第326話 開戦
「おい、生きてっか?」
サンサネラの声で僕は我に返った。
いつの間に惚けていたのだろうか。騎乗中の記憶が途中からキレイに無い。
ただし痛みは消えてくれず、尻と腰が猛烈に痛い。その上、全力で握っていたサンサネラの服を離すのにも苦労した。
「アナンシさん、ひどい顔ですよ」
横に並ぶマーロが手ぬぐいを差し出したので、ようやくヨダレと涙と鼻水で顔面がひどく汚れていることに気付き、それを拭った。
サンサネラはさっと飛び降りると、僕の手を引いて降りるのを手伝ってくれた。
周囲はアーミウスの前線基地である。
夕日は傾き、間もなく下端が地面に吸い込まれて行くだろう。
薄暗い中、ヒョークマンをはじめとする王国軍の一団は基地内の天幕を暴いて回っていた。
「いたぞ!」
「殺せ!」
彼らにはムーランダーの傀儡について説明し、処理を任せてある。
もはや自我を引き抜かれ、天幕内で寝そべっていた連中に次々と刃物がさし込まれていく。
ムーランダーは死体を操れない。僕の少ない知見だけど、少なくともイズメはそんな風な様子を見せていた。
意識を無くしたまま殺されていく連中は、かつての僕と同じく奴隷や捉えられた旅人だ。それを殺すのだから思うことはあるのだけれど、それでもやる。
生きて帰りたいから。
「正規兵はどうしたの?」
傀儡の他に、僕たちを通した連中もいたはずだと思い、首を回すとマーロが指さす方向に転々と死体が転がっている。
頼みのムーランダーにおいて行かれた彼らは三十程の敵勢に混乱し、逃げ出したのだろう。そうして、逃げ切れず背中から斬り殺されていた。
「逃げた兵士はあらかたヒョークマンが片付けました」
流石に腕が立つ。ヒョークマンは血のついた槍を手に二人の部下とともに悠々と戻って来ていた。
他の連中の手際もよく仕事をこなし、周囲は瞬く間に血の臭いで覆い尽くされた。
「私、こういうのが嫌で軍を抜けたんですけどね」
ため息を吐くようにマーロが呟く。
今、僕が指示して行わせていることは虐殺そのものである。
もしかすれば邪魔になるかも知れない人たちを、念のために皆殺しにしているのだ。しかも、彼らだって自らの意思でここにいるわけでもないし、傀儡から解く方法もあったかもしれない。
無抵抗な人間の死体が積み重なっていくのはおよそ、日常の価値観からかけ離れた冒険者だって、そうそう直面する場面ではない。
ある種の清廉さを捨てきれないマーロにとって、その状況は嫌悪の対象だったらしい。
それでも、侵略戦争の先陣を勤める軍兵たちは躊躇いなく武器を振るっているので、こういう行動に慣れているのだろう。
「先生、だいたい終わった様です。俺たちは予定通り帰投しますので、あとは頑張ってください」
さわやかに笑うヒョークマンは、マーロと違い自らの行為に一片の疑念も抱いていなさそうだった。
なにもかも、人それぞれである。正解も間違いもない。
ヒョークマンが手早く部下を纏め、蹄の音を響かせて去ると、残されたのは僕とマーロ、サンサネラの三人にコルネリが一匹となった。
太陽は八割が山陰に沈み、周囲に沈黙が押し広がる。
風は既に夜の気配を孕んで吹き、周囲の気温も急激に下がっていく。
草のざわめきや虫の音が、光り出した星にこだましていた。
「連中は人を操るんだ。もちろん、君たちも例外じゃない。とにかく、危険だと思えば逃げてくれていいよ。下手に襲いかかられるよりはそちらの方がずっといい」
大勢の死体を周囲に重ねておいて申し訳ないのだけど、やはり仲間は殺したくない。
※
日没からしばらく経っても襲撃はなかった。
おかげで僕たちは無人の基地の中、手持ちぶさたに待たされたし、緊張を強いられた。
しかも、する事が無いと尻や足、腰、背中の痛みが主張するのを無視できない。
意思が直結したコルネリはそれがむず痒いのか落ち着かないままゴソゴソとローブの中を這い回っている。
僕は乗り物に乗って旅に出るのなんか、本質的に向いていないのだな。なんて痛感させられていると、アーミウス側からムーランダーが一人、歩いて来ていた。
僕の視線が彼に向いた瞬間。
「危ない!」
サンサネラの声とともに僕の腕は乱暴に引っ張られ、同時に鈍い音がした。
一瞬前まで僕がいた空間にはムーランダーの白い手が伸び、その手を突き出した胴体にはサンサネラの蹴りが刺さっている。
ムーランダーは崩れ落ちる様に地面へ倒れ、その頭部をマーロの剣戟が斬り跳ばした。
一人で迎え撃っていれば今ので負けていた。
初撃の奇襲を看破したサンサネラの感覚に感謝を捧げる。
同時に、コルネリを上空に放り投げ遊撃を頼む。
ムーランダーは空間を超えて出現するが、そのまま攻撃出来るほど便利なものではないらしい。
出現し、目標を視認、攻撃に移る時間が必要なのだとすればつけ込む隙はある。しかも、ムーランダーの俊敏さは達人戦士に勝るものではない。
マーロやサンサネラ、コルネリなら彼らよりも先に攻撃を叩き込むことが十分に出来るのだ。僕には無理だけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます