた僕の偽名だよ」


 帰路、サンサネラ以外のメンバーにも僕の本名を告げてあったのだけどやはり呼びにくいらしく、彼女たちはずっと「アナンシ」の名前で僕に呼びかけていた。

 最近ではすっかり慣れてしまっていたのだけど、それはこの都市における僕の本名ではない。

 釈然としないルガムたちに、さらに不在を詫びて僕はようやく許して貰うことができた。

 まったくもって、彼女たちの寛大さには頭が下がる。

 改めて、大きく膨らんだルガムの腹に触らせて貰うと中からトン、と衝撃があり、僕はあわてて手を引っ込めた。


「赤ん坊に蹴られたんですね。元気な子です」


 ステアは慈愛に満ちた笑みを浮かべ、自らもルガムの腹を撫でる。

 

「もう間もなくすれば新しい教会は完成し、あなた方の子供は産まれる。そうして、これまでよりもいろんなものと戦わねばならないのです」


 だから軽々な真似をするなと言いたいのだろう。

 僕は小さく頷くと、間もなく生まれる生命に再度触れてみた。

 ルガムがくすぐったそうに身をよじる。


「本当だよ、とにかく死なずに帰ってくれてよかった」


 ルガムの両腕が僕の首に回され、今回こそ抱きしめられた。

 お腹への影響はどうなのだろうかと思いながら、僕も彼女を抱きしめ返す。

 次いでステアが自分の番だと腕を広げ主張するのでこちらも抱擁をかわすとと、彼女の華奢な腕が背中を強く抱いた。

 心に蓄積された澱が払拭されていくような気がする。

 僕は道中、ずっと妻たちに会いたくて、たった今それが果たされた。

 やっと都市に戻ってきた実感を得ることができた。

 明日からまた、様々な雑事に忙殺されるのだろうけど、今この瞬間だけは愛する人たちの事だけを思い、抱きしめあっていたかった。

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