第246話 内部規定

「北方への帰還命令が出ました」


 泣きやんだステアは喘ぐようにつぶやいた。

 僕は肌が粟立つのを感じ、拳を握りしめる。

 想定していた仲間たちとの別れ。その一つがいま突きつけられたのだ。

 北方からやってきたステアの目的は魔法の会得であって、それも辺地へ送り込まれる宣教師としてのつとめを果たす為である。

 教団本部は達人の称号を得たステアに対して修行は十分と判断したのだろう。

 

「……それは、いつ?」


「来月の林檎祭りまでに戻れと」


 その祭りが具体的にいつ開催されるのか、知識は持ち合わせないけどそう遠くないことだけは判る。

 断れないのかと聞こうとしてやめた。

 彼女は善良なる僧侶であって、属する組織の命令に逆らえないのは判ってるのだ。

 そうなると、彼女自信が納得できるだけの理由を探さなければいけない。

 彼女が泣いているのなら、僕はそのためにかけずり回る。それくらい彼女は大切だった。


「泣いているってことは帰りたくないんだよね?」


「……いえ、それが私の仕事ですから」


 あきらめたようにステアはうなだれる。その姿はどう見たって、納得がいっていない。

 彼女の悲しみが惜別の情を理由にしたものだとしても、僕は彼女を引き留めたかった。

 ここで彼女を離せば、きっと二度と会うことは無いのだ。せめて、他者の理由に拠らず僕たちが納得したタイミングで別れたかった。

 

「そこまでにしなさい」


 ぞっとするしわがれ声が響き、扉が開けられるとローム先生が部屋に入ってきた。


「魔法使いさん、あなたがいるとステアの決心が鈍るみたいね。悪いのだけど帰っていただけるかしら」


「嫌です」


 ローム先生はムッとした表情を浮かべながらも、ステアの横に立ち、肩に手を置いた。


「ステア、たとえ相手が善良な友人であっても教会の事情を信仰の無い者に語ってはいけません。ましてこんな輩には。さあ、先に部屋に戻っていなさい」


 こんな輩、とは随分と嫌われたものだけど、僕だってローム先生の事をろくでもない因業婆だと思っているので殊更に否定はしない。

 ステアはローム先生に言われるまま立ち上がると一礼をして部屋を出て行ってしまった。

 僕にはまだ、彼女を呼び止める材料がないので、奥歯をかみしめて見送る。

 すくなくともステアよりもローム先生の方が上役であり、状況を知るには適していた。


「さて、あなたのことは嫌いですが、私はなにも意地悪で言っているんじゃありませんよ。可愛いステアの、輝かしい将来の為には必要な別れもあるのだと、あなたも判るでしょう」


 ローム先生はステアの座っていた席に腰掛け、僕と相対した。

 

「あの子は教団に期待されて派遣され、この地で十分に成長しました。きっと、よい宣教師になり闇を切り開いていくでしょう。あなたは私たちの教えに興味がないのだとしても、私たちには重要な事なのです。ですから、ここは黙ってお引き取りを。あなたはあなたの生活を大事になさい」


 いつもと違う穏やかな口調で話すローム先生は言葉の通りにステアを思っているようだった。

 

「でも、今じゃなくていいんじゃないでしょうか」


 僕の言葉にローム先生の表情が曇る。

 

「うぬぼれかもしれませんが、彼女は僕たちのような教団外の知人を必要しているように見えます。ステアが安定を取り戻すまで待つことは出来ないんでしょうか?」


「今なのよ!」


 ローム先生は大きな声を出して僕を睨みつけた。

 

「誰のせいとは言わないけど、『荒野の家教会』はガタガタなのよ。教団の建て直しには聖女の存在が不可欠なんです」


 『荒野の家教会』は元からステアをまつり上げようとしている雰囲気は感じていた。冒険者組合がシグを広告塔に仕立てて人を集めようとしているのと本質的には変わらない。

 そしてこの老婆が恥を捨ててそこまで言うのなら教団も本当に追いつめられているのだ。


「話は聞いていましたが、あの子が結婚を迫ったときにあなたは拒絶しましたね」


「それはそうです。僕は彼女と信仰が異なるのだから」


「責めはしません。しかし、あれがステアの精一杯のわがままだったのですよ」


 ローム先生はシワ深い目尻をつり上げて僕を睨む。

 だけど、僕はローム先生の言っていることがよく理解できないまま首を振った。

 

「意味がわかりません」


「そうでしょうね。あなたは知るはずも無いことですから。だから今、教えて上げます。教団の内規には任地で結婚した者は配偶者の居る場所から離れる辞令を拒否できると記されているのです。ただし、あなたは我が教団の信徒でなく、すでに妻帯者ですから、いずれにせよ結婚は叶いませんね。意味を理解したなら帰りなさい。そうして、これは言っておきますがすべて忘れて奥さんを愛しなさい。あまり横車を押せば奥さんを悲しませることになりますよ」


 僕は途中から殴られたようなショックを受けて言葉が耳をすり抜けていった。

 ステアはどういう覚悟であの言葉を告げたのだろうか。

 そうして、僕の返事を聞いて彼女はどう思ったのだろうか。

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