第316話 お父さん

「ひい!」


 呻きながら後ずさる人の中に知った顔を見つけて僕はホッとした。


「シアジオさんこの短刀、鞘が燃えちゃったんですけど厚めの布と細い紐かなにかいただけます?」


 耳が欠けているので先ほどの巻き添えをくったのかと思ったのだけど、よく考えれば彼の耳は以前から欠けていた。

 だからまあ、僕に怯えるのはやめて欲しい。それで無くても禿頭の大男だ。

 こちらまで驚いてしまいそうになるじゃないか。

 と、不意に思い出した。僕はこの男に頼み事をしていた。


「そういえば、うちの用心棒がここで暴れた経緯はどうだった?」


 シアジオは僕の視線から逃れる様に壁に張り付くのだけど、残念ながら壁を通り抜ける能力は無いようで足が土間の土をガリガリとかくばかりだ。

 他の連中も声を殺して僕から出来るだけ離れようとしている。

 忙しそうだったのにお邪魔して悪かったかな。

 それでも事の経緯というのはいつも大事なのだ。しっかり確認しておかなければいけない。

 

「ふ……副会長がビウムお嬢さんを捉えろと! お連れの方も一緒に捕まえようとしたらしいです!」


 なるほど。

 僕は事情を知っているはずだとノッキリスも言っていた。

 副会長という人も僕たちが事情を知ったに違いないと思ったのだろう。隠したいことがある人は何故か、知られたと思い込みやすいものだ。

 事実として、僕たちは彼らの醜聞など知ったことではないのだけれど、彼らからすれば弱みにもなる話である。

 所帯が太くなるとどうしても政敵や商売敵などが増える。その連中につけ込まれるのを避けたかったのかもしれない。

 そうして僕たちは一方的に襲撃を受けたのだ。

 まあ、都合もいいか。


「ねえ、シアジオさん。その副会長のところに連れてってよ。ええと、ノッキリスとビウムのお父さんなのかな?」


 ノッキリスが商会長の甥っ子だというからにはそんなところだろう。

 疲労のあまりため息を吐くと、それだけでシアジオは飛び上がりそうなほど驚いていた。

 面倒臭くなって顎で促すと、ようやくシアジオは動き出す。

 商品棚の合間を通り、従業員用のエリアに入るとやや広い廊下に出た。

 階段を上って最初の部屋とシアジオは示す。


「ここまでで勘弁してくれ。俺はもうアンタに関わりたくない」


 嫌そうな表情から絞り出た言葉はことの他、僕を傷つけた。

 切っ掛けはともかくとして、僕たちは彼らと揉め、大きく疲弊したのだ。

 僕だって怪我こそ負っていないものの精神的に嫌な思いもした。

 なのに、彼の目は一方的に僕を恐れている。


「せめて取り次ぎだけはしてくれないかな。そうしないと会話にならないでしょ」


 どうも、大商人や貴族という連中はしかるべき者から紹介された人間以外と会話をするのを嫌悪しているらしく、誰も紹介してくれないとそう言った人間と会話をするのは難しい。

 シアジオは覚悟を決めると扉を開けた。


「失礼します。副会長に会いたいという者が……」


 そこはよく日の入る明るい部屋だった。

 広くて清潔で、調度品も落ち着いていて、ラタトル商会の会長宅よりよほど洗練されている。

 そこに、人影が二つ。

 一人は応接椅子に腰を下ろしたビウム。もう一人が副会長なのだろう。

 ノッキリスに似た顔立ちで口ひげを蓄えているが、体格は小さめでそれほど威厳は感じられない。

 その表情は強烈な不機嫌に彩られていた。


「シアジオ、さっきからやかましいのはなんだ!」


「アナンシさん!」


 副会長が怒鳴るのとビウムが走って来て僕の背に隠れたのは同時だった。

 どちらに相対していいのか迷い、視線が揺れる。

 

「ビウム、席に戻りなさい!」


 副会長の方はすぐに判断したようで使用人から娘へ罵声を切り替えた。


「アナンシさん、ごめんなさい。私のせいでマーロさんが!」


 その目には自責の念が浮いていた。

 ある意味では彼女のせいなのだけど、そういうのも含めてビウムを利用しようとしたのは僕の判断だ。


「ええと、ちょっと待っててね。先にそちらの副会長さんと話しがしたいから」


 目に涙を浮かべて縋り付くビウムをなだめてシアジオを見ると、彼は躊躇いがちに口を開く。


「この者が副会長にお会いしたいと……」


「だからといってそんな小汚いのを連れてくる者があるか、誰だそれは!」


 酷い言われようだけど、彼の立場からすればそうだろう。

 

「アナンシといいます。ビウムをここまで連れてきた者です」


 自己紹介すると、副会長の眼がまん丸に見開かれた。

 

「オマエが妙な横やり入れる張本人か! シアジオ、コイツをふん縛れ!」


 唾をとばしながらシアジオに命令をとばす。

 しかし、シアジオは力なく首を振った。

 

「無理です。俺はもう、やれない。辞めさせてください」


「はあ? なにを言っているんだ。じゃあ誰でもいいから用心棒呼んでやらせろ」


 シアジオは俯いてため息を吐く。

 

「用心棒の連中はほとんど残っていません」


 副会長の眉間に深い皺が刻まれた。


「ルビーリーは?」


「あ、僕が殺してきました」


 持ってきた短刀を見せると副会長は息苦しそうに口をパクパクさせた。


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