第290話 散歩

 食事が終わり、部屋に戻るとパラゴに窓を開けて貰った。

 仕掛けた罠を外す手間に嫌な顔をしたけど、それでも手早く開けて、外を見回す。


『見張りはいない』

 

「明日も晴れりゃいいですね、アナンシさん。こんな田舎に何日もいると退屈そうだ」


『散歩に行ってきます。荷物は置いていくから』


「そんな事を言うもんじゃないよ。ここものどかでいいところさ。多分ね」


 僕とパラゴの会話を聞いて、マーロが慌てて紙を取った。


『駄目です、単独行動は!』


 僕たちは互いが互いを愛している訳でもないのだけど、任務には誠実に向きあっている。

 彼女が責任感を示しているように、僕も生来の生真面目さを出していこう。

 パラゴは先導、危機管理。マーロは護衛。そして僕は調査要員だ。

 ブラントほど鮮やかにはやれないだろうから少しずつでも情報を集めたい。

 

「マーロ、一応不寝番をお願いね」


「あ、いやそれはいいですけど」


『だいたい、その窓からどうやって降りるつもり?』


 紙を差し出しながらマーロの表情が困惑している。確かに二階の窓から飛び降りる身体能力は僕にない。だけど、降りるくらいなら方法はあるのだ。

 魔力を練り『浮遊』を発動させて窓の外に踏み出すと、足の裏が魔力の床を掴んだ。視線の高さがゆっくりと降りていく。

 人を追いかける時や逃げるときにはまるで使えないけど、時間があればこういう使い方もある。

 

『行ってきます。警戒は怠らないでね。帰りは表から入ってくるよ』


 ヤキモキしているマーロに手を振り、紙を渡す。

 人気の無い山村の通りは真っ暗で、なんとなく僕の心を落ち着かせた。


 *


 村を離れて森に近づくと隠れていたコルネリが勢いよく飛びついてきた。

 殴られた様な痛みに一瞬、息が詰まる。

 だけど、骨を折られていた頃に比べれば随分と気を遣ってくれるようになったので、彼の知性的成長と精神の連結に感謝だ。

 

「お待たせ」


 背中を撫でてやると嬉しそうに目を細める。

 山鳥でも取って食べたのだろうか、口元にべっとりと血がこびり付いていたので袖で拭ってあげる。

 コルネリは首をクルリと回すとキイ、と鳴いた。

 おそらくそちらで何かを見つけたのだろう。僕はその方向に足を向ける。

 街道をひたすら歩き、しばらくすると丘の上に松明が見えた。

 軍隊だ。直感的に僕は思った。国境に布陣する男爵国の守備隊である。

 天幕が無数に立ち並び、街道を塞いでいる。

 その先には長い木柵が見て取れ、片方は川、もう一方は森林まで続いていた。

 あまり興味は無かったのだけど、何度かブラントから軍事に関する座学を受けた事がある。その知識に照らせば、こうやって平野が狭くなった箇所に陣を張るのは一般的な事のはずだ。

 別に間違っていない。至って真っ当。だけど、真っ当なだけで常勝の王国軍に勝てるものだろうか。

 こちら側を見張る兵士も、僕にとっては暗闇を通してはっきり見える。こちらは身を隠している訳でもないのに、見られている様子はない。

 夜間の移動は極力避けるものとし、必要があっても最低限とする。そんな事も習った。

 暗闇を移動するということはそれだけで危険をはらみ、なんの障害がなくてもいくらかの損害を覚悟しなければいけないものらしい。

 ところが、その常識は冒険者あがりの精鋭兵には通用しない。

 暗闇を見通す眼を持ち、常人離れした戦闘能力を持つ連中は移動どころか戦闘までもやってのけるだろう。一般的な軍兵からすれば厄介きわまりない筈である。

 その厄介な王国精鋭兵を押し返し、あまつさえ敗走にまで追い込んだ原因を探るのが僕の役目だった。

 周囲を観察すればどこからでも陣に入り込めそうな気がする。気はするが、おそらく気のせいなのだろう。

 事が単純なら僕なんかがこんなところに派遣されていない。


「ねえ、サンサネラさん。道に迷ってしまったんで屋敷まで連れて行ってくれませんか?」


 僕は背後の影に向かって声を掛けた。

 するとムグムグ喉をならしながら猫の亜人が顔を出す。


「やあ、よく気づいたね」


 ベロリ、と舌を出すサンサネラの眼は暗闇でも爛々と光って見えた。

 人の気配はコルネリがずっと察知していたのだけど、サンサネラだと確信を持っているわけではなかった。

 この国で僕が知っている人は少ないので、その中で一番後をついてくる可能性が高そうな名前を呼んだに過ぎない。

 

「ハッタリですよ」


「……どうだか。アンタは一筋縄では行きそうにないからね」


 正直に告げる僕に対して、サンサネラは眼を細めて身構えた。

 

「さっきも空を飛んだだろ。それに懐いた大コウモリ。今さら一般人の振りは通じないよ」


 という事はパラゴの索敵をかわしてこちらを観察していたのだろう。

 別に空が飛べるわけじゃなくて、ゆっくり落ちる事ができるだけなのだけど、それは別にいい。

 

「実は僕、魔法使いなんですよ。ほら、コウモリの使い魔なんてそれっぽいでしょ」


 笑って見せると、サンサネラもにっこり笑った。

 あくまで冒険者組合に規定された職能が魔法使いというだけで、それが世の中で世間一般の魔法使いとは違うのだろうけど、とりあえず嘘ではない。

 

「アッシもね、アンタの正体なんか実はどうでもいいのさ。ただ面白そうだからついて来ただけ」


「奇遇ですね。僕もあなたと話したかったんです。面白そうだから」


 僕たちは顔を見合わせて笑い合った。

 瞬間、背骨を撫でられたような不快な感触に肌が粟立つ。

 見ればサンサネラも同様に毛を逆立てている。

 舌打ちするサンサネラの視線を追うと守備隊の陣地から数個の人影がこちらに向かい走って来ていた。

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