第302話 会話不要

 幾度目か、東洋坊主は酔いから冷めてぶるり、と身を震わせた。

 時々、無数の魔物が広い部屋に屯しており足を踏み入れると一斉に襲いかかってくる事がある。

 今回もまさにそれで、後から後から湧いて出る魔物達をおそらく数百も打ちのめした頃には正気を失い、気がつくと妙に冷めた腹とともに死骸が広がる真ん中に突っ立っていた。

 深酒の末の酩酊に近く、やり過ぎた後はとかく気分が悪い。

 体から高揚と熱が抜けていき、吐く息も冷たくなっていった。

 じわりと浮かぶ冷や汗を拭うと、猛烈な疲労が吹き上がってくる。

 こういうときは体を動かし、汗をかくに限る。二日酔いの時はいつもそうしてきたし、この迷宮に入り込んでからもそうしてきた。

 大量に転がる死骸を依り代に悪魔でも降りて来いと思うものの、気配は微塵もない。

 しょうがなく入ってきた方と逆の通路に向けてトボトボ歩き出した。

 どうも駆け回ってまで獲物を探す元気もない。

 何者が押し広げたのか、上層より遙かに広い通路をしばらくさまよっていると、ようやくそれらしきモノに遭遇することが出来た。

 安堵、喜び、興奮。

 様々な感情が一度に巻き起こり、炉に風を送るように体の芯が熱くなっていく。

 やはりこうでなくては。

 東洋坊主が捉えたのは一人の人間だった。

 長い口ひげが特徴的なその男は金属の鎧を身に纏い、背中はマントで覆っている。

 激しく波打った髪は栗色で、背中の中程まで伸びてバッサリと切られていた。

 肌は赤い。年齢は二十そこそこだろうか。東洋坊主が旅の途中で出会った砂賊どもによく似ていた。

 しかし、腰に提げた得物は賊が愛用する曲刀ではなく、長刀である。

 

 こいつはやりそうだ。


 ほんの僅か、視線が交差するだけで解る。東洋坊主の全身が粟立ち、これから訪れる快感に備えた。

 対照的に陰鬱な表情の男は面倒臭そうに視線を落とした。

 瞬間、その頭部に東洋坊主の拳が突き刺さる。

 当たった。東洋坊主は確かにそう思った。

 しかし、今まであらゆる魔物を打ち砕いた拳は空を切るに留まり、即座に放った回し蹴りも虚しく空間を通り過ぎた。

 

「えい」


 気合いとも言えない静かな声とともに繰り出された斬撃は正確に東洋坊主の首を撫でた。


「チッ!」 


 足の裏に気を張り、暴発させて飛び退く。

 刃先は首の半ばまで切り裂くにとどまり、どうにか切断されずに済んだ。

 片足は粉々になったものの、足は頭に代えられぬ。

 喉に入り込んだ血が鼻と口から噴き出すのも気にせず、東洋坊主は損傷を復元した。

 

「や」


 距離をとった東洋坊主に対し、男は躊躇わず剣を振るった。

 間合いの遙か外。しかし、東洋坊主は身を捻ってかわし、どうにか片腕の切断に負傷をとどめる。

 ふっふっふ。

 即座に怪我を塞ぎながら東洋坊主は笑う。

 悪酔いの倦怠感など、とうに去っていた。

 体内にあまねく広がる曼荼羅に力が注がれていく。小さな億の曼荼羅が巨大な曼荼羅を形成し、巨大な億の曼荼羅が広大無辺の曼荼羅を形成している。

 全てが力に満ち、励起し、膨大な力を巻き起こす。

 脳内に無数の鐘がこだまし、荘厳な歌が流れてきた。

 斬撃は次々と飛び来て、そのどれもが必殺の一撃だったが、東洋坊主は全てをかわした。

 男は初めて感心した様な表情を浮かべ、すぐに皮肉な笑みがそれを塗り替える。

 

『雷よ!』


 男が叫んだ瞬間、東洋坊主の足下から光がわき起こり天井に向かって青白く立ち昇る。

 体が灼かれ、同時に自由が奪われる。思考もままならない程の圧力に東洋坊主は吹き飛んだ。

 しかし、その傷も地面に転がるより早く癒え、追って飛んできた斬撃も身を固めて耐える。

 頭さえ落とされなければどうと言うことはない。

 地面を蹴って逆襲に転じよう。そう思った瞬間、地面に伸ばした足が切断された。

 無様に転がり、そこに立つ件の男を見つめる。

 馬鹿な。瞬きの間さえ視線を外してなどいない。

 しかし現に、男はそこにいて神速で剣を振り回した。

 腕、足、胸、腹。

 辛うじて首を守るものの、復元する端から体が削られていく。

 残った体を器用に使い、地面を蹴ろうとしてもその基点を切断されると力が入らない。

 東洋坊主はすぐさま口内で舌を噛み千切ると、内力を込めて砲弾のように吹きだした。

 鎧を突き破り腹に入った舌は、その勢いのまま腹と胸を引き千切りながら背中に抜けていく。

 胸から上だけになった男が地面に落ちると同時に東洋坊主は全身を再生していた。

 すかさず頭を踏み割るのだが、同時に飛来した斬撃を腕で受ける。

 遙か彼方には件の男が立ったままこちらを見つめており、唇の端がやや上がっていた。

 ぬ、と目の前に現れた男の剣を白羽取ると首を掴んで握りつぶす。

 同時に背後に現れた男が肩から袈裟懸けに切り付けて来たのを堪えて殴り返す。

 横に、前に、後ろに。

 男は戦闘力そのままにどんどんと増加を続けていた。

 

『雷よ!』


 再び立ち上った一撃を膂力に変換すると、東洋坊主は手の届く範囲にいた二十人を殴り殺す。

 いくら殺してもいい。

 迷宮の無上な特徴を体現した敵に東洋坊主は興奮し、同時に悪酔いへの確かな予感に身を震わせるのだった。

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