第313話 怪我人

 目が覚める。

 胸の上に張り付いていたコルネリをどけて上半身を起こすと、目の下に深いクマを作ったパラゴが尖った眼で僕を見ていた。

 

「魔力は回復したのか?」


 どの程度の時間が過ぎたものか、部屋には窓がなくてわからなかったけれどパラゴの表情からは深い疲労が読み取れる。

 一睡もせずにマーロの面倒を見ていたのだろう。無精ひげが口を囲み、声にも張りがない。

 

「魔力は戻ったよ」


 サンサネラの安否など、聞きたいことはあったのだけどまずはマーロだ。

 立ち上がってみてギョッとした。

 マーロの切断された腕は内部の出血によるものか、倍ほどに膨れ上がっていて包帯の中で拳を握っているかのようだ。

 それでも一応、傷口から体外への出血は治まった様で、肩や肘の圧迫止血はほどかれていた。

 呼吸は浅く、まだ熱がひどい。

 体力の消耗からか、目の下のクマはパラゴのそれが比較にならないほど濃かった。

 できるだけ効果が出ますように。

 僕は心を落ち着けて集中した。確かに、こういう時には信じる存在がいた方が心も楽かもしれない。

 だけど僕は自分の神を持たず、せいぜい巨大な猿の形をした邪神を見たことがあるくらいだ。あんなものに祈るのなら馬糞にでも祈っていた方がはるかにいいだろう。

 とにかく、僕が信仰に近いほど尊敬する存在はウル師匠である。

 ウル師匠の優しい笑顔を思い浮かべ、次いで最愛のルガムを浮かべる。

 ステアなんか信仰の対象には向いているし、一号も神様のような存在と言えないこともない。

 ギーだって回復魔法の使い手だし、シグだって頼りになる親友だ。

 愛する人々の誰を心において祈るか決めかねて短い逡巡を重ねた。

 と、脳裏でめまぐるしく映る顔が入れ替わっていき、最後に浮かんだのはテリオフレフだった。

 死んでしまった、優しい彼女に祈る。

 どうか力を貸してください。

 

『傷よ、癒えろ』


 脳内の繭を取り出して開くと、魔法が発動した。

 魔法がマーロの体内を治していくのがわかる。

 腕には変化が見られないものの、その呼吸がわずかに楽になったようだ。


「これで死んだら寿命だよ。俺は寝るから少し見ていてくれ」


 パラゴはそう言い捨てると、僕が寝ていた場所に身を横たえ、すぐに寝息を立てだした。

 周囲を見ればパラゴが汗を拭いてやったのだろう。湿った手拭いが落ちていた。

 僕も汗を拭いてやろうと思い、手拭いを拾ってマーロの上のシーツをどけた。

 汗に濡れた乳房がそこにあり、僕の目を吸い寄せた。

 シーツの下でマーロのシャツはビリビリに切り裂かれていたのだ。

 状況的にはパラゴがやったのだろう。

 もちろん下心なんかじゃなくて、体の汗を拭きとるためと腕の処置をするために。

 しかし当の本人が寝てしまって、この部屋で起きているのは僕一人だ。

 今、マーロが目を覚ませばあらぬ疑いを受けそうだな。

 なんて思っていると短くうめいてマーロが目を開いた。

 魔法によって気絶から復帰する程度には体力が回復したのだろう。

 マーロは苦痛に表情をゆがめながら、自分の腕を見て重たいため息を吐く。

 苦しそうに上体を起こすと、露わになった乳頭に気が付いたようで彼女の表情は気だるげに変わった。

 何か言いたそうだったのだけど、それも億劫だったのか再び倒れこむとおとなしく目を閉じた。

 またマーロの中で僕の評価が落ちた気がする。

 彼女の服を破いたのはパラゴだと、あとで説明しておこう。

 

「ん、起きたのかい?」


 押し殺した声で囁いたのはサンサネラだった。

 廊下から扉を開けて入って来た大猫は半裸のマーロとシーツを手にした僕を見て首をひねった。


「いくらなんでも、無茶をさせたら死んじまうぜ」


 誤解だ!

 確かにこの瞬間だけ見ると、僕が彼女から服と布団を剥がしたように見えるけど、むしろ隠そうとしていたのに。

 しかし、そんな馬鹿な弁解をする前にサンサネラの痛々しい怪我が目につく。

 右耳が切り飛ばされ、左上腕と腰のあたりに深い傷があった。

 幸いに、血は止まっているようだけど毛皮に隠れて小さな傷はまだ無数にありそうだ。


「大丈夫?」


 さりげなく布団をマーロにかぶせ、僕は聞いた。


「ルビーリーとやりあって逃げるまではよかったんだけどな、商会の用心棒連中に加えて兵士まで動員してアッシを追いかけてきやがった。しかもザナまで出張ってきて、あぶなかったよ。まあ、アッシが本気出せばだれも追いつけないんだけどね」


 サンサネラはのどをムグムグならせて小さく笑った。

 どう見ても空元気である。


「え、ザナって『黒風』の? 手を潰した筈じゃ……」


 倉庫で襲い掛かってきた髭面が思い出される。

 確かマーロが踏みつぶした。完治どころかしばらくは動くことさえ苦痛を伴うはずだ。

 

「あいつ、あんな山賊みたいなナリをして用心深い奴だったんだな。実は両利きだったんだと。そしてそれを皆に隠していやがった。アッシの耳を切ったのもアイツさ。危うく頭を割られるところだったねえ。まあ、全部まいた上にちゃんと必要な物も持ってきたんだから誉めてくれよ」


 ニヤッと笑みを浮かべると、サンサネラは懐から小袋を出して僕に投げた。

 そうして倒れるように床へ転がる。


「そいつは炭鉱夫が休憩中に飲む砂糖や塩なんかを混ぜた粉だ。水に溶かしてマーロに飲ましてやんな。アッシも一晩中追いかけっこやっていたからさすがに疲れたぜ。ちょっと寝かせ……」


 言葉の途中でサンサネラは眠りに落ちたらしくイビキをかきはじめた。

 彼の怪我も軽くはない。体力の消耗も深刻なのだろう。

 ありがとう、よくやった。彼へのねぎらいを胸で反芻する。

 この街に来たときには無傷だった四人のうち、前衛要員二人が怪我をしてしまった。

 これは一行のリーダーたる僕の選択が呼んだ結果である。今後の行動を練り直さなければいけない。

 アーミウスの内部調査は一旦保留。とにかく最優先課題は仲間たちを生かして連れ帰ることだ。

 仲間たちが眠りに落ちた部屋で、一人起きている僕は垢じみた首の後ろをボリボリと掻いた。

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