第312話 応急処置

「もうちょっとマシなのを掛けてやれよ」


 相変わらず廊下に出たままのパラゴが眼を細めて言った。

 魔法の素養がどう、という話しではないのだけど、彼はどうも勘違いをしている。

 達人級を超えて冒険者を続ける彼が普段目にするのは、同じく腕利きのステアが使う回復魔法の数々だ。

 その効果はまさに奇跡的と言ってよく、四肢の欠損を再生し、腹が割けた怪我人だってたちどころに治してしまう。

 僕だって確かに達人級の魔法使いの端くれでもある。

 だから彼は『僕が回復魔法を使えるということは、達人級に使える』という風に思い込んでいるのだ。

 しかし、魔法使いの魔法と僧侶の回復魔法ではまるで勝手が違う。

 迷宮に戻って順応を進めなければ回復魔法は練達せず、そうしてウル師匠から聞いたところによれば、次に順応が進むまで永遠とも思える時間が必要なのだという。

 考えるだけ呪いが頭痛をもたらす。


「あのね、僕が使えるのはこれだけなんだ」


「じゃあせめて二、三回重ね掛けてやれよ。まだ危ないぜ」


 パラゴの言う通り、腕からは血が滲んでいて呼吸も荒い。


「いや、もう打ち止めで……」


「え、そんだけ?」


 いつも無表情なパラゴの眼が大きく見開かれた。


「あんだけ意味ありげにやって、駈け出しと一緒?」


 正確には成長性の面で駈け出し以下なのだけど、それを説明しても虚しくなるだけなので開きかけた口を静かに閉じる。

 

「しかし……まあ、いくらかはいいか」


 パラゴはようやく室内に戻ってきてマーロの額に触れた。

 まだ楽観は出来ないものの、いくらか生命力が戻って来ているのを感じる。


「じゃあ、傷口を閉じるか」


 パラゴは手近な椅子を蹴り壊すと、足を一本手に取った。

 どうするのかと思って見ていると、切断面のすぐ上に巻いた紐を解く。

 

「どうするの?」


 ジワリと流れ出る血を見つめながら聞くと、パラゴは手ぬぐいをマーロの口に押し込んでから振り向いた。

 

「おまえの回復魔法だとこの傷を治すのに何日もかかる。かといって敵地でそう悠長には待っていられない。自慢の用心棒姉さんを復活させる為には多少手荒くても血を止めなきゃならないからまずは、骨を砕く」


 椅子の脚だった太い棒を挟み込み、再びマーロの手首は締められる。

 紐は先ほどまでより何重も余分に巻かれ、パラゴは歯を食いしばると棒を思いっきり捻った。

 気絶していたマーロの眼が見開かれ、次の瞬間には苦痛に歪む。

 腹の奥から絞り出るようなうめき声が口にさし込まれた手ぬぐいを通して漏れ聞こえてきた。


「口を押さえてろ。誰かに見つかるとまずい」


 パラゴは額に汗を浮かべながら紐をさらに絞り込んでいく。

 僕は慌ててローブを脱ぐとそれをマーロの顔に掛けた。

 あまりに痛々しくて顔を直視できないと言うのが正直な理由だったのだけど、マーロもパラゴの意図を理解した様で、ローブの上から顔を押さえて声を抑える。

 それでも響くうなり声は彼女の苦痛を表していた。

 

 バキン、と甲高い音がして終わったかと思えば、パラゴは変わらずに力を入れて腕を締めている。

 

「ちょっと手伝え!」


 ガラにもなく苛立たしげに怒鳴る気迫に押され僕も慌てて棒に取り付いた。

 パラゴと一緒になって棒を捻ると、やがてボクンと音がして傷口の先が潰れていた。

 

「マーロ、終わったみたい……て、うわ!」


 ローブをどけて僕は驚く。

 顔を赤紫にしたマーロは口から血を吹いていたのだ。

 

「ちょ、大丈夫?」


 我ながらマヌケなことを聞く。たった今、とんでもない荒療治を受けた彼女が大丈夫なわけないのだ。

 マーロは口元に赤い泡を作りながら横を向くと、大量の血とともに何かを吐き出した。

 歯だった。

 なるほど、腕に先駆けて砕けた音がしたのは食いしばりすぎた歯だったのか。

 マーロは全身に汗をしたたらせながら、険しい顔で口元から血を流している。

 全身を身震いさせながら、猛烈な鼻呼吸で空気を取り込んでいた。

 

「終わってねえよ。元々の魔法が使えなくなったってわけじゃないんだろ。マーロの傷口を焼いてやれ」


 骨が砕けた傷口は、きつく縛られながらも血を流している。

 回復魔法が尽きたとき、切断された部分は骨を砕いて塞ぎ、傷口を焼いて守るというのは確かに冒険者組合で習う。

 傷口からよからぬものが入り込まない為の応急手当だが、あくまで最終手段だ。

 それよりも、その状況へ陥る前に正しい判断をする事を求められるのがリーダーの役割であって、ずっと重要だと僕自身も教え子たちには教えてきた。

 その僕がここに陥ったのは全くの怠慢ではなかったか。


「本当に焼かなきゃ駄目?」


 炎に焼かれる苦痛は身を以て知っている。

 それが腕に限定されたところで、苦痛が減るものではない。

 しかしパラゴは自らの汗を拭くと木椀で水をすくって飲み干した。


「知らねえよ。俺だって実際にやるのは初めてだし、これの効果がどの程度かを知るほどマヌケなパーティにゃいなかったんだ。オマエがリーダーだ。あとはオマエが決めろ」


 突き放す様に言うと、パラゴは部屋の隅に腰を下ろした。

 彼なりに疲労が強いらしく冷静さの下に隠した激情が顔を出している。

 マーロを見ると、彼女は無くなった腕をぼんやりと見ていた。


「マーロ、都市に帰って回復魔法を掛けて貰えばすぐに治るからね」


 言いながら彼女の頬を撫でる。

 骨を砕いた影響か、ひどい高熱が出ていた。

 寒いのか暑いのかも解らない。


「ボヤボヤしていないで早くやれ。そうして寝ろ。オマエの回復魔法頼りなんだぞ」


 パラゴが急かし、僕は魔力を練った。

 確かに、睡眠を取って回復魔法を唱えなければ彼女は苦しみ続ける。

 

『火炎球』


 力を押さえた炎がマーロの肘から先を炎に包み、ほんの一呼吸で消えた。

 すぐにパラゴがやって来て焼けただれた肘先に油の様なものを塗り込み、包帯を巻いた。


「僕が起きるまで死なないでね」


 僕の言葉に、マーロは強く眼をつむったまま小さく頷いた。


「あとは俺が見ておく」


 パラゴは別の椅子を持って来てマーロの横に座った。

 彼の言う通り早く寝て魔力を回復させなければ。強く思い僕は板張りに横になる。

 ローブを布団代わりに、コルネリを抱き枕として抱きしめるのだけど様々な事が頭を巡って眠気は一向に近づいてこない。

 僕を逃がすために出て行ったサンサネラは無事だろうか。

 ムーランダーとはどのような話しが着くのか。

 すると、コルネリがごそごそと動いて僕の顔に近寄ってきた。

 彼の手が僕の頭に触れ、優しく撫でられると、不安が霧消していつの間にか睡眠に落ちていた。

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