第298話 聖騎士
「ノッキリス君はこの事を知っているの?」
僕の質問に少女は首を横に振る。
僕は知らず、顔がほころぶのを止められなかった。
「いいよ。さ、すぐ行こう。御者さん、早く出しちゃってください」
ここでノッキリスでも出てきて連れ返されてはたまらない。
何ごとか言おうとする御者もサンサネラが横に座り、金貨を握らせると黙って馬に鞭をくれた。
彼女がどういう意図を持っていたって知ったことか。
重要なのは、僕たちがアーミウスに向かう事。顔見知りの女の子が同行を申し出、善意の上で僕がそれを認めた事。
誰に文句を言われてもこれは揺るぎない。後ろめたいことがないというのは実にいい。
マーロが心配そうな目でこちらを見ているのだけど、突っついてみてどんな目が出るのかを観測するのは一方的に傷ついたおじさんや青年を殴りつけるよりも心が軽い。
馬車が動き出し周囲の人夫たちが見守る中、馬車はアーミウスへの道を進み始めた。
*
「私はビウムと申します」
少女は荷物の隙間で名乗った。
転落のおそれがある木箱の上にはビウムに代わってパラゴが腰掛けている。
栗色の髪を二つに束ねた、ソバカスのある素朴な少女は兄のノッキリスとは違い、ややオドオドとしていた。
「兄さんの補佐が仕事です」
ひどく揺れる荷台で、ビウムはたどたどしく言葉を紡いでいく。
マーロの視線がひどく物言いたげに僕へ向いているのは少女を巻き込むのが気にくわないのだろう。
「それで、ノッキリス君から離れてアーミウスに行く理由はなに?」
言葉が途切れたビウムに質問を投げかけると、彼女は表情を曇らせた。
「私は兄さんが、怖いんです」
絞り出した言葉は、甲高い車輪の音とともに消えていく。
初めて会ったときからノッキリスはビウムをかばっていたし、その後も絶えず気遣っていた。
妹思いの兄に見えたのだけど、何ごとも額面通りとは行かないらしい。
「お兄さんの、何が怖いの?」
マーロがなだめる様にビウムの肩を抱いた。
こういうとき、自然と手を差し伸べられる彼女の優しさが眩しい。
「おぞましすぎて私の口からはとても……」
ビウムの顔は真っ青になり、今にも倒れそうだった。
実のところ、彼女が何を目的について来たのかはそれほど興味がない。それよりも嘔吐でもされると僕もつられてしまいそうでそればかりが気になっていた。
「アーミウスまでは僕たちが着いているから、ゆっくり休んでいなよ」
僕がいうと、ビウムは険しい表情のまま眼を閉じ、それきり黙ってしまった。
僕たちの会話はそれきり途切れ、視界を流れていく山林と車の揺れから来る不快さに一人で向き合う事になったのだった。
*
日が高くなった頃、小さな川の側で休憩をとった。
道が川と交差していて、僕たちは皆で馬車を押す必要があったためズボンはすっかりびしょ濡れだったけど、いずれにせよ乗り物に乗り続けたことによる不調が勝ってあまり気にならない。
御者は持って来た弁当を食べ始めたし、パラゴもカバンから乾燥したパンとベーコンを取り出して皆に切り分けてくれた。
だけどそれも食欲がなくて、一口かじった後は手の内で持て余す。
「ねえ、サンサネラ」
仲間たちから離れて座り、パンの切れ端を川の小魚に投げていると、サンサネラが歩いてきたので話しかけた。
「ノッキリスの秘密ならアッシも噂に聞いたよ」
悪い笑みを浮かべながらサンサネラが尻尾を振る。
「そんな事よりもアーミウスにはあとどれくらいで着くの?」
投げやりな僕の言葉にサンサネラは耳をピクンと動かしてふきだした。
「そうさね。もう数時間と言うところだろうけど」
まだそんなに揺られないと行けないのか。
これからの行程を思ってうんざりする。
コルネリの様に無心で眠れればいいのだろうけど、そうもいかない自分の繊細さを恨みたくなる。
「それよりお客さんだよ」
サンサネラが通ってきた道を指した。
やがて馬の足音が聞こえて丘の稜線から三つの人影が姿を現す。
「センドロウ商会の使用人たちさ」
騎馬は僕たちの目前で止まると、二人の男が馬から飛び降りた。
「お客人、ビウムお嬢さんをご存じですね?」
三人で一番格上なのだろうか。いかにもな禿頭が馬の上から僕に聞く。
馬から下りた二人も険しい表情をして僕を見ていた。
「知ってるよ。ていうかその馬車に乗ってる」
座ったまま荷台を指すと、ビウムを隠す様に位置取るマーロが不機嫌な表情を浮かべた。
だけど、出発時に大勢に見られているのだから今更である。
「ビウムお嬢さん、帰りますよ。降りてきてください!」
禿頭の使用人は野太い声で馬車に向かって声を掛けた。その口調から、若干怒りを感じ取れるのは余計な手間で半日を潰してしまったからだろうか。
しかし、ビウムは顔を出さない。
「申し訳無いですが、無理矢理でも連れて行きますよ」
痺れを切らせた男は配下に連れてくるように命じた。
「サンサネラ、止めて」
「あいよ」
僕の頼みに応えて、サンサネラは男たちと馬車の間に身を滑り込ませた。
行く手を阻まれ、二人の使用人は立ち止まって顔を見合わせる。
「お客人、サンサネラ、なんの真似だね」
禿頭の男は鋭い眼で僕を睨んだ。
なるほど、この男も荒事に慣れてはいるのだろう。
風格も十分で、サーディムかノッキリスの直下なのかもしれない。でも、僕が待っているのはこの程度の相手ではない。
「彼女が連れて行ってくれと頼んだ。僕は了承した。だから君たちが無理矢理でも連れて行くというのなら、僕たちは精一杯彼女を守るよ」
僕はその場にいる全員に届くようはっきりと宣言した。
いたいけな少女を悪漢から守る。それだけを聞けば随分と格好がいい話だ。
妻たちがこの話を聞けば僕に惚れ直すかもしれない。
実態は気持ち悪くて座ったままなんだけど。
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