第286話 名誉なんて

 サーディムは遠からず行動を起こすと思っていた。だけどまさか夕飯前にやってくるとは。さすがに商人は行動が早いと舌を巻く。


「アナンシさん、ノッキリスから証文を取ったらしいね。返してくれないか?」


 客間の応接イスに腰掛けたサーディムはふんぞり返って用件を告げる。

 横に立つノッキリスは先ほどよりさらに顔を腫らしており、額も裂けていた。

 部屋の入り口は屈強な男たちが数人立っているし、サーディムとノッキリスの左右には一目でそれとわかる剣術使いが二人。いずれにせよ荒事を背景に交渉を有利に動かしたいのは間違いない様だ。

 僕を守るように立つマーロは短剣の柄に手を伸ばし、目つきも戦闘時のそれになっている。グダグダと考え込みがちな彼女も、迷いようのない場面では手堅く計算できるので便利だ。

 パラゴはベッドに腰掛けたまま状況を見守っている。もし危なくなったらためらわずに逃げていいと言ってあるので、逃げる算段をしているのかも。

 僕もサーディムの向かいに座ると、愛想良く笑った。

 

「もちろん額面をお支払いいただけばその場で渡しますよ。ノッキリス君にもその旨、伝えた筈ですけど」


「うん、恩人だお客だと持ち上げているうちに言うことを聞いて欲しいんだがねえ」


 サーディムの顔が陰気に歪み、強く吐く鼻息はあからさまに不機嫌を主張している。

 どうみても、既に持ち上げる気は霧消しているようだった。

 

「サーディムさん、落ち着いて。ノッキリス君は名誉にかけて約束したんですよ。僕たちを悪いようにはしないと。だから、僕は足手まといの彼らを連れてきたんですけど……」


「なにが名誉だ。半人前の小僧には名誉もクソもないんだよ!」


 顔を歪めてサーディムは唾を飛ばす。

 ノッキリスは申し訳なさそうに床を睨んで歯を食いしばっていた。

 彼には大いに苦しんでもらおう。

 

「気が合いますね。実は僕も名誉なんてクソだと思ってたりします。でも、話し合いにはこんな人数は不要でしょう。おっかないお兄さんたちをさげて貰っていいですか?」


 狭い部屋に大勢が押しかけて来るので暑苦しい。

 しかし、この発言を僕の怯えととったのかサーディムは一層、胸を張る。


「状況を分かっているのか。この場ですべてを決めるのは俺なんだよ!」


「じゃあ、撤退について決めて貰おうかな。マーロ、右の男を斬り殺して」


 瞬間、短剣を引き抜いたマーロはサーディムの横に立つ用心棒を切り伏せていた。

 当の用心棒さえ何が起こったか気づかぬうちにこと切れており、サーディムは何が起こったか理解も出来ないまま座っている。

 嫌味な表情を浮かべたまま襟首を掴まれて引き倒され、ようやく事態の推移に気づいたサーディムが呻いた。

 テーブルに顔を抑えつけられたまま、首筋に短剣が押し付けられる。

 自分が圧倒的優位だと認識するのはいい。だけど、調子に乗って剣が届く距離に出ればこんなものだ。

 ガルダならこんな無様は決して晒さなかっただろう。


「ね、ノッキリス君。僕やパラゴはともかく彼女は腕が立つって言ったでしょ」


 唖然とするノッキリスに話しかけるのだけど、どうも耳の奥まで言葉が届いていないらしい。

 

「サーディムさん、そんなわけでおっかないお兄さんたちをさげて頂きたいんですけど。状況は分かっているでしょ?」


 顔を押し付けられた拍子に鼻でも折れたか、机にどくどくと血を流しながら身を震わせるサーディムは呻くように「全員、さがれ」と命じた。

 

「あ、ノッキリス君は残ってくれる?」


 面食らって凍り付く一同はその一言でゾロゾロと動き出し、やがてノッキリスとサーディムを残して室内からは誰もいなくなった。廊下には数人が残っている気配もあるけど、判断に迷っているのだろう。


「マーロ、君も見た通り不誠実な男だ。殺すことに躊躇はいらないね」

 

「ま、ま、待ってください、アナンシさん!」


 殺す、という言葉に肝が冷えたのかサーディムがバタバタともがきだす。

 しかし、マーロの拘束を逃れる力はないようで少しも自由にならず口から泡を吐きだした。


「待ちますよ、サーディムさん。このまま殺されればあまりに報われない。誰であれ最期の言葉を残す尊厳くらいはあるべきだ。ノッキリス君が聞き届けて家族でもなんでも届けてくれるでしょう」


 自分が残された理由に驚いた表情を浮かべるノッキリスは力なく首を振った。

 

「アナンシさん、お願いですからサーディムさんを許してください」


 少年の哀願に、僕はため息を吐く。

 許すも許さないも、彼らが振るう横暴を仕方なく払っただけだ。

 ただ、ノッキリス君の為に少しくらいはなにかしてあげよう。


「君の証文分とサーディムさんの身代金で金貨五百枚かな。すぐに持ってくるなら許してあげよう。どうですか、サーディムさん。ノッキリス君に金貨百枚は出せなくても自分になら出せますか。一応、手足一本で金貨五十枚値引きますけど。つまり半額まではこちらも交渉を受け入れるつもりは……」


 実際は二人合わせて手足が八本あるので、そこまで覚悟を決めていれば金貨四百枚まで値引いたっていいのだけど、それを説明する前にサーディムは音を上げた。


「払う、全額すぐに支払います!」


 血の泡を飛ばしながら机に向かうサーディムは怒鳴った。

 

「だ、そうだからノッキリス君、お金を取ってきてよ。それからついでで悪いんだけど夕飯はまだかな。そろそろお腹がすいてきたから台所の様子を見て来てくれない?」


 ノッキリスは形容しがたい表情で僕を見ると、逃げるように部屋を出て行った。


「彼が戻って来るかはサーディムさんの日ごろの態度次第でしょうね。さあ、どっちかな」


 その言葉にサーディムは震え、体中から冷や汗を流し始める。

 よほど自信がないのだろうか。

 怯えようがあまりにかわいそうなので、彼の恐怖を散らすべく僕は雑談に興じることにした。


「ところでちょうどいい機会だから、いくつか聞きたいことが。もちろん答えなくてもいいんですけどその場合は体に穴が増えると思ってください。なに、旅の学生特有の純粋な好奇心です。可愛らしい質問ですよ」


「答える、なんでも答えますから……!」


 小気味のいい返答に幸先のよさを感じながら、僕は口を開いた。

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