第306話 近くて遠い

 いかつい男たちの一団が歩くと通行人たちは道を開けた。

 先頭には上機嫌のノッキリスが立っていて、僕は中央で用心棒たちに取り囲まれながらついて歩く。

 肩を掴もうとした男にコルネリが威嚇し、僕が慌てて止めたので直接触られることもその場で流血騒ぎになることもなかった。

 

「あの、それで乗り込んだ僕の護衛はどうなりました?」


 横を歩く巨漢に聞くと、男は憎悪を込めた顔でこちらを睨んだ。

 上唇がザックリと切れて腫れあがっており、その奥では前歯が折れていた。

 そのためか息をするたびにフシュフシュと音がする。

 

「逃げられたよ」


 男は忌々し気に血の混じった唾を吐いた。

 それはそうだろうと思いながら、それでも僕は安堵していた。マーロが捕まった場合、行動に幾らか制限が出る。

 しかし、魔物と渡り合って経験を積んだマーロがそこらの用心棒に負けることはまずないのだ。サンサネラの様な腕利きが複数出てきて初めて危機が訪れるのだろうけど、それでも逃げるくらいの余力はあるだろう。だからこそ、彼らも雇い主である僕を抑えてマーロをおびき出そうとしているのだ。

 ノッキリスは花街を抜け、倉庫街に入った。

 建物の陰では浮浪児たちがこちらを見ている。僕が気づいて手を振ると彼らはサッと顔を隠した。


「アナンシさん、余裕ですね。お連れの方もサンサネラもいないというのに」


 ノッキリスの嫌味を聞き流して、僕はコルネリを撫でる。

 さて、どうしたものか。

 実のところまだ迷っていたのだ。今ここで、人を殺すのか。

 この旅に出てから僕は自らの手で人を殺していない。

 ゼタを呼び出して山賊を焼かせたり、マーロには手を汚させたりもしたけれど、自分で直接殺したのはムーランダーに操られた傀儡だけだ。

 あれは僕の中で人間じゃないと位置づけているので構いやしないのだけど、さすがにこの用心棒たちは人間以外には見えない。

 出来ることなら純真を貫いて都市に戻りたい。

 そんなことを考えていると、ペチンと頭を叩かれた。

 ビックリしてそちらを見れば、右目を大きくはらしたやせ型の男が手を伸ばしている。

 

「おら、ボオっとしているんじゃねえよ。さっさと歩け!」


 尻を蹴られて、天秤は一気に傾いた。

 そう言えば明け方はいくらでも殺せそうな気がしていたのだった。


「やめろ、アナンシさんは大事な客だぞ」


 先頭からノッキリスがいい、男は不満げに僕の背中を蹴りつけた。

 今この場か。いや、ダメだ。子供たちを巻き込むと悪い。

 高鳴っていく鼓動を抑えながら足を進めると大きな倉庫にたどり着いた。

 扉を開けて中に入ると、さらに数名のゴロツキが待っていた。

 こちらは僕の周辺を固める連中よりケガが重いらしく、腕を吊っていたり頭に包帯を巻いたりしている。

 

「どうぞお掛けください」


 言ってノッキリスは簡素な椅子を二つ引きずって来た。

 

「お前たちは少しの間、外に出ていろ」


 ノッキリスに指示され、用心棒たちはゾロゾロと倉庫から出て行く。

 杖を突いて足を引きずる痛々しい男もいるので、そういう男は苦悶の表情を浮かべながら歩いて行った。

 扉が締められ倉庫には僕とノッキリスの二人が取り残される。

 静寂が周囲を支配し、僕は正面からノッキリスを眺めると相変わらず冷たい目線でこちらを見つめていた。

 二人きりになっても、大声を出せば用心棒が駆けつけるし、何より一対一の取っ組み合いなら僕に負けない自信があるのだろう。

 彼だって線の太い方ではないけれどその自信はおそらく正しい。

 それなりに育ちのいい彼と僕とでは基礎体力が違う。

 

「アナンシさん、ビウムから聞いたんでしょう」


 小声ながらはっきりと、ノッキリスは言った。

 

「何を?」


「僕の……趣味のことです」


 口ごもるほど言いにくいのなら言わなければいいのに。

 しかし本人はためらいながらも言葉をひり出した。

 たしかにビウムとサンサネラがなんだかそんなようなことを話そうとはしていなかったか。体調不良も重なり結局聞かなかった。


「いや、全然。正直にいえば君のことにあんまり興味がなくて」


「嘘だ!」


 僕の正直な返答を、真正面から嘘と言われたら傷ついてしまう。

 というよりも、単なる行きずりの僕が自分に興味を持つと、なぜそこまで強く信じることが出来るのか。

 おそらく彼が周囲に注目されて育てられたからだろう。商会長の甥ということは彼の父も商会の大物だということだ。

 周囲の視線から常にさらされつつ、物質的には不自由もなかったのではないか。

 対して僕は食べ物にさえ事欠いて育ち、ほとんど家族にさえ歯牙にもかけられなかった。

 こうしてほんの近い距離で対峙する僕たちは、実はとても遠い存在なのだと気づかされる。

 

「なんだか君は興奮しているみたいだし、一個一個状況を整理してみようか。まず、僕たちは君を山賊の棲み処から助け出したね」


 せっかく売った恩だ。もう一度思い出してもらおう。


「そうして、君がゴタゴタして殴られたりもしたけれどそれはサーディムさんの仕業で僕じゃない。君の証文も結局はセンドロウ商会のサンサネラにあげてしまった。今さら僕の何が気に入らないの?」


「……あなたはビウムを連れ去った」


「うん、ビウム本人がついでに乗せて行ってというから、こころよく承諾はしたね。誘拐したわけじゃないしそこに至る経緯も僕の知ったことじゃない」


 これは事実だし、これを事実にするのには気を使ったのだ。

 

「ノッキリス、君は今、恩人の僕に大変な失礼を働いているんじゃないの?」


 まっすぐの指摘にノッキリスは顔を歪めた。

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