第296話 潜入

「旦那、よく無事だったね」


 曲刀の背で肩を叩きながらサンサネラが近寄ってきた。

 まったく、自分でもそう思う。

 相手が自分を殺しに来ていたら、もしくはコルネリがいなければ。ほんのちょっとした違いで僕は死んでいただろう。

 

「怖かったし、顔も痛いから無事じゃないね」


 地面に打ち付けた頬がズキズキと痛むのだけど、普段ならすぐに治療して貰う怪我も回復魔法の使い手がいないので簡単には治らない。

 口の中もざっくり切れていて、僕は血の混じった唾というよりも唾の混じった血を吐き捨てた。

 

「だから言ったんですよ。サンサネラが駆け込んできたとき、危うく斬り殺すところだったんですから!」


 マーロが不機嫌そうに短剣を納める。

 常人離れした体力を持ちながら額に汗が浮いているのは、疲労ではなくて緊張のせいだろう。

 

「ゴメンね。完全に僕が悪いです。パラゴもゴメンね!」


 まだ離れて伏せているパラゴが小さく手を挙げた。

 最後まで警戒を解かないのが彼の矜持なのだろう。

 

「ふふ、問答無用で斬られたね。こんな強い女に会うことは滅多にないね」


 サンサネラは嬉しそうに笑うのだけど、無事に動いているところを見るときちんと防ぎつつ、マーロを説得できたのだろう。

 マーロ相手にそんな事が出来るというのだから、やはりこの男は相当な手練れである。


「きちんと勝負すれば私が勝ちます」


 マーロとしても達人級戦士のプライドがあるようで、口をとがらせて肩を怒らせる。

 事実として、どちらかが倒れるまで戦えばマーロが勝つだろう。迷宮で積み重ねたものは軽くない。


「負ける勝負はしないさ」


 ケケ、と笑うサンサネラの発言もまた事実であって、高い実力を持ちながらそれに固執しない柔軟さが彼の強さを増幅している。

 

「ケンカはしないでね。彼はもう仲間だから」


 僕個人の、とは付け加えなかった。

 この旅の間に限れば誰もが僕の仲間に違いない。

 

「それで、旦那はこれからどうするんだい?」


 サンサネラは曲刀をヒョイと放り投げ、曲芸の様に鞘に納めてしまった。

 

「どうっていうか、もう一度。今度は友好的にムーランダーと話したいな。彼らは珍しい種族だけど少なくとも言葉は通じるんだから、知りたいことは教えて、知りたいことは教わりたい。サンサネラ、彼らについてもっといろいろ教えてよ」


 僕は仮面学生なのだけど、もしかすると性に合っているのではないかと思い始めていた。知らない事を知るのは楽しい。ましてそれが、アンドリューもウル師匠も知らないのならなおさらだ。

 サンサネラはヒゲを撫でつつ、フムと考え込んだ。


 *


 村に戻った僕たちはセンドロウ商会の倉庫に向かった。

 数人いる見張りを魔法で眠らせ、その間にパラゴが鍵を開けてくれたので潜入は拍子抜けするほどあっけなく成功した。

 倉庫の中には木箱や樽が並び、槍や弓矢などの武器も揃えてある。

 センドロウ商会が男爵国の抗戦を支えているのだから、ここにあるもので戦争をし続けているのだろう。

 

「食料や武具、その他日用品だけど、一番の目玉はこいつかな」

 

 サンサネラは一抱えほどある壺を棚から下ろした。

 棚には同じような壺が無数に並んでいる。

 蓋を開けると中には白い粉が詰められており、彼に促されるままにすくって舐めてみた。

 口の中にしょっぱさが広がる。同時に傷にしみて激痛が走った。


「塩さ。アーミウスは山国だから塩って貴重品なんだよ。塩鉱の採掘権と塩の専売権がセンドロウ商会を御用商に張り付けているのさ。しかし、それはそれとしてここにある塩が一回の補給分だとすれば異常だろ」


 サンサネラの手が塩を弄ぶように撫でる。

 見回せば、大きな倉庫の中身は半分が同様の壺だった。

 たしかに人や馬が生きる上で塩は必須である。なければ動けなくなってしまう。

 とはいえ、適量があればそれでいいのであって、あの陣地くらいなら数年はもつのではないだろうか。

 

「ちなみに、補給は十日に一度ほどでここにある品物を全部納品することになっている。それから、買い集めてきた奴隷もな。用途はわかるよね?」


 人間を無理やり戦わせられるのであれば、消耗品として購入できる奴隷が向いている。その買い付けにノッキリスは出向いていたわけだ。

 

「そうして、正規の兵士じゃない兵隊が並ぶわけだね」


 なんせ、操作者は安全な場所にいるのだから、傀儡にはいくらでも無茶な戦い方をさせられる。

 精鋭兵士ならともかく、雑兵相手には効果的だろう。

 

「塩ねえ。とりあえず全部川にでも投げ捨てるか?」


 パラゴが木箱に座って言った。

 ムーランダーが大量の塩をなんに使っているかは解らない。

 生存に必要なのか、呪術に必要なのか、もしかすると湿気を測る為に用いるのかもしれないのだ。しかし、いずれにしても嫌がらせとしての効果はあるだろう。

 必需品が欠乏すればいいのなら、単純にこの倉庫に火を掛けてもいい。

 すぐに次の物資が集められるだろうけど、都度潰して回れば防御陣地は弱体化していき、王国軍に飲み込まれる。


「却下。僕は別に、裏工作をして軍を助けることが任務じゃないんだ」


 とにかく、彼らの事を知らなければならない。

 操り人形ごときで王国軍をはねのけているのではないだろうから、別に奥の手があるはずだ。

 もっと情報を得るには、誰にあたればいいだろうか。


「ねえサンサネラ、とりあえずサーディムさんの部屋に案内してよ」


 情報は一番偉い人が握っているだろうし、心も骨も折れた人は話も聞きやすそうだ。ダメなら次はノッキリスか。

 僕たちが倉庫を出ると、侵入に気づかなかった見張り番たちは眼を丸くして驚いていた。

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