第319話 報告
「それでは伯父様、私はアナンシさんのところへお手伝いに行きます。パフィも連れて行って構わないわよね?」
ビウムは立ち上がると、ジョージに言った。
「それはもちろん構わないさ。ところで私としてはもう少しアナンシさんとお話がしたいんだが……」
「さ、アナンシさん行きましょう」
ジョージの言葉を切るようにビウムは僕の手を引き、立ち上がらせる。
張りのある口調とは対照的に、その手は細かく震えていて、僕の口を閉じさせた。
「それでは伯父様、ごきげんよう」
背中を押される様に廊下へ出ると、ビウムは再び僕の手を握って先に歩く。
小さな背中が大きく上下しているのは必至で感情を抑えている為だろうか。
薄暗い階段を降り、小走りで駆けるように庭に出た。
人気が無く薄暗い裏庭は、木箱などが無造作に積まれており、物置場以上の利用はされていなさそうだった。
そこにはルビーリーの妹であるパフィが立っていた。
「お嬢様、何ごとかご用でしょうか?」
ほんの一瞬、僕を見て顔を強張らせたパフィの視線はすぐに伏せられて、口からは抑揚のない声が出てくる。
仲のよかった姉の仇を見て平静を保つのは流石だけど、僕もどんな顔をしていいのか解らず視線を逸らす。
「私はしばらくアナンシさんに付き添います。場合によってはそのまましばらく行動を共にするかも知れません。パフィ、あなたに命令をします。私の荷造りをして後ほど、彼らの逗留する宿に持って来なさい」
「わかりました。ご命令のままに」
パフィは恭しく頭を下げた。
黙って突っ立ったまま、なぜパフィなのだろうと僕は思った。
どうせ付き合わせるのであれば他の者にすればよく、わざわざ向き合うだけで互いに消耗するパフィを選ぶ必要は無い。
しかし、僕の思いを余所にビウムは言葉をつなげる。
「そうしてこれは私の親愛なる友人であり、姉のように慕うパフィにお願いをします。あなたも荷造りをして私に同行してください」
いつの間にか明朗なビウムの言葉には震えが滲んでいて、掴まれた手の平は痛いほどに力が入っていた。
パフィは流石に困惑を表情に出すと、首を小さく振る。
「申し訳ありません、親愛なるお嬢様。私もあなたの事は妹の様に思っています。しかしそのお願いであったとしてもアナンシ様と同行することは出来ません。申し訳ありませんが……」
「ルビーリーは私にとっても姉の様な人でした。それを失って動揺が激しいのは解りますが、だからこそ私の気持ちも知ってください。パフィにまで死なれて、私が立ち直れると思いますか?」
突然、背筋が粟立った。
僕は少女を暗がりの縁から救ったつもりではいなかったか。
今、僕の手を強く握る少女の胸中にはいかなる感情が吹雪いているのだろう。
「国境線の村では情報収集を徹底的に行っています。侵略軍は軍の防衛陣地を迂回する為の工作を重ねているそうです。父や伯父も報告を受け、すでに財産や商会の本部機能を移転する下準備に入っています。有能な配下や長く仕えてくれるあなたの様な人を無策に捨てていくとは思いませんが、あの人たちはどこまでも自分本位です。私を兄の慰み者にしたりして反省の一つもしない。いざとなれば誰も安心など出来ないのです」
掴まれた手をそっと振りほどこうとして、まったく離れず諦める。
「アナンシさん、お願いです。マーロさんも大きな怪我をされましたし、一度王国へ戻るのでしょう。だったら私たちも一緒に連れて行ってください」
ビウムもまた、僕の目をまっすぐには見ずに哀願した。
コートの内ポケットにさし込んだナイフの重さが、存在感を主張していた。
※
ビウムと五人ほどの人足を連れてパラゴの隠れ家に戻ると、卵のような猛烈な匂いが鼻をつく。
大勢の接近を察知してかパラゴは既に身を隠しており、相変わらず呻いているマーロの他には椅子に座ってイタズラっぽく舌を出したサンサネラしか見当たらなかった。
「やあ、アンタか。ルビーリーあたりが配下と押しかけてきたと思ったよ。それで、なんで商会の連中を連れているんだい?」
口調は変わらないのだけど、苛立っているのが逆立った毛と、体の後ろに隠し持つ短剣で解る。
それも当然で、僕が我が身可愛さに彼らを売ったと取られても仕方がない状況ではあった。
「ええと、商会とは話しが着いたんだ。とりあえず争いはお終い。商会からは綺麗な宿屋なんかを提供して貰う事になったから、場所を移動しようと思って」
「それについて行ってルビーリーにグサッとやられなきゃいいけどな」
眼を細めたサンサネラは鼻で笑い信じていない。
窮地に陥り、こんなホコリっぽい廃墟に隠れていれば疑心も強くなるだろう。
「サンサネラ、ルビーリーは死亡しましたよ」
僕の横でビウムが呟く様に説明した。
自らの姉と評する人の死を語るためか、口調は硬い。
「へへ、あの怪物がそう簡単に死ぬのかね」
サンサネラにとってのルビーリーは強者を象徴する人間だったのかもしれない。
細くなった眼を更に細めただけで信用は一切していない様子だ。
ビウムは隣で焦れているものの、彼の疑り深さを僕は好ましいと思った。
相手が例え僕であろうと嘘の情報を信じ、野面を晒して罠にかかるよりはずっといいのだ。僕がサンサネラに求めたいのは戦闘力と並んでその目端の鋭さだった。
その上、彼がパラゴと逃げていないのはマーロを守る為である。
理想的な仲間だと思った。
「首は無いけど、これなら。ルビーリーの死体から剥いだものだけど、証拠にはなるかな?」
もともと彼にあげるつもりだったナイフを見せると、糸のように細められていた眼が大きく見開かれた。
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